第2話

 ヒンヨ・リヒターは来客を送り出すと、部屋の隅にある事務机に向かい、二つのカップに湯を注ぎ入れた。片方のカップに薄緑の粉を匙で一杯投入する。かき混ぜて溶かせばすぐにお茶になる。コバヤシのゴトーにもらったものだがなかなかの優れ物である。

 彼はお茶の用意を整えると、部屋の壁に並ぶ巨大な引き出しの一つを軽く三回叩いた。それに応答するように二回内部をはじく音がが聞こえた。

 リヒターは一回頷くと、引き出しの取っ手に力を込めて引っ張り出した。

「待たせたね」

 中には遺体ではなく、フレアが入っていた。

 彼は白い山羊ひげを生やした痩せた男で正教徒第一病院の医師だが、警備隊の検視官も兼ねている。そして、ローズの協力者でもある。

「さっきまでいたのは特化の人たちですか」引き出しから体を起こしながらフレアは検視官に尋ねた。

 ここは新市街の警備隊聖シュリヒター分署の遺体安置室。フレアは昨夜の被害者がこの分署に運ばれたことを知りやってきたのだが、魔導騎士団特化隊の訪問により遺体を収納するための引き出しの一つに隠れることになってしまった。

「そうだ。わしが呼んだんだよ。遺体の状態が奇妙だったものでね。君には待たせることになってすまなかった。中は窮屈だっただろう」

 遺体を収める引き出しがどのようなものか、興味が湧いたフレアだったが内部にあったものといえばわずかな薬品臭だけ、血や体液、その他の人の痕跡は綺麗にぬぐいとられていた。

「清潔感はありますが、床が硬くて寝心地は最悪ですね」

 フレアは寝台から降りて衣服を整え、わずかに間だが間借りしていた寝床を元通りに押し込んだ。

「なるほど、そういう評価を受けたのは始めてだよ。そこを使う者は皆無口だからな……」検視官はフレアに白湯の入ったカップと保護眼鏡を手渡した。自分はコバヤシの緑茶である。

 フレアはカップを受け取り両手で包みこみ、その暖かさを楽しむ。暖かな飲み物は好きなのだが少し冷めてからでないとからでないと口にすることはできない。

「彼はどこに?」

「そこにいるよ。君のような美女までが面会に来るとは、あの青年はえらい人気者だな」検視官は部屋の中央の白いシーツを被せられた遺体を指差した。

 ささやかなお茶会の後、検視官はマスクと保護眼鏡を掛け、そばに置いていた保護用の手袋をはめた。そしてフレアが眼鏡を掛けたことを確認し、シーツをめくりあげた。

 現れたのは死亡して半日ほど経過した青年の遺体。衣服は脱がされ胸の傷があらわとなっている。昨夜旧市街で発見された遺体である。

「隠れている時に聞こえていたかもしれないが、改めて説明しよう。殺害された青年の致命傷は胸に受けた傷。凶器は幅の広い両刃の剣と思われる。胸から背中にかけて刺し貫かれている。剣が高熱を帯びていたのかのように、胸に受けた傷の周囲は黒く焼け焦げている。背中の状態も同様だ。それ以外は目立った外傷はない」

「酷いことしますね」胸の傷を見たフレアは顔をしかめた。狼人であるフレアも多数の命を手に掛けているが、獲物は極力苦しめないよう心がけていた。

「確かに正気とは思えない行為だが、腕はかなりのものだよ。おそらく抵抗する暇もなく一撃だったんだろう。抵抗した様子がない。眠っていたならならべつだが…」検視官は遺体の手を取るなどしフレアに見せた。

「犯行はともかく特化や白服にどう関わりがあるんですか?」

「君も彼を詳しく見てみればわかると思うよ。どうにも傷の状態が奇妙なんだ。それで特化に連絡した。特別部の方には誰も連絡はしていない。こちらが通報を受けて駆けつけてから、たいして時間も経たないうちに押しかけてきたそうだ」

「彼は白服に目をつけられていた……?」

 白服こと修道院特別部は帝都に仇なす異端者や邪教徒と討滅することを任務としている。そしてその疑いがあるものは監視対象となる。

「まあ、見てくれ」検視官はフレアの興味を不幸な青年へと戻す。

「この青年の致命傷となった傷だが、火傷は皮膚の表面だけで内部の組織には火は通っていない。普通の刃物による損傷だ」

 検視官が器具によって開いた傷の内部は確かに生のままだった。

「確かに剣が高熱を帯びていたならその刃が触れた部分はすべて火傷するはずですよね」

「そうだろう」

 検視官はここで青年の元から離れ、部屋の隅にある事務机に向かった。手袋外し、茶の入ったカップを手に取り解説を再開する。

「第一発見者はこの青年を最初見た時、眠ってるんだと思ったそうだ。特に出血も見られず、争った様子もなかった。飲み過ぎたんだろうと思ったらしい。それで起こそうとしたところ胸の傷を発見、大慌てで通報ということらしい。彼の身に着けていた衣服は剣に刃で裂けて若干血で汚れているだけで、高熱による焦げ跡などは見られない」

「つまり、彼はどこか別の場所で殺された後、服を脱がされ、傷の周りを焼かれて、再度服を着せられて、あの場所に放置された?」つぶやくフレア。「何のために?」

「わからんね。想像もつかん。それか妙な得物が絡んでいるか」

「それで特化に連絡を入れたんですか」

 妙な得物、つまりは呪われた武器、武具の類である。それが出てくれば当然魔導騎士団特化隊の出番となる。

「その方がいいだろうと思ってね」




 新市街の商店の灯りが輝き始めた頃、フレアは急ぎ足で塔へと戻ってきた。近所の幾人がそれを目撃したが、あえて声をかけることはなかった。日没を迎え、もうローズが目覚めているに違いない。そんな時に足止めしては気の毒というものだ。

 フレアは玄関から入ってすぐに郵便物の確認をした。玄関扉の投入口から投げ込まれたはずの新聞や郵便物は床に散らばってはおらず、既に誰かの手によって片付けられた様子だった。誰かといってもこの塔には二人しか住んでいない。

 塔は最上階のローズ達の居室までは吹き抜け構造となっている。そこまで行くためには、塔の壁から張り出した手摺のない長いらせん階段を延々と登るしかない。吹き抜けを昇降に使えるのはローズのみで他の者は落ちることしかできない。そして二人のうちどちらかの案内がなければ、来客は階段に仕掛けられた多数の魔法罠の出迎えを受けることになる。なお地下は魔法罠満載の書庫とローズの作業室となっている。

「おはよう、頑張っているようでなによりだわ」ローズは全力疾走でらせん階段を駆け上がり、居間に飛び込んできたメイドに労いの言葉を投げた。

 全力疾走の良いところは、とりあえず頑張っていますというアピールができるところと、遠心力により壁に押し付けられ落ちる危険が少なくなることである。

「おはようございます、ローズ様」

 既に部屋着に着替えを済ませているローズは椅子に座り新聞を読んでいる。傍の脱衣籠には寝間着や下着がきれいに畳んで収められている。テーブル上には巨大な封筒と複数の郵便物。その中のいくつかは既に開封されている。

「これはあなた宛だと思うわ」ローズはテーブルの上に置いてある複数の封筒の中から一つを選びフレアに投げ渡した。これはまだ開封されていない。

 それは地味ながら分厚い高級紙を使用した封筒。住所の表記はなくアクシール・ローズ殿と宛名だけが表に書かれている。郵便局を介さず直接玄関扉に投げ込まれた物らしい。裏には差出人である魔導騎士団特化隊隊長フィル・オ・ウィンの署名がある。逆成長の呪いを受け姿は子供と変わらないが、帝都において全能力解放時のフレアと対等の力を持つ者の一人である。そのため彼の部隊は帝都の治安維持の他、ローズたちの常時監視の任務まで押し付けられている。

 フレアは人差し指の爪を伸ばし、封蝋をはがした。ペーパーナイフにもなる便利な爪。中に収められていたのはいつもの抗議文書。フレアはおそらく今朝分署でヒンヨ・リヒターと会った件だろうと推測した。あのような子供だましが通用する連中ではないのはわかっている。彼らはつまらない騒ぎにリヒターを巻き込まないように見て見ぬふりをしていたのだ。抗議文は毎回ほぼ同じ文面で遺憾の意を現す内容となっている。フレアは一瞥した文章を封筒に戻すとそのまま屑籠に投げ込んだ。

「昨夜の件だけど、新聞では被害者はスラビア絡みの地下組織とのトラブルに巻き込まれたのではないかという話だけど」

 昨夜事件現場に白服が現れた理由に興味を持ったローズはフレアにその調査を命じていた。今夜はその成果をフレアが披露する時である。

「確かに彼はスラビア出身で間違いありませんでしたが、それはないと思います。内容は担当記者の創作でしょう。取材すらしていないに違いありません。その筋の知り合い何人かに聞いてみたんですが、誰も彼のことは知りませんでした。彼らによると、制裁なら奇妙な胸の傷一つですむわけはないし、そもそもあのような場所に遺体を放置することはありえないという話です。第一に最近は組織内外でも目立ったもめごとはないそうでいたって平和だそうです」

「その話に嘘はなさそう?」

「はい。嘘をつくと後が大変なのは彼らも知っています」

「それならあなたは犯人像をどう考えているの?」

「正気とは思えないが、腕は立つ奴というところでしょうか」フレアは検視官リヒターの言葉の引用した。

「犯人は被害者の胸に両刃剣を突き立て、一気に背中まで貫通させたと思われます。押さえつけられた痕跡などもないことからかなりの手練れでしょう。初めは仕事を終えて帰宅中の彼が犯人にさらわれ、危害を加えられた後遺棄されたと考えたのですが、時間的に不可能と思われます。被害者の青年は勤め先のあの近くの鉄工所で、そこでの勤務時間が終わってから、帰宅中のあの場所で何者かに襲われたのでしょう。鉄工所を出た時間から見てそう考えざるえません。問題は説明のつかないのは彼の様子です。傷の出入り口はひどい火傷なのに中は生な点、他にも現場に血痕など痕跡がない……」そこまで話してフレアは言葉を詰まらせた。ローズの表情がいつになく真剣なものにかわったためである。

「続けなさい」ローズが低い声で言う。

「はい……さらに身に着けていた服に熱による損傷などが見られないなどです」

「それは確かなのね」

「はい、朝は検視官がリヒター先生でしたので、詳細を聞いてきました。すべてメモに取ってます」フレアはエプロンのポケットから手帳を取り出しローズに手渡す。

 リヒターの所見に目を通すローズ。簡単な図解も添えられている。

「ここで会ったが百年目とは、よく言ったものね。そろそろ終わりにしないとね」ローズが呟いた。

「え、何です?」ローズのつぶやき声は微かなものだったが、フレアは聞き逃さなかった。

「あぁ…、犯人、ではなく凶器に心当たりがあってね。とんでもないものが現れたのかもしれないわ。ある魔器、今回は呪われた剣なんだけど、それを使えばあなたが説明してくれた状態の遺体を、現場で手早く作り出すことができるのよ」

「あ、それじゃぁ、それを探すことになるんですね。……と言ってもどこから手を付ければいいか見当もつきませんが……」

「まぁ、落ち着きなさい」ローズは手帳を閉じフレアに手渡した。

「犯人に何らかの意図があって、手の込んだ儀式めいた行為をしたとも考えられるけど、その線は気にしなくてもいいわね。そちらは警備隊や特化に任せておけばいい」

 ここでローズは黙り込んだ。ややあって……。

「凶器がわたしの考えているものであったとしても、この百年間、帝都に隠されていて、今になって活動を始めたとは考えにくい。そうなるとそれはつい最近帝都に持ち込まれたことになる。以前ならともかく、今あのような剣を持ち込むことは相当困難を伴う……」

「持ち込む者は特別な権限があるか、入都審査を回避する手段を持っている。何をするにしてもそれなりの対価は発生するし、痕跡が残る、たとえば不正の痕跡がね。こちらはそれを探してみてはどうかしら。わたし達の知り合いにいるでしょ。そういうことに妙に詳しい人が……」

「あぁ、そういうことなら、わかります」フレアはそういう事情に詳しい知り合いを思い浮かべた。「その剣の特徴について詳しく教えてもらえませんか。剣の大きさ形とか派手な飾りがついているとかいうような特徴です。分かれば話もしやすいですし」

「それがね。はっきりしないのよ」ローズは少し気まずそうである。

「どういうことですか?」

「剣に内包された精霊の力なんでしょうけど、意識操作の力を持っているようで、近寄ってきた人たちに幻影を見せるようね。頭の中に理想のお宝が視覚化されて見える。そんなもんだから伝わっている姿がまるでバラバラで、ある時は金ぴかの両刃剣、ある時は宝石まみれの宝刀といった具合にね」

「面倒な話ですね」

「こうしましょう」ローズの言葉を合図に巨大な封筒が浮かび上がり、フレアに向かい飛んだ。

「これはニール先生から翻訳依頼のあった文書です。昨夜のうちに仕上げてあります。これを先生にお渡ししてから剣についての講義を受けてきなさい。あの方の魔法遺物、魔器に関する見識かなりのものです。剣に関してはわたしより遥かに見識があると思うわ。先生にはわたしからその旨連絡を入れておきます。いってらっしゃい」

 ローズは様々な事柄に手を出している。豊かな語学知識を利用しての翻訳もその一つである。ニールの所属する魔科学研究所もニール自身もローズの素性を気にはしていない。勿論、彼女に渡す文書は慎重な検討がなされてはいる。

 フレアは差し出された封筒を胸に抱き出口へと向かった。

 ローズはニールに連絡を取るべく、立ち上がり壁に設置してあるコバヤシ式通信機へと向かった。洒落た名前が付けられ売り出されているが、結局これも皆でコバヤシとよんでいる。ローズには今もって理解しがたい力で動いている機械だが、相手が同じ物を持っていれば誰であろうと速やかに連絡を取ることができる。今、この機械は公的機関や富裕層そして商店などを中心に普及を始めている。

 ローズは通信機が「お話したい方の番号を入力してください」と表示したときに大事なことを思い出した。

「そういえば、昨夜なぜ白服はあの現場にいたの?警備隊の要請?」元はと言えば、これが一番の疑問だった。

「いいえ、何の連絡もなくいきなり現場に現れたようです。金縁眼鏡は検視まで立ち会ってから帰ったそうですが、他はその現場で撤収、彼等からは特に何も説明はなかったそうです」

「なにそれ?」

「なんでしょうね」

 フレアは扉へと向き直り戸外へと出て行った。

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