第4話 旅立ち

 明け方近く、エドマンドを見送った私は、私室に戻って旅支度を整え始めた。


 色々な用途に使う部屋には、薬品、食器、火種や灯りなど、旅に持っていくのに適したものは大抵揃っていて、軍の備品を拝借した頑丈なザックがベッドの下で埃を被っているのを探し出せれば、あとは必要なものを手あたり次第詰め込むだけでよかった。


 ザックの埃を叩いてベッドに乗せ、まずはサイドチェストの上にある調理用の小鍋と、ブリキのカップを手に取った。


 引き出しを開けて見つけた、各種身分を証明する書類や小さな装身具は、革のケースに入れて内ポケットに突っ込む。関所の通行手形は期限が切れていたが、ハビオリ川を越えるまでは家紋が融通を効かせてくれるだろう。


 薬品棚から、着火剤、軟膏、解熱剤などや、すり鉢で調合して使う、何がしかの効力のある粉末や鉢植えの植物をいくつか採取し、それぞれ缶に小分けして、手ごろなポーチに纏めてから、小鍋の上に置いた。


 いくつかの書物は、読む以外にも然るべく売れば路銀が尽きても少しは足しになる。植物図鑑や、地理・地形に関する本は、まあ実用的といえなくもない。


 カンテラ、ロウソク、油を入れた金属の瓶。火打石は―――一応入れて置くことにした。


 嵩むのが気にかかるが、“学院”の徽章をつけたローブを丸め込み、それから少しの保存食、しばらくは水源に困ることはないが、水筒の革袋もいずれは必要になるはずだった。


 狩猟用のナイフをホルスターに収め、財布、手提げ式のランタンはベルトに通すことにして、あとは旅装に着替えるだけになったとき、部屋の入口から私の作業を見守っていた青年が、頃合いと図ったらしい声を投げてきた。


「軍人はそれにテントも載せて背負うんですよ」


 私は肩越しに彼のほうを振り返った。まだ騎士ではない青年は、確かにできるだけしおらしくいようと背を縮こめて立っていたが、通り一遍の礼儀作法は身に着けていないようだった。


「従軍の経験があるんだね。あー、サー?」


 昨日からの慌ただしさに紛れ、私は彼の名前を聞くのを失念していた。或いは、聞いていても酒にすっかり洗い流されてしまっているのかもしれないが。私が矮躯を駆り立てて彼の側まで歩み寄ると、青年は苦笑したが、さして気にした様子ではなさそうだった。


「チェルネです。生まれはヨトゥンのレオグラード。恐縮ですが、卿と呼ばれる身分ではありません」


 青年は私の差し出した手を遠慮なく握り、聞かない姓を名乗った。


 大抵の場合、騎士とはある程度の軍事的指導力と兵士の動員力を持った自由民を、その土地の貴族が従属させたもので、騎士分の子弟が後を継ぐには、世襲するに足る功績を立てなければならない。一方で先祖が騎士に任じられるだけの軍事力を持っていれば、当主が従軍せずとも功は得られ、古くから貴族に仕える騎士なら自ずと家名が固定されるものである。


 少なくともエドマンドや彼の身辺の貴族、ヨトゥンの領主にもそういう姓の騎士はいなかった。


「ヨトゥンか。あそこの伯爵とは面識がある。ご令息とは戦場で会わなかったかな」


「ええ、数度彼の指揮下で戦いました。ご息女には一度会食の場で見えた覚えがあります」


 おそらく彼の家系は地元の名士ではあるのだろう。ヨトゥンの伯爵は、十数年前に軍事演習で負傷して以来、広大な領地を官吏に任せて居城に引きこもっている。見たところ二十代にさしかかるくらいの青年が過去に城に招かれ、今年十五になる娘と食事をともにしたことには何かしら意味があったはずである。


「ジェラルドとは古い馴染みでした。此度の戦も彼が誘ってくれたんです」


「そうか。惜しい人だった」


 伯爵の子息は優秀な将軍だったが、そのために激しい戦場で命を落としていた。


「ええ、しかし必要な犠牲でした」


 私は青年が思いのほか割り切れた様子でいることに驚いた。


「その場ではね。我々政治家がうまくやっていれば、そもそも戦にはなり得なかった」


「私が側にいれば死なせませんでした。彼の指令で私は別動隊を率いて王子殿下の救援に赴き、結果ジェラルドは死んだのです。お気遣いはありがたく受け取りますが、本当は殺されなくて済んだはずだと彼の墓に言いたくはありません」


 若くして名の知れた騎士、或いは兵士というものは、皆大抵自信と誇りに満ち溢れ、時としてそれらに溺れてさえいるものだが、彼には寧ろそういう輝きを忌避するような陰があった。


 髪と同じく青い目、眉は濃く、唇は血色が薄い。人当たりは柔らかだったが、眉間には常に思い詰めたような皺が寄っていて、怜悧そうな顔立ちに険しさをつけ添えていた。

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