後奏 Home, sweet home.
実に二週間振りに辿る我が家への帰路は、なぜだか無性に、懐かしかった。曲を創り終わった後は、いつもどこか、周囲の風景を遠くに感じる。まだ脳が、上手く現実に適応できていないんだろうな、とぼんやりと考えていると、懐で携帯電話が鳴り響いた。
「……もしもし?」
『あ、もしもし音くん? 新曲聴いたよ! ねえあれなに、久々に尖り散らかした曲だな~と思ってたら、最後でまんまとやられたんだけど! あれってさ、』
「眠いから切るぞ」
疲れた頭に、友人の興奮した声はあまりに刺激が強かった。液晶を遠ざけて呟くと、距離を隔ててもなお通る声が、慌てたように続ける。
『いや待って待って! ――音くん、ほんとに、色々とお疲れさま。いやほんと、音くんにしかできない、とんでもない力技だよね。あの記事を、宣伝代わりにしちゃったんだから』
「……そう、できてたんならいいけど」
『何言ってんの、三日で百万回再生叩き出しておいてさ。――ねえ、ミラちゃんとは、仲直りできた?』
おそらくこちらが本題だったのだろう、と、その声音で気付いた。深く嘆息した後、固唾を呑んで待ち受けているであろう友人に、端的に告げる。
「ああ。――――一護、色々とありがとう。助かった」
『……音くんが、俺に、お礼を、言った……! え、夢? 幻? ちょ、ねえ、もう一回――』
「うるさい。切るぞ」
容赦なく通話を叩き切り、携帯電話を懐にしまい込む。そういえば彼女に連絡を入れるのをすっかり失念していたことに気付き、再びポケットに指先を伸ばしたところで、先程画面に表示されていた現在時刻を思い出す。
深夜、三時二十五分。――確実に、彼女は眠りについている時間帯だった。
明日になれば顔が見れる、と考えただけで、胸の中に、あたたかいものが広がっていく。
先程までより少しだけ軽い足取りで、眠る街の中を、ゆっくりと進んで行った。
緩慢な手つきで自宅の玄関の鍵を開け、条件反射で、ただいまー、と呟いた瞬間、室内の異変に気付く。
――あれ、俺、照明点けっ放しにしてたっけ?
おぼろげな記憶を辿って、確か消して出たような、と首を傾げていると。
リビングの方向から、ぱたぱたと、聞こえるはずのない足音が、近付いてきた。
「――音色さん、お帰りなさい!」
弾んだ声と、ぱっと花開くような笑顔とともに出迎えてくれた彼女に、え、どうして、と、上擦った呟きが漏れる。
「岡崎さんが、これから帰ると思うよ、って教えてくださったんです。――音色さん、本当に、おつかれさまでした」
これまでずっと、真っ暗で、どこか淀んだ空気が籠った部屋に戻るたび、虚しさと疲れが、どっと押し寄せていたけれど。
「お腹、空いてませんか? あ、それとも、ゆっくりお風呂に行かれます?」
今は、橙色の灯りの下に、きみが、立っていて。
久方振りに空腹を思い出すような、いい匂いが、きみの髪から、漂っていて。
思わず、くう、と鳴いた腹の虫に、彼女が、わらう。
「……一応、お粥とお味噌汁は、作ってます。少しだけ、召し上がり、ま、」
たまらなくなって、ぎゅう、と、思い切り彼女を抱き締めた。ややあってから、彼女の全身からほっと力が抜けていって、ゆっくりと、背中に細い腕が回される。
「――お帰りなさい、音色さん」
ああ、きみが。
ここにいてくれて、ほんとうに、よかった。
だから、大好きだよ、と告げる代わりに。
「ただいま。――鏡花さん」
きみの、名前を呼ばせて。
ずっと探していた春は、ようやく巡り逢えた春は、いま、確かに、この腕の中で。
嬉しそうに、幸せそうに、ひかりが咲くように、微笑っていた。
了
花に落雷 空都 真 @sky_and_truth
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