第7話:混乱と逃亡
「ふん。どうやら不心得者共による組織的な犯行のようだな」
マレットは報告を聞くと、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
眉間に深い
「それで捕縛に手間取っているのはわかったが、無論その賊のことは追撃しているのだろうな?」
「い、いえ。それが実は、そうもいかない事態が立て続けに発生致しまして……」
司教の視線に
「侵入者の一団は、聖堂裏手の墓地の方へ走り去ろうとしたのですが――そのあとを我々が追跡したところ、その、しっ下から、あれが出てきたのです……」
「どういうことだ。何の下から、何が出てきたんだ?」
マレットは、ますます不機嫌になって、話の先をうながす。
守衛は、ごくりと唾液を
「し、死体です! 墓の下から、埋葬されていた死者が
第二の事件が伝えられた途端、その場に居合わせた人々は
恐怖に駆られた悲鳴、息苦しそうな
反応は様々だが、誰もが思いも寄らぬ状況に出くわし、驚き戸惑っているようだ。
もっとも私だけは、そうしたいずれの感情にも
当然だ。だって墓の下から死体を蘇らせたのは、この私なのだから。
「蘇った死体の数は、軽く一〇〇や二〇〇を超えるものと見られます。ほぼ墓地の全域で、土の中から地上へ這い出す死者が確認され、現在警備の者が懸命に対処中です。また出席者の皆さまがお連れになった護衛の方々にも、緊急時ゆえ加勢をお願いしております」
「おお、何ということだ。その蘇った死体というのは、不死の魔物ではないのかね!?」
さらに守衛が報告を続けると、
それを耳にした皆のあいだでは、またしても動揺が走ったようだった。
不死の魔物。
「
その種族は多岐に
「死者が邪悪なちからで蘇ったもの」
だという共通点がある。
すでに一度死んだ人間が再び動き出す原因は、大きく分けて二種類。
ひとつは何かのきっかけで、不浄なちからが死体に蓄積し、魔物として蘇ってしまった場合。
もうひとつは暗黒魔法の「操霊術」により、人為的に復活して、術者に使役されている場合。
そうして今ここで報告を聞いた人々は皆、不死族の出現が事実なら「原因が前者であるはずはない」と考えているはずだった。
なぜなら蘇った死体が埋葬された時期は、まちまちだからだ。
つまり、不浄なちからが死体に蓄積するまでは、個々に相当な幅がある。
にもかかわらず、それらが一斉に動き出すのは、いかにも不自然だった。
いや、それを差し引いても、聖堂の墓地で正式に埋葬された死体が蘇る、という事態そのものに違和感を覚えているだろう。
だから不死族を今夜復活させたのは、暗黒魔法の効果に他ならないことになる……。
「だがそうすると、暗黒魔法の使い手がタガート聖堂の敷地内へ侵入していたというのか?」
ここでも出席者の一人から、自然な疑問の声が上がった。
ただしこの点に関しては皆、「侵入者の中に邪悪な魔法使いが
聖堂敷地内に墓地側から出現し、退却時にも同じ方面へ逃走したのだから、たぶん間違いないと判じているのだろう。不死の魔物を蘇らせたのも、墓地を通過した前後と見ているらしい。
みんな見事に勘違いしてくれている。それはまさしく、こちらの狙い通りではあるけれど。
……と、尚も一同は意見を交わしていたのだが、そのとき。
窓の外を今一度見た人物が、目を
「おいっ、いったい何だあれは!? こちらへ近付いてくる連中がいるぞ。それも、一人や二人じゃない……!」
再度、皆の視線が屋外に向けられる。
そこには夜の聖堂敷地内を、司教区長館へ徐々に接近する人影が
ひと目見ただけで四、五〇体に迫る数だ。しかも四方から建物を取り囲んでいる。
目を凝らしてみると、こちらへ近付きつつある人影は、どれも酷く不気味な風貌だった。
身に
頭部からは髪が抜け落ち、眼球を持たず、そもそも顔面の形状を保っていないものもいる。
そうした存在が集団を形成し、やや緩慢な足取りではあるが、こちらへ歩み寄ってきていた。
不死族の群れだ。
多数の生きる屍によって、すでに司教区長館は半ば以上包囲されていた。
いっそう現状が危機的になり、貴賓室の混乱は増すばかりだった。
人々がますます
しかし今回は報告にやって来た人物の姿を見るや、言葉を失う出席者もあった。
その守衛は肩や背中に深い傷を負い、血に
「すぐに手当てします。気をたしかに持ってください」
私は、すぐさま守衛の
司教区長館の外で不死族に襲われ、負傷したらしかった。
……とすれば、これは私が間接的に怪我させたようなものだろう。
その責任を取るつもりはないけれど、
ここでは「負傷者を放っておけない聡明な聖女」を、ひとまず演じておかねばならない。
「ご報告致しますマレットさま。すでに聖堂裏手の墓地から死者が多数蘇ったことは、把握していらっしゃるものと存じますが――」
ここへやって来た三人目の守衛は、魔法で傷が癒えると沈痛な面持ちで言った。
「聖堂本体の地下霊廟内でも、埋葬されていた遺体が突如として起き上がり、警備の者を次々に襲いはじめています」
「馬鹿な。地下霊廟内の
晩餐会の出席者がまた一人、恐怖心を露わにして叫んだ。
他の人々のあいだにも、すでに何度目かの
「い、いや。これは単に死者への
一方で別の出席者は、幾分冷静に疑問を投げ掛けていた。
「地下霊廟は地上の墓地とは異なり、聖堂関係者以外に近付くことなどままならなかったはず。にもかかわらず、どのように暗黒魔法で遺体を復活させたというのでしょう?」
しかしこの問いに答える人物は、その場にいなかった。
完全に現状は、皆の理解力の
ところで、三人目の守衛がさらに話を続けたところによると――
警備担当者たちは全員、今も命懸けで不死族に対する防戦を続けているそうだ。
しかしながら
この危機を脱する唯一の望みは、外部の治安維持組織に頼ることでしょう、と守衛は言う。
実は最初の侵入者を確認した時点で、助祭のハロルドがペティグルー郊外の駐屯所へ出向いているらしい。聖堂敷地内での爆発は極めて悪質な事件なので、調査を依頼せねばならないと判断したからだ。
加えて都市の領主ペティグルー侯爵は、晩餐会の出席者なので、ここに居合わせている。
そのためしばらくすれば、駐屯所から侯爵の兵士が聖堂に来る、と見立てているようだった。
さらに現地で何が起きているかを見て取れば、緊急に部隊を編成し、侯爵を救い出すためにも不死族の駆逐に乗り出す可能性は高い。
「……問題は、外部の応援が駆け付けるまで、我々が持ち堪えられるかです」
守衛がそう結論付けると、ひととき場を沈黙が
このままではたぶん、救いの道も
いまや生きる屍の群れは、司教区長館を取り囲みつつある。晩餐会の出席者全員より多い人数の守衛でさえ、不死族に苦戦しているにもかかわらず。
晩餐会の出席者は、大半が絶望的な心境に陥っていたに違いない。
「ええい。こうなれば、奥の手に活路を見出すしかあるまい……」
室内の静寂を破ったのは、マレットのつぶやきだ。
皆の視線が、聖堂の代表者たる司教へ集まった。
マレットは大儀そうに身体を揺すり、貴賓室から退出していこうとする。
当惑する人々を振り返りもせず、低い声で「付いて来られよ」と言った。
○ ○ ○
マレットは一同を引き連れ、司教区長館の廊下を歩く。
司教執務室の横を通り過ぎ、建物の一階でも特に奥まった場所へ進んだ。
やがてたどり着いたのは、屋外の
すぐ
「裏口の扉は充分
マレットは、皆の不安を察したらしく、なだめるように言った。
そうして自らは、法衣の
そのままおもむろに右側へ
脇に控えていた待祭二人が、鉄扉を同時に左右から押す。
かなり大きな両開きのそれは、重みで
鉄扉の向こう側から現れたのは、
ふと気になったのは、片側の足元に棒状の鉄材が敷かれていることだ。
私には、それが元の世界で言うところの、レールのようなものに見えた。
「この下り通路の先は、聖堂本体の地下
マレットは前方の通路を、じっと見詰めながら言った。
「ここの鉄扉を施錠し、そこまで下りれば安全だろう。おそらく不死族とて、そう簡単には侵入できまい。時間を稼ぐには格好の場所のはずだ」
「聖堂の最奥……!? それはもしかして、地下霊廟ともつながっている場所では?」
マレットは、深く首肯し、相手の当て推量を認めた。
これは私も少し意外だった。鉄扉の周囲には守衛などがおらず、警備が手薄だったからだ。
地下霊廟と異なり、外部に存在を知られておらず、注意を引く通路じゃないからだろうけど。
「……この通路を下る前に断っておかねばならないことがある」
マレットは、にわかに一同を振り返って言った。
取り決めを迫る口調は、ほぼ強要めいている。
「ここから先へ付いてくることは、晩餐会の正式な出席者に限って許可させてもらう」
皆の中から、か細い悲鳴がいくつか漏れた。
正式な出席者となれば、私を含む数名の聖職者、ペティグルー侯爵のような貴族、富裕な商人などに限定される。マレットとの明らかな接点を持つ人間だけだ。
執事や侍女、付き人として、晩餐会に同席していた者は含まれない。
……つまり、キャロルも聖堂の奥までは付いてこられないことになる!
「あの、あたしのことは気になさらないでくださいクリスさま」
キャロルは、おずおずとこちらへ身を寄せて言った。
背筋を伸ばし、気丈に振る舞っているのがわかる。
「あたしなら、大丈夫ですから。地下へ下りていかなくたって、まだ不死の魔物から逃げられる方法はあるかもしれないですし。だからえっと、クリスさまだけでも早く、その奥で隠れていてください」
私は一瞬、どう返事すべきかで迷った。
不死族の群れを操っているのは、何を隠そうこの私なのだ。
だから実は、キャロルを不死族の標的から除外し、生き延びさせることは容易だった。
しかし「夜鳥」の首領であることは秘密なので、今ここでそれを伝えることもできない。
一方「聖女」の素振りを装うなら、私もここに残ります、と宣言する方が自然だ……。
でも結局、様々な要素を勘案し、私は聖堂の最奥へ入ることを選んだ。
キャロルには何度も、ごめんなさいね、と謝り続けたのちに別れを告げた。
こうしてマレットが先頭に立ち、晩餐会の出席者は地下最奥を目指して進みはじめた。
やや曲がりながら下る通路は、明るく前方の見通しもいい。「破魔の宝珠」の魔力は、こんな場所でも循環しているようだ。
「あともうひとつ、聖堂最奥へ下りる皆には約束してもらわねばならない」
マレットは下り通路を歩きながら、付け足すように言った。
「この先で見たものについては、今後絶対に口外しないと約束して欲しい。もしそれを守れないようなら、後日何らかのかたちで報復させてもらう。よろしいか」
その言葉を受け入れないという人物は、この状況にあってさすがに誰もいなかった。
ただ私は(とうとう秘密の核心にたどり着くのね)と心の中で考え、平静を装うのに多少苦労していた。
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