鍵を開ける

 恭くんは、続ける。


『だからね咲花さん。時雨はともかく。他のメンバーは、その気になれば脅せるんだよ。咲花さんが、過去をバラされたくなくて俺に従ってるのと同じだ。時雨以外は俺に過去をバラされたら困るわけだから、そこを突けるだろう』

『……そ、それはなんとなくわかったよ、それで……?』

『結論を言うよ。時雨たちにこれ以上従う必要はない』

『……で、でも、そんな、そうしたら、動画が拡散されちゃう』

『そうとは限らないよ。動画を拡散したら過去をバラす。真衣と沙綾と誠に対しては、この取引が成立する。力関係は対等だ。確かに、咲花さんも今の生活ができなくなるかもしれないけれど、真衣も沙綾も誠もそれは同じ事情なわけだ』

『だけど、だけど、お兄ちゃんたちは、……言うこと聞いてさえいれば、とりあえず、動画は拡散しないでくれるんじゃないの?』

『俺たちが時雨に従ったところで、時雨たちが動画を拡散しない保障はない。……時雨は約束を守ったり守らなかったりして、相手を絶望させるのがうまいんだよ。完全に守らないより、たまに守る。百回鞭打ちで終わりって言って、守るときもあれば、もう百回ってときもある。期待させて、絶望させて、楽しむ。……そういう人間だよ、時雨ってやつは、咲花さんも妹ならわかるんじゃないの』


 それは、確かに、……そうかもしれない。


『……それとね咲花さん、よく考えてみて。咲花さんが、男子中学生監禁事件の加害者だとバレるのと。個人的にちょっと激しめのペットプレイの趣味があるんだってバレるのと。どっちのほうが、リスクが低い? 咲花さんの人生にとって』

『……そんなの、どっちもいやだ……』

『いやだ、じゃなくて。現実的に考えてみて』

『……だって……ペットプレイの動画なんて……公開されたら炎上するよ。大炎上だよ』

『だけどあくまで、プライベートの個人的な趣味に過ぎないよね。俺と付き合ってて、合意の上でそういう、複数人でのペットプレイをしたって説明すればいい。動画は勝手に流されたんだと。そうすれば、咲花さんはあくまで被害者だよ』

『でも、でも、……そんな炎上、事務所にも怒られて解雇されちゃう』

『確かに、その可能性も大いにあるね。でも必ずそうなるとも限らない。咲花さんはあくまで被害者なんだから、そのあたりは事務所の対応次第だよね。それに、仮に契約終了になるとしても、咲花さんに同情するファンもいるかもしれない。咲花さんはアイドルじゃなくて、彼氏もいるモデルとして活動してるんだから』

『……そう、だけど』


 彼氏がいる――つまり建前上は恭くんとお付き合いしているということは、この間、事務所を通して公表もした。

 これからは、デートの定番コーデとか、そういうお仕事が貰えそうなところだった。


『あくまで被害者で。性的な趣味をバラされて。……もちろん多くの人たちがネットで咲花さんのことを責めたり、玩具にしたりするだろうね。自己管理がなってないとか、気持ち悪いとか。……だけど見てくれているひともいるはずだよ。咲花さん、べつに悪くない、って。あるいは――自分もペットプレイが好きなのにな、って。思ってくれるひとがいるんじゃないかな』


 ……そう、かも。

 そうかも、しれないけれど。


『モデルの仕事ができなくなったら、しばらく動画配信に専念すればいいと思う。ついてきてくれるひとも、いると思うよ。俺も最近ようやくわかってきたんだけど、咲花さんの人気ってかなりのものだし。普通、同時接続数一万とか、なかなかいかないんだってね』

『あの……それは本当に……ありがたいの。だから……応援してくれているひとたちを、裏切りたくなくて……』

『裏切りたくないなら、なおさら。これが、男子中学生監禁事件の加害者とバレるとしたら――話は別だよね。プライベートでペットプレイをしてるとわかるより、もっともっとリスクは大きくなる。事務所は確実に咲花さんを解雇するだろうし、ファンも離れる。大学生活も危うくなる可能性が出てくる』

『……そう、だよね』

『そう。だから、時雨たちに従う必要はないんだよ。……俺はなおさら、ペットプレイをしてるとバレても困らない。事実だしね。できればバラされたくはないけど』


 恭くんの表情は、落ち着いていた。


『もとから実は、こっちの持っている手札のほうが強い。俺がそれに気づくのが遅れただけだ。遅れてごめんね。咲花さん』

『……どうして、恭くんが謝るの?』

『飼い犬の安全を守るのは、飼い主の義務だから』


 恭くんは右手でわたしの頭を撫でる。

 わたしはほとんど反射的に、目を細める。……最近の恭くんは、わたしが人間モードのときにも、わたしを犬扱いするようになってきた。

 そして、それを受け入れつつあるわたしがいる。


『わかった? 咲花さん』

『……はい』

『時雨たちから会おうって連絡が来ても、絶対に従っちゃ駄目だよ。何を言われても従わないで。まずは無視し続けよう。その間、俺は真衣たちを脅す方法を具体的に考える。……もう少し情報も集めたいから、また人を雇ったり、少し時間がかかるかもしれない』


 確かに、この間そう話して、わかったよ、だけど、……だけど。


「おーい、咲花もいるんだろ? 可愛い妹よ、可愛い可愛い動画をさあ、みんなに見せてあげようかな――」


 ――いやだ。

 だって、だって、やっぱり。

 ペットプレイの動画なんか。……ペットプレイなんか。


 気持ち悪いって言われて終わりだ。応援してくれているひとたちに見捨てられて終わりだ。

 わたしの。これまで築き上げてきた、なにもかも。


 お兄ちゃんたちに、ちゃんと従わなくちゃ、いけない。

 従わなくちゃいけない、従わなくちゃいけない、……いけないの。


 ひらりと、わたしは立ち上がっていた。


「咲花さん。駄目だ――」


 吸い寄せられるように、わたしは玄関へ。

 恭くんがすぐに追ってきたけれど、追いつかれなかった。


 ほとんどなにも思考できないまま。

 ガチャリと、鍵を開ける。


 そこには、いつも通り――。

 お兄ちゃんと、誠先輩と、真衣ちゃんと、沙綾先輩がいた。


「――おう、会えなくて寂しかったよ。元気か? 恭も」


 わたしは、こんなに心臓がバクバクして、倒れてしまいそうなのに。

 恭くんは――唇を噛み締めながらも、静かに、お兄ちゃんを睨みつけていた。

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