建国祭 5


 ◇



 イノが倒れている。


「イノちゃん!イノちゃんしっかりしなさい!」


 マリア院長がイノを介抱している。イノは返事をしない。イノの様子を確認しないと。

 脚が震える。ゆっくりとイノに近づく。


 血だ。頭から血を流している。マリア院長が止血している。当てたハンカチが赤く染まっていく。それだけじゃない。顔は腫れているし、服は擦り切れている。その下の肌に擦り傷が沢山付いている。ボロボロだ。


 身体が動かない。石になったようだ。

 指先が冷たくなる。視界が暗くなる。心臓がうるさい。頭が働かない。


「アニキ!やり過ぎですよ!」


「だ、黙れ黙れ黙れ!あのガキが突然出て来るからだ!」


 耳障りな声がする。呆然としていた意識が覚醒した。


 あいつだ。全部あいつのせいだ。あいつを許すな。


 手足に力が入る。全身に血が巡る。身体中が熱くなる。爪が食い込むくらい強く拳を握る。


「に、逃げましょう!捕まっちまう!」


「お、おう!そうだな!」


 頭が真っ白になった。



 ◇



 イノちゃんが吹き飛んだ。硬い地面の上を勢いよく転がった。鈍い音がして止まった。動かない。

 マリア院長が何かしている。リオも近くにいる。わたしもいかないと。


「イノちゃん……?」


 返事は無い。

 マリア院長の後ろからイノちゃんの様子を確認する。


 赤い。血がでている。白い肌が傷だらけだ。服にも血が滲んでいる。

 可愛い顔は赤黒く腫れている。口の端から血が垂れている。


 身体に力が入らなくなってしゃがみ込む。痛々しいイノちゃんの姿を見ている事が出来ない。現実だと思えない。夢であって欲しい。


「ローザちゃん!お医者さんを呼んで来て!」


 そうだ。お医者さんを呼ばないと。だけど、脚に力が入らない。身体が震えている。急がないとなのに。

 もう一度イノちゃんを見る。さっきと何も変わらない。だけど、木の板を抱えている事に気付いた。露店の看板だ。傷だらけなのにギュッと抱えて離さない。


 もしかしたら目を覚ますかもしれない。一言でいい、声が聴きたい。いつもみたいに、ムスッとした顔でいいから。そうしたら頑張れるから。


「イノちゃん……お願い返事して……」


 だけど、やっぱり返事は無い。小さな腕は力を無くして、看板はカランと音を立てて落ちた。



 ◇



「やだ……やだよ……イノちゃん起きて……」


 ローザはよろけながらイノに近づく。


「ローザちゃん!しっかりしなさい!」


 マリアの声は聞こえていない。


「こんなのやだよ……!」


 瞳から涙が溢れ出て止まらない。嗚咽が収まらない。イノの手にそっと触れて泣き続ける。


 ローザは動けない。


「誰か!お医者さんを呼んでください!お願いします!」


 遠巻きに見ていた人々が騒めく。何人か包帯や傷薬を持って来て、手当を手伝ってくれる人もいる。


「ひでぇな……」

「嬢ちゃん、しっかりしな。もう直ぐお医者さんが坊主を助けてくれるからな」

「邪魔だよ!道を開けな!」


 マリアは少しホッとした。子どもたちの手前、表には出していなかったが、気が気でない状態だった。手伝ってくれる人がいる。それだけで少し不安が和らいだ。


 周囲に目を向けて状況を確認すると、離れた所で孤児院の子どもたちが泣いている事に気付く。マリアは手を離せない。ローザも動けない。頼めるのはリオしかいない。マリアはリオを探す。


「リオちゃん!どこにいるの!?」


 返事はない。リオの姿が消えてしまった。そして同時に大男たちの姿もない事に気付く。血の気が引いていく。嫌な予感がする。だが、イノとローザを放っておく訳にはいかない。マリアの不安は増していく。


「ごめん……ごめんねイノちゃん……。わたしが止めなきゃいけなかったのに……」


「ローザちゃんのせいじゃないわ」


「わたしが止めていたら、イノちゃんは怪我しなかった……」


 ローザの独白は止まらない。


「わたしの方がお姉ちゃんなのに……。わたしが守らなきゃいけなかったのに……」


 ローザの嗚咽が漏れ聞こえる。

 自分よりも小さな手を優しく握って、うわ言のように謝罪を繰り返す。


 マリアの言葉も、治療を手伝う人々の声も、ローザには届かない。


「もう、絶対、イノちゃんに怪我させないから……!」


 重苦しい空気が漂う中、ゆっくりと変化が訪れる。


「わたしがイノちゃんを守るから……!」


 ローザの身体が淡く輝き始める。


「ローザちゃん……?」


 柔らかく、温かい光が周囲に広がる。ローザの手からイノの手へと光が流れ込み、イノの全身を包み込む。


「何、これ……?」


 ローザは困惑した。このような不思議な力はローザには無かった。この光が何をするのかわからないし、制御も出来ない。イノに何かあったら大変だ。


 ローザは手を離そうとしたが、微かな変化に気付いた。握っている手の傷が塞がり始めている。


「……っ!」


 ローザは確信した。この力でイノを助けることが出来る。しかし、もちろん力の使い方なんて分からない。とにかく思い付いた事を全部やる。集中する。全身に力を入れた。歯を食いしばった。手から力を送り出すイメージをした。元気なイノの姿を思い描いた。強く強く祈った。


「……絶対、助ける!」


 全員が固唾を飲んで見守っている中、変化が現れる。頭から流れる血が止まる。顔の腫れがゆっくりと引いていく。身体中の擦り傷が塞がっていく。

 その場の誰もが目を奪われた。


「奇跡だ……」


 誰かが呟く。


「あぁ。女神様の祝福だ……!」


「ありがとうございます。女神様」


 それに続き、周囲の人々は感嘆し、拝む。

 先程までの緊張感は霧散していた。


 そして、そう時間が掛からない間にイノの傷は完全に塞がった。


「もう、大丈夫だからね……イノちゃん……」


 ベッドで眠っているような穏やかな寝顔を見て、ローザに笑顔が戻る。ローザはイノに重なる様に倒れ、意識を失った。


「医者だ!通してくれ!」


「ルミナス騎士団の者です。何があったかわかる方はいますか?話を聴かせてください」


 ようやく医者と兵士が到着した。


「こちらです!私が話します!」


 まだ解決ではない。リオを探さなければ。マリアは全てを話し、リオの捜索と、イノとローザの介抱を依頼する。

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