第3話 婚約の解消を希望いたします
私はまず、王太子の浮気相手として排除してきたご令嬢たちの行方を追った。断罪される要素を減らすため、心から謝罪して歩くことにしたのだ。
少々やり過ぎた制裁をなかったことにできないかもしれないが、せめてもとの暮らしに近づけるよう精一杯償いたい。もう王太子となんやかんやあったのはどうでもいいので、とにかくご令嬢たちのマイナスにならないように配慮した。
もう何人目になるか、今回は侯爵令嬢であるレイチェル様へ謝罪にやってきた。
「あの時は大変申し訳ございませんでした。いくらクリストファー殿下に浮気されたからといって、怒りをぶつける先を間違えておりました。レイチェル様に弁解の余地も与えず、一方的に処罰するような真似をして本当に申し訳ございません」
「そんな……! お顔を上げてください、ユーリエス様! クリストファー殿下の誘いを断り切れなかった、わたくしの責任でございます。お怒りはごもっともでございます」
「いいえ、あの件で婚約を破棄されたと伺いました。そちらも正しく事実をお伝えし、なんとか……」
「よろしいのです。あのお方はもう別の方と結婚されましたから」
寂しそうに笑うレイチェル様に胸が締めつけられた。詳しく調べてみると、実はレイチェル様はクリストファー殿下に無理やり関係を迫られたということだった。
確かにこの国の王太子とふたりきりの時に命令でもされたら、いくら侯爵令嬢といえども断るのは難しい。王族であることを盾にして圧力をかけると脅せば、なにもかもあきらめて家のために自分を差し出すのが貴族令嬢だ。あの男はどこまでもクズだ。
「それでは私が新しいお相手をご紹介いたします。誠実で、しっかりとレイチェル様のお話を聞いてくださる殿方を探してまいりますわ!」
「……わたくしのような傷物をもらってくださる方がいらっしゃるなら、どなたでもありがたいことですわ」
「お任せください。責任もってご紹介いたします。レイチェル様が気に入られるお方に出会えるまで、探し続けますわ。それと——」
私はピンク色の包装紙でかわいらしくラッピングされた包みを、ポケットから取り出した。これは前世では節約のために手作りしていた化粧水だ。この世界の化粧水はあまり効果的ではないので、お詫びに特別配合のものを用意した。これでさらに美しくなって、気に入った殿方をゲットしてもらいたい。
「こちら私のお手製の化粧水ですが、そこそこ効果が実感できると思いますの。レイチェル様は十分お美しいですが、これでお肌を整えて、さらに素敵なお方をつかまえてください」
「まあ! ユーリエス様のお手製でございますか? 少し試してみても?」
「ええ、もちろんです。成分が合わなければ別のものをご用意しますので」
レイチェル様は化粧水を取り出して、白くきめ細やかな左手の甲に数滴垂らした。ほんのりピンクに色づいている化粧水を丹念に塗り込むと、驚きに両目を見開いた。
「まあ! まあ! すごいですわ! この化粧水をつけただけですのに、この潤いとサラサラ感! これは……売れますわ!!」
「え? 売れますか?」
「ええ、それも大ヒット間違いなしです!! ユーリエス様、殿方などどうでもよろしいので、これを商品にいたしましょう!!」
まさかそう来るとは思わなかった。そういえば侯爵家は大商会を営んでいて商品の目利きは厳しい。その家門のレイチェル様のお墨付きなら、将来性もあるだろう。それに最悪の場合、公爵家と縁を切っても商売をしていれば生きていけそうだ。
どのように自活していくか悩んでいたけれど、やっとやるべきことが決まった。そうなれば善は急げ。早急に商売として立ち上げて、安定した稼ぎを得られるようにしなければ。
「レイチェル様、ありがとうございます。この化粧水で商売を考えてみます。それとは別できちんと殿方も探します」
「うふふ、こちらこそありがとうございます! こんなワクワクする商品に出会えて光栄ですわ。国内で販売する際はぜひ我が侯爵家が運営する商会で独占販売させてくださいませ」
こうして自活するための方法も決まったので、商品化の準備と並行しつつ被害者でもあるご令嬢たちのもとを回った。ちなみに自ら進んで浮気したご令嬢には接触していない。本当に公爵家の諜報部員が優秀で大助かりだ。
化粧水に関しては、レイチェル様が営業してくださるというので、小瓶のサンプルを作って百本ほど渡した。バスティア王国である程度売り上げが溜まったら、本格的に店舗を構えて商売を始めよう。
いまだ物語が始まる兆候はない。私の破滅回避はうまく進んでいるようだった。
それから半年後、新しい護衛騎士がやってきた。
「フレッド・フォードと申します。本日よりユーリエス様の専属護衛として配属されました。よろしくお願いいたします」
「そう、よろしくね。早速だけど、今日の午後は出かけるから、護衛をお願いするわ」
「承知いたしました」
艶のある銀の髪はサラサラで、サファイアみたいな瞳はどこまでも透き通っている。騎士だけに鋭い眼差しで、高い鼻と適度な厚みのある唇がバランスよく配置され、かなりの美形だ。
なにも喋らないと整った顔立ちも相まって冷酷な印象を受けるけれど、言葉を交わせば細やかな気遣いもできる心優しい人だとすぐにわかった。
それからフレッドと打ち解けるまでに時間はかからなかった。帝国出身で妹がいるということくらいしか知らないけれど、剣の腕は相当だし立ち居振る舞いもスマートだ。馬車から降りるときは必ず手を添えてくれるのが、こなれている。
フレッドが姿勢よく立っている姿は隙がなくて、綺麗だった。しっかり護衛してくれているため、しょっちゅう目が合う。最近ではそのたびに優しく微笑まれて、ドキドキしてしまうけど相手は仕事なのだ。せっかくなので目の保養にして、こっそり楽しんでいた。
それから一年が経ち、今では拠点を帝国に構えるまでになった。すでに自宅圏事務所の一軒家も用意してあり、小さな家は私好みの内装で整えた。帝国を選んだ理由は、単純に市場規模が大きいからだ。
前世では薄給だったため節約していた知識が大いに役に立ち、誠実な対応で信頼を得ることができた。前世で私がやってきたように誠実に真摯に取り組んだのが、ご令嬢たちや従業員たちの心を掴むことに繋がったのだ。
私のやってきたことは間違いじゃなかったと思えた。
深緑の葉を朝露が濡らし、柔らかな日差しを受けた清浄な空気が私を包む。すがすがしい朝を呑み込むように、めいっぱい空気を吸い込んだ。
ゆっくりと息を吐き出しながら、よそ風に揺れる木々に視線を向ける。バルコニーを見下ろすように立つ木の上では、小鳥たちが私の未来を応援するように歌っていた。
お父様の起きる時間に合わせて準備は整えた。バッチリと戦闘服である赤と黒のドレスに身を包み、バルコニーから部屋へと入りそのまま廊下まで勢いよく進んでいく。
廊下に出て左に進路を変え、壁の名画を横目にまっすぐ目的地を目指した。
——やっと準備が整った。ようやく私の本懐を遂げられる。
長かった。本当に長かった。
重厚な作りの焦茶色の扉を開き、毛足の長いカーペットの上を足跡なく進む。
執務机で難しい顔をしているお父様に向かって宣言した。
「お父様、クリストファー殿下との婚約の解消を希望いたします」
「……は? お前、いったいどうした? どこか頭でも打ったのか?」
お父様の言いたいことはわかる。
以前の私からは想像できない発言だろう。それなら言い方を変えよう。
「私は目が覚めたのです! 今まではクリストファー殿下をお慕いするあまり、仲良くされていた女性を自ら進んで排除してまいりましたわ。ですが、そんな狭量な女は王太子妃にふさわしくないのです! 排除したご令嬢たちに顔向けできませんので、このまま国を出て行きます!!」
ここまで一気に言い切った。ついでに仲良くなったご令嬢たちから、浮気の証言をたくさんもらってあるからこちらも抜かりない。
「……ユーリエス。確かにここ最近は落ち着いたようだったが、婚約解消までしなくてもいいだろう?」
「いいえ、クリストファー殿下は変っておりません。これは前から考えていたことです」
というか、人前に出たくない。ずっと引きこもってグーダラしていたい。前世で働きまくって死んだので、ここでは平穏にのんびりと暮らしたい。ていうか、破滅を回避するためにこれでもかというほど働いているから限界突破している。
それにこの縁談は王家から打診されたものだ。こちらとしては忠誠心を示すために受けたが、王太子の度重なる浮気が原因なら、国王も納得してくれるだろう。
「ユーリエス……そんなに自分を責めていたとは……気付いてやれなかったな。わかった、婚約解消はなんとかしよう。しかし国から出るのは私が許さない」
「お父様、それでは罪を犯した罰になりません。幸いにも帝国で事業を立ち上げて準備は整えてあります。これくらいの苦難でなければ、皆様が納得されません」
絶対に引かないという決意を匂わせて、お父様のグレーの瞳を見据える。宰相を務める父の眼差しは鋭い。お父様が無言のままなので、立ち上げたばかりだけど事業や販売の規模などについて説明した。
帝国で事業を立ち上げる際は、フレッドがとても力になってくれたのだ。知り合いのヨシュアさんという商人を紹介してもらって、準備を進めることができた。
私の話に正当性があるか、実現可能か、さらにそのまま進めて将来性はあるのか検討しているようだ。数十秒の沈黙を破り、お父様は短くため息を吐く。
「まったくお前は……わかった。好きにしなさい。だが専属の護衛騎士はつけるからな」
それならきっとフレッドがこのまま私の専属護衛を引き継ぐに違いない。帝国出身だと言っていたし、新入りだけど腕も立つ。恋人がいたら悪いから、それだけは事前に聞いておかないと。
「ありがとうございます、お父様」
そう言って淑女の見本のようなカーテシーをして、お父様の執務室を後にした。
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