建国祭 4

「ダメだ、しっかりしないと……」


 今はお客さんがいない。緊張する前の状態にリセットしないと。

 目を閉じて深呼吸。集中。集中。



「うるっせぇ!祭りだぞ今日は!俺はまだまだ飲むぞ!」



 心臓がきゅっと縮まったような気がした。

 祭りで賑わう喧騒の中から男の怒声が聞こえた。その方向に目を向ける。


「アニキ、ちょっと水飲んだほうがいいんじゃねぇですか?」


「黙れ!もっと酒買ってこい!祭りだぞ!」


 混み合っている道の真ん中に不自然に空間が出来ている。誰もが関わらない様に男達を避けて歩いている。


 酔っ払った大男が一人。小柄な男が一人。『ルミナスストーリー』の記憶と人数が一致する。


「ちょっとアニキ、飲むなら酒場に行きましょうぜ。見回りの兵に見つかったら面倒くさいっすよ」


「俺に指図するな!いいからツマミでも買ってこい!」


 大男の方はまさに筋骨隆々だ。腕力だけなら兵士にだって引けを取らないだろう。片手に酒瓶を持っており、喚き散らす合間に喉の奥へと流し込んでいる。もう一人の男は大男と比べると小柄だが、体格は平均的な大人の男性と変わらない。特に目立つ特徴は無く、大男の事をアニキと呼んでいる。『ルミナスストーリー』の記憶と特徴が一致する。


 ついに来た。リオとローザ、二人にとって初めての困難。

 二人が英雄となる物語の第一歩がこの場面だ。この後、あの大男はボクたちの露店に目を付けて絡んでくる。


「なんか美味いもんはねぇのかよ」


 大男は周囲にある出店や露店を見回す。そして一点、ボクたちの露店で視線を止めた。


「ああん?なんだありゃ?おい、見ろよ。汚ねえ店があるぜ」


「アニキ止めましょうって!マズいっすよ!」


大男は嫌らしく、歪んだ笑みを浮かべて近づいて来る。


「マリア院長、チビたちをお願いします」


「いいえ。リオちゃん、私に任せなさい。ローザちゃんはみんなの事をお願いね」


リオとマリア院長も男たちの危険な様子を感じ取っていた。二人は子どもたちを下がらせて露店の前に出る。


「マリア院長、リオ、気をつけて……」


「イノ兄ちゃん、怖い……」

「リオ兄ちゃんとマリア院長、大丈夫だよね?」


「大丈夫だよ。みんな離れないように」


 子どもたちは不安そうだ。泣き出しそうな子もいる。


「ローザ」


「イノちゃん……。二人とも大丈夫かな……」


 ローザも同じく不安そうだ。リオ達に視線を向けたまま、祈るように手を組み合わせている。


「大丈夫だよ。ほら、子どもたちが不安そうだからしっかりして」


 年長のローザが不安そうにしていたら子ども達はもっと不安になるだろう。

 ボクはローザの背中をさすって落ち着かせる。


「……もう、わたしの方がお姉ちゃんなのにな」


ローザはパチンと自分の頬を叩く。気合いを入れたようだ。


「ありがとうイノちゃん。……よし、みんな大丈夫だからね!落ち着いて」


子どもたちはローザに任せて大丈夫。

改めて、リオたちに目を向ける。


「おい婆さん、なんだよこの汚ねえもんは?まさか店じゃねえよなぁ!?」


「お兄さん、あまり大きい声を出さないでちょうだい。子どもたちが怖がってしまうでしょう?」


「だったらこのゴミを片付けてさっさと帰ればいいじゃねぇか!なぁ?おまえもそう思うだろ?」


「アニキ、マズいですって……」


「おっさん、いい加減にしろよ」


 リオが一歩前に出る。

 この後だ。この後、リオに腹を立てた大男が立て看板を蹴り壊す。そしてリオが殴り掛かるが、逆に殴り返される。その前にリオを止めるんだ。


「なんだガキ、文句あんのか?」


「冷やかしならさっさと帰れよ。酒臭いんだよ」


「リオちゃん。落ち着きなさい」


 マリア院長の制止する声はリオに届いていない。


「舐めてんじゃねぇぞガキ」


「帰らないってことは、まさかクッキーが欲しいのか?厳つい顔してるのに可愛いじゃん。似合わないぜおっさん」


「殺すぞガキ!」


 大男は酒瓶を地面に叩き付ける。瓶の割れる耳障りな音が響き、酒瓶の破片が辺りに散らばった。周囲の人々も危険を感じ取り、距離を取って観察している。

 大男は激昂していて、リオに向かって一歩踏み出した。


 リオと大男の間にはみんなで作った立て看板がある。あと数歩で辿り着く距離だ。


「楽しく飲んでたのによぉ!てめぇのせいで台無しじゃねぇか!」


「絡んできたのはそっちだろ」


「黙れ!目障りなんだよ!親無しの捨て子がイキってんじゃねぇ!てめぇ等は邪魔なんだよ!」


「おまえ……!」


「黙りなさい!なんて事を言うのですか!」


 リオよりも先にマリア院長が怒る。優しいマリア院長が怒る事は滅多に無い。


「黙れ婆ぁ!てめぇ等はゴミなんだよ!ゴミがゴミ作ってゴミ売りやがってよぉ!」


 大男が立て看板の前に立った。まだだ。動くのは大男が立て看板を壊してから。あの男が被害を出した事をきっちり説明して兵に引き渡してやる。


「何がクッキーだ!てめぇ等が作ったもんなんて食える訳ねぇだろ!」


「おい、それに近付くな」


「汚ねえ板切れがそんなに大切かよ!」


 弱みを握ったと思ったのか、大男は歪んだ笑みを浮かべた。


「汚ねえ字だなぁ!それに何だこれ?虫か?」


 立て看板には子どもたちが頑張って描いた、クッキーやリオたちの似顔絵が描いてある。大男が言っているのはそれだろう。


「おまえ、いい加減に……」


「気味が悪いぜ!目の毒なんだよ!」


 大男は脚を後ろに引き上げる。

 いよいよだ。言い逃れできないように、大男が立て看板を蹴り飛ばしてから間に入り込む。リオを抑えて、見回りの兵が来るまで何とか時間を稼ぐ。



 さあ、やってみろ。兵に突き出してやる。



「やめろ!」



 リオの叫び声にドキッとした。その言葉が自分に向けられているように感じたからだ。


 時間の流れが突然遅くなったように錯覚した。


 ボクは今何をしているのだろうか。大男が立て看板を破壊するのを見ている。いや、違う。大男が明確に被害を出した事を証明する為、壊されるのを待っている。


 リオとマリア院長はあんなに怒っているし、ローザと子どもたちはあんなに悲しんでいるのに、ボクはどうだろうか。壊されても何とも思わないのだろうか。ボクはそんな人間なんだろうか。


 リオとマリア院長が怪我をしないように考えていただけで、他の事はどうでも良かったのかもしれない。


 あれはみんなが頑張って作った物だ。壊れたら悲しむのは当然だ。それなのにそんな簡単な事に気付かなかったのは何故か。


 それはきっと……。


「ダメ!イノちゃん!」


 気付いたら看板を抱え込んでいた。目の前に大男の脚が迫る。


「イノ!」

「イノちゃん!」


 リオやマリア院長、ローザの叫ぶ声が遠くから聞こえた気がした。

 硬い革靴の底が顔面に叩き付けられた。視界がグルグルと回って、硬い何かに後頭部がぶつかる。回転が止まる。


「な、何だあのガキ。いつの間に現れやがった?」


 抱えた看板を見る。完全には守りきれなかった。転がったときに傷がたくさん付いてしまった。子どもたちが描いた絵は所々剥げてしまった。


 悔しい。


 ボクはきっと『ルミナスストーリー』の物語を見ている気になっていたんだ。リオとローザが主人公で、ボクはそれを見る読者だと思い込んでいた。だから、何処か他人事のように感じていたんだ。でも今は、身体中に付いたすり傷の痛み、顔の腫れの熱さ、大男からバカにされた怒り、看板の文字が汚い事の恥ずかしさ。色んな感情が沸いて来て、悔しくて涙が出て来た。


 抱えた看板で顔を隠して、目を閉じて、そのまま意識を失った。

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