第二章 ダラを極める

第4話 メリハリが大事

 お父様の執務室から出るとフレッドが待っていた。屋敷の中は平気だと言ったのに、いつのまにかそばにいるのだ。

 ちょうどいいから、部屋に戻って早速フレッドに恋人がいないか尋ねた。


「ねえ、フレッド。貴方、恋人はいるかしら?」

「は!? 恋人なんていません!!」


 フレッドは慌てた様子で否定する。別に恋人がいたからといって、護衛をクビになるわけではないのに、なぜそんなに焦っているのだろう?


「じゃあ、問題ないわね。私、この国を出て行くことにしたの。もし護衛としてついてくるように、お父様から打診を受け——」

「行きます。俺はユーリ様の専属護衛です。俺が行かなくて誰が行くというのですか。今すぐフランセル公爵に交渉してきます……!」


 そう言ってフレッドは、私が声をかける間もなく部屋から駆け出していった。

 私のことは出会ってから半年くらいでユーリと愛称で呼ぶようになった。心を許してくれたみたいで嬉しくて、あまりにも自分のことを話さないフレッドからやっと聞き出したのが、帝国出身ということと妹がいるということだ。


 もしかしたら帝国に残してきた妹が心配なのかもしれない。それなら痛いほど気持ちがわかる。


「やっぱり妹が気がかりで帝国に帰りたかったのね……!」

 

 もしお父様がなにか言ってきても、絶対にフレッドだけは連れていくわ!という決意は、有能すぎる護衛があっさりとお父様の許可を勝ち取ってきたので無駄になった。

 こうして私は二週間後、フレッドとふたりで帝国へ旅立った。




 馬車を乗り継ぎ、十日ほど移動を続けてやっと目的地に着く。

 白亜の壁に赤い屋根の一戸建てが私の新しい住まいだ。護衛の部屋と私の寝室、仕事部屋にリビングとキッチンだけのこぢんまりした一戸建ては、帝都の外れに位置している。


 すでに部屋の内装も整えてあるから、少し買い物をすればすぐに生活が始められる状態だ。ここまでの準備はフレッドの親しい知人であるヨシュア様にお願いしていた。貴族の三男で商会を営んでるというので適任だったのだ。


「ヨシュアさん、ここまで完璧に手配してくださって、本当にありがとうございます!」

「いえいえ、フレッドの大切なお方ですから、誠心誠意お応えしただけです」

「おい、ヨシュア。もう大丈夫だから、自分の仕事へ戻ってくれ」

「へえ、焦るフレッドなんて珍しいですね。ふふ、いつでもお力になりますので遠慮なく頼ってくださいね」


 ヨシュアさんは夕日みたいな瞳を細めて笑う。初めてお会いしたけれど、太陽みたいに明るくて温かい人だと感じた。美華とすごくお似合いのカップルになりそうだ。


 フレッドの古くからの知人らしく、帝国での大きな買い物はヨシュアさんにお任せすると決めた。それから私は化粧品販売の指揮を取りつつ、悠々自適な生活を送り始めた。


 日々の暮らしは穏やかで、まったく不自由なく快適だ。フレッドは帝国出身なのもあって、買い物ひとつとっても的確なアドバイスをもらえる。


「ねえ、フレッド。ここのパン屋さんで明日の分も買って帰りましょう」

「ユーリ様、それならお勧めのパン屋があるので、そちらにしませんか?」

「そんなお店があるの? 行ってみたいわ」


 フレッドの提案で大通りから一本裏に入った狭い通りに、そのパン屋はあった。お店に近づくにつれてふんわりと香ばしい匂いが漂ってくる。もう匂いだけでおいしいのがわかった。


「いらっしゃいませ!」


 店員も愛想がよく、店内の内装もカントリー調で日本のおしゃれなパン屋さんのようだ。思わず前職の癖でここをこうしたら……などと考えてしまった。


「ユーリ様、ライ麦パンとフランスパンでよろしいですか?」

「ええ、それでいいわ……」


 と言いつつ、店内に並べられているチョココロネに目が釘付けだ。

 懐かしい記憶とともに、チョコクリームの甘さと幼い美華の笑顔が蘇る。おやつ代わりによくふたりで半分にして食べていた。いつも私はチョコクリームの少ない上半分、美華にはチョコクリームの多い下半分を食べさせていたけど、いつしかそれが反対になった。


『お姉ちゃんは、いつもお仕事頑張ってるから!』


 そう言って笑う美華の笑顔が浮かんで、思わず手が伸びる。


「フレッド、これもいいかしら?」

「ええ、もちろんですよ」


 穏やかな微笑みを浮かべるフレッドの視線が温かくて、少しだけ泣きたくなった。


 その翌日から私は念願だった将来の不安のないダラ生活を始めることにした。

 好きな時に起きて、好きな時に寝て、好きなことだけして過ごす。化粧品販売については、すでに人を雇って任せてあるから、定期的に収入が入ってくるのでお金の管理だけしてればいい。


「というわけで、私、明日からダラのプロになるから」

「は?」


 フレッドがポカンとしている。口を開けたまま呆けていてもイケメンはイケメンだなと思いながら、より詳しく説明した。


 ダラとはなにか。ベッドに入ったが最後、そこから一歩も動かず、すべての用事を済ませ、とにかくグータラすることだと。


「いや、食事や風呂やトイレはどうされるのですか?」

「食事は通いのメイドを手配したし、お風呂は気が向いた時に入浴して、トイレは仕方ないからベッドから出るわよ」

「はあ……これはまた、なんとも予想外な……」

「だから、しばらくフレッドの仕事はないの。お給金は払うから好きにしてていいわ」

「……仕事が、ない?」


 途端にフレッドの空気がいつもと違うものになった。なんだかピリピリして、今にもフレッドに食われそうな錯覚に襲われる。さすが騎士だけある。いや、そうじゃなくて、もしかして私がクビにすると勘違いしたのだろうか?


「護衛の仕事はないということよ。家から出ないし。だから家も別にしていいし自由にしてと言ったの!」

「……なるほど、しかしそれでは俺が……」


 フレッドは腕を組んでなにやら考え込んでいる。やがて決意をにじませたサファイアの瞳を私に向けた。


「わかりました。護衛の仕事がないなら、ユーリ様のお世話をします。ですから通いのメイドも不要です。とにかく、俺はユーリ様のおそばにいたいのです!」

「あ、そう……でも、フレッドは料理なんてできるの?」


 なんて忠誠心の厚い騎士なのだろうか。お給料をあげるから好きにしててほしいなんて言われたら、私なら「はい、喜んで!」と即答だ。むしろその状況になりたくて、これまで必死にやってきたのに。

 でも身の回りの世話が騎士に務まるのか? 私はベッドから動かないのだ。料理も掃除も洗濯も、なーんにもしたくないのだ。


「当然です。騎士として訓練する際に野営もこなしてきました。まあ、男っぽい料理になると思いますが、精進します」

「掃除も通いのメイドに頼もうと思ってたんだけど……」

「それこそ俺がやります。女性では手が届かないところも綺麗にできますし、フランセル公爵家でお借りしていた部屋も自分で清掃していたので大丈夫です」

「いやでもさすがに洗濯は……」

「俺がやります。ユーリ様がなに不自由なくお過ごしいただけるよう、全力を尽くします!」


 うわあ、言い切った。イケメン騎士がやる気を違う方向に発揮してしまった。どうしよう、これは非常に断りにくい。私に忠義を尽くすために、業務外のこともこなすと言ってくれてるのに無下にできない。

 チラッとフレッドを見ると「まさか断らないですよね?」という無言の圧をひしひしと感じる。


「わ……わかったわ。よろしくお願い……ね」

「はい! お任せください!」


 満面の笑みを浮かべたフレッドは、キラキラと輝いて目に痛かった。

 それから念願のダラの時間を一カ月ほど過ごしていた。


 しかし、ここまでダラダラと過ごしていて、気が付いたことがある。

 ただダラけているだけではプロとは言えない。それはただ怠けているだけだ。ダラのプロとは微塵も生活の不安がないくらい働き、休みの日にはしっかりとダラける。


 そうしてベッドから一歩も動かず済むように、しっかりと準備を整え好きに過ごしてこそのプロだと気が付いた。さらにそのギャップこそが至上の喜びに繋がるのだ。なにごともメリハリが大切である。

 ——私はダラのプロへ一歩近づいた。




 それからも穏やかな日々は過ぎていく。

 私は事業をもっと軌道に乗せるために、新商品の開発を始めた。さまざまな材料を取り寄せ、前世で作っていた化粧水に近いものができるよう試行錯誤していった。


「ユーリ様、こんなところで眠っていてはお風邪を召されますよ」

「うう〜ん、でも眠くて……」

「それでは、俺が寝室までお運びいたします。失礼いたします」


 そう言って、子猫を抱き上げるように軽々とお姫様だっこされた。昨日は新商品の開発で朝方まで起きていたので、このまま眠ってしまいそうだ。ていうか、寝てしまえばいい。私を縛るものはなにもないのだから。

 フレッドがそっとベッドへ私を寝かせる気配を、沈みゆく意識の中で感じていた。


 目が覚めるとすでに日が暮れていた。もそもそとベッドから這い出して、一階のキッチンへ向かう。


「ユーリ様、起きましたか? 夕食の準備がちょうどできたところです。召し上がってください」

「え、本当!? すごいわね……私の起きる時間までわかるなんて」

「たまたまです。ほら、おかけください」

「ええ、ありがとう」


 こんな風にフレッドは護衛騎士以上の役割を笑顔でこなしてくれる。来月からさらにお給金をあげようと、心に決めた。

 それから二週間後には新商品の開発も終わり、いよいよダラの時間がやってきた。



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