第2話 第一話-②

 その後、男は部屋のあたり、特に被害者のまわりを調べることにした。男はしゃがんで被害者の輪郭のテープを覗き込む。

「被害者はドア側に頭を向けて倒れている、か……。」

この倒れた位置からするに……被害者は帰宅した時に、部屋の中にいた人に襲われた感じか。どこから侵入されたんだ?

 男は刑事に振り返って質問する。

「一応聞くけど、窓ガラスから侵入した形跡は?」

「ない。」

「ほかに部屋の入り口は?」

「ないな。この部屋に入るとしたら目の前の大きな窓からか、玄関からか、のどちらかだけだ。」

真田刑事は玄関と窓をそれぞれ指差した。

「じゃあ、玄関のドアにピッキングの形跡とかがあったのか?」

「いや、それも無さそうだ。」

刑事は続けて言う。

「玄関には被害者が捨てる予定だったであろうゴミ袋が無造作に置かれていたし、被害者は革靴を履いてスーツ姿で倒れていたのを見る限り、被害者は、出勤前にゴミを捨てに行こうとした時に何か忘れ物に気づいて部屋に戻り、そしてその時に偶然侵入していた空き巣に鉢合わせてしまい、襲われてそのまま殺害された……ま、そんな感じだろ。

 ちなみに、現金や通帳が入っていたタンスは荒らされていたが、盗まれてはいなかった。多分犯人は部屋の住人を殺す気はなかったのに、想定外のことが起きちまったから、慌てて逃げたんだろうよ。」

「……おい、今の話、聞いてなかった新情報満載だったぞ。そういう細かいことがわかってるんだったら、もっと早く言えよ。」

「悪い悪い。言い忘れてたわ。」

「まあいいさ。それより、被害者は出勤前にゴミを捨てようとしたって言ったよな?」

「ああ。」

「それじゃあ被害者が殺害されたのは、早朝ってことか。」

「ああ。さっき鑑識からもそう言われた気がする。」

「あのな……仮にも刑事ならもうちょっとしっかりしろよ……。」

「お前がいるならどうせすぐに事件解決できるし、気合い入れなくていいかな~って思うと、つい気が抜けちまうみたいだな。あはははは!」

「いやしれっと俺任せにしようとすんな。お前も手伝うんだよ!」

探偵は他人任せの刑事に呆れていた。探偵はため息混じりに刑事に聞く。

「ちなみに、悲鳴とかを聞いた人はいないのか?」

「え?えーっと……どうだったっけ?」

刑事は部屋の隅にいた警官のところへスタスタと歩いてゆき、その警官へ声をかけた。しばらく裏でボソボソ声で警官と話し合うと、刑事は

「ありがとね~。」

と軽く警官に礼を言うと、男の方に近づいてきて、

「いないみたいだ。」

と探偵に言った。

 ……コイツ、よくクビにならないな。

探偵の冷たい視線をよそに、刑事は話す。

「近くの部屋に住んでいた人たちはみんな外に出ていて部屋を開けていたとか、熟睡していて気づかなかったとか、空き部屋だったとかそんな理由で、被害者の悲鳴とか争った声とかは聞いていなかったらしい。まあ、そもそもこのマンションが壁が厚めで声もあんまり響かないし、防音対策がしっかりしてるからな。それに被害者と犯人が争っていた時は窓と玄関は閉まっていたみたいだし。なんならしっかりとした素材のカーテンもあるから、音があんまり外までは漏れてなかったんだろ。」

「じゃ、なんで事件が発覚したんだ?……というか第一発見者誰?」

「だ、誰だっけ……?」

真田刑事が目を閉じて考え込んでいると、

「…突歩さんの同僚の佐渡さんです。」

と警官が真田刑事の近くに寄って耳元でボソッと呟いた。

「佐渡……ああ!思い出した!そうそう、佐渡さん!」

真田刑事は手をポンと叩く。

「被害者の勤め先の同僚に佐渡さんって人がいるんだが、今日突歩さんと一緒に朝早くから出張に行く予定だったそうだ。で、出発の時間になっても突歩さんが来ないから、どうせ部屋で寝坊してるだろうと思って部屋に起こしに来たらしい。というか、元々突歩さんが起こしに来てくれって佐渡さんにお願いしていたそうだ。

 あ、ちなみにこのことについてはさっきの聞き込みの時に3階の住人たちに聞いて回ったんだが、確かにそれらしいことをマンションの廊下で話しているのを聞いたって人が何人かいたから、嘘ではないと思う。

 あと、その佐渡さんが第一発見者なんだが、アリバイがちゃんと取れているからソイツは白で間違いない。」

「なるほどね……なぁ、ちなみに、死体が発見されたのって具体的に今日の何時頃だったんだ?」

「佐渡さんが突歩さんの部屋に来て死体を発見したのが、えっと……確か7時ぐらいだった、って佐渡さんは言ってたな。」

「朝は朝でも、だいぶ早朝の発見だったのか……。」

「ああ。だからマンションは朝から軽い騒ぎになってたんだってさ。今はもう落ち着いてるけど。」

「なるほどな……。」

「あと、必要な情報はあるか?」

「近くの部屋の人たち、特にこの階の住人の証言を詳しく聞きたいな。そいつらはなんて言ってた?」

「えっと……。」

刑事は懐から出した手帳をペラペラとめくる。

「まさか、証言のメモすら取ってないのか?」

「さ、流石にそんな事はないさ。あ、あったあった。えっとだな……。」

刑事はメモを見ながら、情報を挙げていく。

「まず、この事件現場の303号室の左隣の304号室には、一人暮らしの橋本さんがいる。彼は在宅で仕事をしていて、事件当時は寝ていたそうだ。

もう一個隣の305号室には二人暮らしの水橋さんと生田さん。2人は朝、仕事が早く、事件当時にはもう部屋を出ていたらしい。

左端の部屋、306号室は一人暮らしの戸渡さんの部屋だ。彼は一人暮らしのサラリーマンで、事件当時はゴミを捨てに行ってたそうだ。

そして、右隣の302号室。ここには米田さん一家が3人で住んでいる。高校生の息子、はじきさんと父親の勝さんはすでに家を出ており、母親の優里さんは在宅ではあったが悲鳴は聞いていない、と言っている。

そして右奥の301号室には、一人暮らしの会社員の増田さんがいる。彼女も同様、すでに出勤していて家を開けていたそうだ。」

「うん?なんで優里さんは悲鳴を聞いていないんだ?隣の部屋だろ?」

「彼女自身は、その間にゴミを捨てに行っていたから気づかなかったんじゃないか、と供述している。」

「へぇ~。事件当日はゴミの日だったのか。そういえばここの玄関にもあったな、ゴミ袋。」

「ああ。この地域の燃えるゴミの日は火曜日と金曜日で、事件当日は火曜日だったからな。」

「そっか。……ちなみに、今出てきた人の中で、自分の身の潔白を証明できる人は?」

「いないな。」

「そうか。」

とりあえずある程度の情報は聞けたが……イマイチ、犯人特定には至らないな。

 探偵は頭を回して考える。

 まず、被害者の倒れた体の向きからして、被害者は『家にいた時に、外から入って来た誰かに襲われた』のではなく『家から帰ってきた時に、家の中にいた誰かに襲われた』ことは間違いない。

 また、朝の出勤の時間という目立つ時間にわざわざ人家よりも人目につきやすいマンションに来る必要はないから、犯人は被害者と全く接点のない単なる窃盗や強盗ではないだろう。恐らく犯人はこのマンションの住人だ。

 マンションの住人ではなく被害者の関係者という可能性もなくはないが、可能性はだいぶ低い。

 犯人は、被害者がゴミを捨てに行ったタイミングで家に侵入している。マンションの近くにあらかじめ張り込んでおいて被害者がゴミ捨てに行ったタイミングで部屋に向かった、という可能性もなくはない。だが、部屋に侵入するためにそんな回りくどいことしなくても、被害者の関係者ならば、被害者が泥酔状態の時とか、被害者の合鍵をあらかじめ作っておくとか、もっと効率の良い方法はいくらでもある。

 それに、このマンションには基本的に監視カメラがある。ここの階は偶然カメラが故障しているから良いものの、普通だったら犯行現場をカメラに撮られてしまうリスクを考えて、迂闊には動けないだろう。さらに言えばマンションの同じ階の他の住民にバレるリスクも高い。つまり犯人は、『ここの監視カメラが機能していないことを知っている』かつ『この階の住民の朝の動きを熟知している人』に限られる。

 これらの条件を全て満たすのは、このマンションの3階の住人、もしくは大家辺りだ。だが、大家はマンションのマスターキーを持っているはずだからわざわざ朝を狙う必要はない。すなわち、犯人はマンションの3階の住人の誰かだ。

 ここまでは考えればすぐ分かる。だが、問題はこの先だ。ここからどうやって犯人を絞っていくか……。



「凶器のナイフが見つかりました!」

探偵が犯人をどう絞ろうかと考えていたその時だった。他の刑事が部屋に入ってきて、部屋にいた警察官達全員にそう言い放った。探偵の側にいた真田刑事はすぐさま反応する。

「本当か!一体どこからだ?」

「ゴミ袋の中からです。」

「え?ゴミ袋?」

探偵は思いもよらぬ新情報に目を見開いた。

「はい。マンションのゴミステーションのゴミ袋を漁っていたところ、発見しました。」

「な、なんでゴミ袋を漁ってたんだ?」

探偵がその刑事に質問をすると、真田刑事が代わりに答える。

「ああ、俺が頼んだんだ。なんか怪しいな~って思ってさ。ほら、刑事の勘ってやつ?」

「……ちなみにそのためにどのくらい人員割いたんだ?」

「え?100人くらい?」

「お前な……。」

朝にやったら何台もパトカーが走ると思っていたが、まさかこいつのせいだとはな。人員の無駄遣いとは、まさにこのことを言うんだな……。

探偵は側にいたポンコツ刑事に冷たい視線を浴びせる。

「グァァッ!や、やめて、その俺を見下すような視線!刺さる!」

全身で悶絶しているようなオーバーリアクションを取ってふざけている真田刑事を他所に、その刑事は話を続ける。

「ちなみにそのゴミを捨てたのは、304号室の住人の橋本だと思われます。ゴミ袋の中に彼の宛名の伝票が混じっていたので、ほぼ間違いないかと。」

「なあ、ちなみに見つかったのは包丁だけか?服とか、手袋とかも入っていなかったのか?」

「服、ですか?……いえ、なかったかと思われます。」

「……そうか。」

 おかしいな……事故現場の血の広がり方からするに、殺人犯は被害者の返り血を多少は浴びていて服を汚してしまっているはず。だから証拠を処分するとしたら、普通なら血のついた包丁以外にもその時に着ていた上着や手袋も処分しなければならない筈だ……。一体、服はどこにやったんだ?というか、それより……

「よくゴミ袋を残しておいてあったな。いや、捜査の時は普通こういうもんなのか?」

「いや、そんなことはないぞ?今回の場合は、このマンションの管理人が『もしかしたら捜査の役に立つかも知れねぇ!』って言ってわざわざ残しておいてくれたんだよ。まあ、ここのマンションのゴミの回収が遅めっていうのもあったんだろうがな。」

「ふーん、随分気の利く大家さんだな。推理小説マニアだったりして?」

「ああ、そうじゃなくて、3階の住人の人にゴミを残しておいた方がいいと助言されて、残しておくことにしたらしい。だから、どっちかって言うとその人の方が推理小説マニアなのかもな。ただ単純に気が利くだけなのかもしれないが。ま、何にせよ大手柄だがな!」

「……確かにな。」



探偵は一連の情報を聞くと、手のひらを顔に当てて黙り込んだ。そんな探偵とは反対に、真田刑事は

「よし!気を取り直して聞き込みじゃ!橋本のところへ行くぞ!」

と大声で言った。

「それはいいが……橋本って今どこにいるんだ?」

探偵がそう聞くと、刑事は下を指差して、

「とりあえず、1階の部屋に待機してもらってる。橋本だけじゃなくて、殆どの3階の住民はそこにいるぞ。」

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