第3話③ 没案
私は自分の手で扉を開けるつもりで階段を駆け下りたが、間一髪遅く、新しく雇った使用人の男が錠を解いてしまっていた。
気を利かせたつもりの男は、目と鼻の先に立っていた長躯の青年に面食らったが、すぐに取り直し、慇懃に礼を尽くした。仮に相手が普段の来客であれば、私は彼に感心していたかもしれなかった。
ただもう既に、エドマンドという人間に対して、彼が取り返すことのできる点はとうに踏み越えてしまっていたのだった。
「アレックス、友よ。私は此奴に戸を開けよと命じたか?君ではなく、この小男に?」
殿下は両手を腰にあてがって小さく鼻を鳴らし、目つきだけで男を見下ろした。
「いいえ……しかし遅れたのは私ですから―――」
私は無理を承知で彼を庇おうとしたが、殿下は汗に濡れた手のひらをこちらに向けて遮った。
「では首を打たねば」
有無を言わさぬ口調に観念し、私はまだ二、三段残っていた段を徐に降りきった。
勇敢で、高潔な貴公子が唯一持って生まれた双極的な瑕疵が、私に向けられたことは一度もなかったが、しかしだからこそか、彼は私に会う度、見せつけるかの如くその嗜虐的な一面を露にするのだった。
私が必要以上に時間をかけて階段を下りる間に、殿下の側仕えらしき青い髪の青年が剣を収めた鞘を捧げ持って現れ、殿下は馴れた所作でその柄に手をかけた。
私は玄関のドアマットが、三日前の羊の屠殺で汚れたものを少し奮発して取り換えたばかりの新品だったことを思い出し、咄嗟に制止しようとした。
「殿下!なさるにしてもほんの数歩お下がりいただき、外で―――」
言い終わらぬうちに殿下は剣を引き抜き、鋼の一閃を、男の肩口に振り下ろした。
鉄が骨を打ち砕く鈍い音がし、血肉は口いっぱいに頬張った果実を噛み潰した時のような瑞々しさでばちゃばちゃと跳ねた。胴の中ほどまで割り裂いた剣は、その中途半端な長さのために途中で体外に抜け出してしまい、殿下は不服そうに苦笑いした。
「四年も戦場から遠ざかっていては、腕も鈍る」
殿下は足下で妙な体勢に頽れ、まだびくびくと痙攣し続けている使用人を蹴り除けながら、金糸銀糸の散りばめられた礼服の袖で顔中についた返り血を拭った。
「湯浴みの手間が省けたかな」
私は殿下を応接間に通したが、彼は使者のために用意したまだ温かい茶をたったままがぶりと飲み干すと、私の私室を見たがった。
「ああ待ってくれ。そこの愚図も連れていく」
応接間を出るとき、殿下は部屋の隅で縮こまって息を潜めていた使者を顎で指し、少年は騎士のひとりに首根っこを掴まれ、まるで聞かん坊のように引きずられた。
「アレーックス!どっちだ?君の部屋は!」
私はほとんど書斎のように煩雑した自分の部屋を見せることを躊躇ったが、殿下は庭に埋めた骨を探す子犬のようにはしゃいでずかずかと廊下を歩いて行った。
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