第6話:掻き乱された晩餐

 次の日も聖堂関係者からもてなされつつ、図書館で書物の閲覧を続けていると――

 ほどなく、マレットが主催する晩餐会ばんさんかいの夜になった。


 出席者が集う会場は、司教区長館内にある大きな貴賓室きひんしつだ。

 ここもまた恐ろしく豪奢ごうしゃな広間で、やはり貴族の邸宅と見紛みまがうばかりの様相だった。

 壁面に美麗な絵画が飾られ、柱のそばには色鮮やかな花や彫刻が置かれている。

 室内中央には、端から端までが異様に長いテーブルがしつらえられており、その上は手の込んだ料理の皿で埋め尽くされていた。



 招待されている人々は、コッカーマス地方の有力者が大半で、貴族か、聖職者か、富裕な商人のように見えた。誰も彼も、仕立ての良い着衣に身を包んでいる。


 ――まさしく、類は友を呼ぶってやつよねぇ……。


 私は、ややあきれにも似た感情を抱きながら、元の世界の慣用句を思い浮かべた。

 テーブル下手側の末席に腰掛けているものの、目に付く出席者は皆、権威や金品に強い執着を持つ人間の顔付きだった。高級果実酒を杯であおる貴族、日頃の飽食で肥満体型を持て余している聖職者、み手する左右の指にいくつも指輪をめた商人……。


 食事中に言葉をく都度、彼らの口の中からはアルコールと共に、生得的な身分や利権で蜜を吸い続けてきた人物特有の腐臭が放出される。

 その独特な臭気に嗅覚を刺激されていると、ちょっと頭がくらくらしてきた。


 もっともマレットは、そうした人々が歓談する光景に至極ご満悦のようだった。

 テーブルの一番上座に着席し、上等な料理を口へ運びながら笑っている。



「はっ、はわわ~……あたしって、もしかしなくても完全に場違いなのでは……?」


 私の席の後方に控えながら、キャロルは蒼い顔で困惑していた。

 この子も私の付き添いということで、今回特別に貴賓室への立ち入りを認められている。

 ただし席は与えられておらず、ハロルド助祭らと共に晩餐会を手伝っている立場だが。

 地味な待祭の服装であることも、司祭の法衣を着ている私と異なり、気後れの原因だろう。


 とはいえひるんでばかりいても、かえって悪目立ちするし、周囲の不興を買うことになる。

 私は、あくまで上辺の微笑は絶やさないまま、キャロルだけに聞こえる声でたしなめた。


「こんな場所、私だって居心地悪さ極まっているわよ。でもだからって、マレット司教から声を掛けられたら、欠席するわけにはいかないじゃない」


「あ、ははは……いやホントそれなんですよね~。はあ、帰りたい……」


 うつろな笑いをともなって、なげきの返事が聞こえてくる。

 まさか異世界転生してまで、「嫌な上司の飲み会に付き合わされる女子社員の愚痴」みたいな台詞を聞く機会に遭遇するとは思わなかった。



 しかし私の方も、他愛ない愚痴の言い合いに気を取られている場合ではない。

 果実酒をめながら、やっぱ高級なお酒は飲みにくいなー、などと考えていたところ――

 なんと隣の席に座る貴族がこちらを振り返り、突如にこやかに話し掛けてきたのだ。


「そう言えば、ご挨拶がまだ済んでおりませんでしたね」


 まずは自ら名前と爵位を名乗り、こちらが聖シャロン教会の司祭であることを確認してくる。

 どうやら私が晩餐会に出席する経緯に関しては、事前に多少聞き知っている様子だった。

 誰から情報を仕入れたかは不明だが、まあそれならそれで説明する手間がはぶける。

 私個人の素性については、「裏の顔」の方さえ知られていなければ、特に問題ない。


 もっとも会話が続くにつれ、相手の言葉には露骨な社交辞令が多くなった。

 こうなると、こちらとしても幾分対応し難くて、やり取りに戸惑ってしまう。


「それにしても司祭さまは、大変お美しくていらっしゃる。これほどの美貌をお持ちでありながら、高位治癒魔法の使い手でおられるとか」


「いえいえ、いまだ私は浅学なものでして……」


「ははは、ご謙遜なさらずとも良いでしょう。司祭さまの美貌と才覚は、まさに星辰の神々からたまわった恩寵というべきものです。その輝きの前だと、生中なまなかな宝石ではかすんでしまう――」


 私の心中も知らず、隣席の貴族は殊更ことさらめ言葉を並べ立てる。

 でもそのとき何か思い出した様子で、にわかに話題を転じてきた。


「……ああ、そうそう。宝石と言えば先日、司祭さまはこちらの聖堂に大変けっこうな宝飾品を喜捨なさったとか。たしか、翠玉エメラルドちりばめた腕輪でしたかな」


「ええ、その通りです。よくご存じですね」


 この貴族、つくづく私が聖堂を訪れて以後のことを、詳しく耳にしているようだ。

 警戒心を刺激され、社交的な物腰は保ちつつも、反射的に身構えてしまう。

 すると隣席の貴族は、妙な勘違いでもしたらしく、いっそう得意気に続けた。


「なあに、皆でマレットさまを囲んだ際にそのようなことが話題に持ち上がりましてね。晩餐会がはじまる前でしたが。マレットさまは司祭さまのお心掛けを、大いに称賛しておられました」


 情報の出所を、問わず語りに打ち明ける。

 あの悪徳司教も、大概たいがい調子がいいらしい。


「しかしいささか惜しくもありますね、噂の腕輪が評判通りの逸品だとすれば……。いえ無論、司祭さまの喜捨自体は素晴らしいと思います。ですが宝飾品というのは、それに相応しい持ち主が着用することでますます輝くもの。司祭さまのような女性が身に着ければ、どれほど美しさを増すかと――……」


 隣席の貴族は、舌の動きも滑らかに話し続ける。

 が、ほどなく急に声音が弱まり、言葉も途切れた。



 気付くと、貴族の視線は私の胸元――

 そこに下げてあった木彫りのペンダントへ注がれている。

 以前にウィンシップの教区で、子供から贈られたものだ。


 手作りの素朴な品だから、当然宝石の類はひとつも鏤められたりしていない。

 隣席の貴族には、なぜこんなものを身に着けているか、理解できないだろう。

 実際に戸惑ったような表情を浮かべ、次の言葉を探しているのがわかった。


「……私には、喜捨した腕輪のように華やかな宝飾品は不要です」


 私は、胸元のペンダントをそっと手で包み、きっぱりと言い切った。


「それに宝石をあしらった品より、ずっと価値が高いものがあることも知っていますから」




     ○  ○  ○




 落日課らくじつか(午後六時)過ぎからはじまった晩餐会は、星天課せいてんか(午後九時)の鐘が聞こえても、まるで終了する気配はなかった。


 もちろん屋外ではいっそう夜が深まり、闇が濃くなる時間のはずだ。

 だがタガート聖堂の敷地内には、そうした雰囲気がただようことはない。

 優雅な建造物のあちこちが常にきらめき、淡い光彩を付近に放射し続けているせいだ。

 ここでは夜毎に窓の外へ目を向けると、暗い空間に浮かぶ建物の輪郭が見て取れる。

「破魔の宝珠」の魔力は、ペティグルーの中心に文字通りの不夜城を作り出していた。


 また淡い光彩が放たれ続けているのは、聖堂屋内の各所でも同様だ。

 司教区長館の貴賓室も、室内を照らす魔力のあかりにかげる様子はない。

 晩餐会は、尚も当初と同じように続き、出席者の談笑も絶えなかった。

 むしろ皆、ますます盛り上がり、えんもたけなわという有様だった。


 ゆえにそのあいだも変わらず、私は特権階級の人々と当たりさわりなく接し続けていた。

 ただし出席者の大半は、すでにすっかり酔いが回っていて、応対に苦慮させられる。

 平時は辛うじて理性でおおいい隠していた本性があらわになり、下卑た発言を繰り返す相手などは、心底軽蔑の対象となった。自制心を働かせていても、限界というものがある。


 しかしながら私はまだ、このとき貴賓室に留まり続けていた。

 なぜなら「ここで所定の時刻まで待ち、マレットをはじめとする人々の様子をうかがうこと」――

 それが今夜、犯行計画が実行されるに当たり、私の果たすべき役割だったからだ。



 そうして星天課の鐘が鳴ってから、さらに幾ばくかの時間が流れた。

 およそ燭台しょくだい蝋燭ろうそくが、半ばまで燃え溶けるだけの時間が経過する。

 やがて「予定されていた異変」は、ついに現実のものとなった。


 にわかに司教区長館の外から、天をくような爆発音がとどろいてきたのだ! 


 貴賓室に居合わせた誰もが(私を除いて)一瞬、凍り付いたように身を硬くした。

 声を発する口も、食事をする手も、親しい者へ歩み寄る足も、すべてを止めてたじろいだ。

 次いで室内と出席者を見回し、身近な相手に驚愕や不安、動揺の言葉を口々に漏らす。

 マレットは、まず蒼い顔になり、それから急に赤くなって、下級職位の聖職者を呼び付けた。

 怒鳴り声で、何事かと問いただしている。うたげに水を差され、憤慨しているようだ。


 と、直後に商人らしき出席者の一人が、窓の外を指差した。


「おっ、おおお……皆さん、あれをご覧ください――」


 商人は左右の目を剥き、震える声で叫ぶ。

 それにうながされ、皆も一斉に屋外を見た。


「聖堂本体の方で、何やら煙が上がっているようですぞ!」



 ――やっとはじまったみたいね。


 私は、犯行計画が予定通りに開始して、内心安堵あんどを覚えていた。

 もっとも当然、他の出席者にはそれを決して悟られてはならない。

 だから表面的には、あくまでおびえた素振りを装っていたわけだけれど。

 裏の顔を隠して日々生きていると、だんだん芝居が上手くなっていく。



 異変が聖堂本体で発生したものだと判明すると、誰もが窓際へ歩み寄った。

 立ち昇る煙を硝子越がらすごしに眺め、事態についての憶測を口々に述べはじめる。


「いましがたの轟音、おそらくは何かが爆発した際のものかと思われますが」

「わしもそのように感じたが、しかし聖堂の敷地内で何が爆発するというのだ」

「あれほどのものであれば、火や炎、あるいは雷に関係する魔法ではないか」

「バカな。星辰教団の施設で、魔法使いが破壊活動に及んだというのか?」

「しかし他に原因が想像も付きません。神をも恐れぬ所業ではありますが」

「おお、あれを見たまえ。どうやら火の手も上がっているようだぞ――……!」


 貴賓室は混乱に満たされ、騒然としている。


 私は自分の席を静かに離れ、貴賓室の隅へ移動した。

 壁際に立って意識を集中し、小声で魔法を詠唱する。

 皆の視線は屋外に向けられ、誰もこちらを見ていない。



 そこへやがて、守衛が一人駆け込んできた。面差しに緊迫感を漂わせている。

 マレットのかたわらで一礼し、敷地内で生じた異変について早口で報告をはじめた。


「聖堂裏手の墓地方面から、狼藉者の侵入があったようです。その数は少なくとも一〇人前後。先程の轟音は、強力な爆発によるものと見られ、侵入した一団により引き起こされたものと推察されます。発火地点は聖堂本体の北西、建物の外壁に損傷が出ている模様。我々も昼夜を問わず交代で警備に当たっておりましたが、このような失態を招き痛恨の極みです……」


 また守衛の話によると、現時点では爆発の原因が特定できていないらしい。

 もっとも閃光が生じた瞬間、それを遠目に見た聖職者が存在したようだった。

 その人物は魔法の心得があるそうなのだが、爆発について「通常の発火ではなかった」と証言しつつ、同時に「魔法が発動する際の気配は感じられなかった」とも主張しているという……。



「ところで聖堂本体の北西というと、建物の内部には祭具室がある辺りではないか?」


 マレットが報告を受けている最中、ある貴族の出席者が興奮気味に言った。


「もし爆発で外壁が崩れていたら、そこから侵入して収蔵品を持ち去ることも可能なのでは」


「とすると貴殿は、騒ぎを起こした連中が『教会泥棒』だと申すのか。祭具を狙う賊だと?」


 別の出席者が問いただす。

「教会泥棒」という言葉が出た途端、またもやざわめきが広がった。

 罰当たりめ、地獄にちるぞ……などとののしる声も聞こえてくる。

 さらに別の出席者が私見を述べた。


「いや、賊の目当てが祭具とは限らん。ひょっとすると『破魔の宝珠』を盗む気かもしれんぞ」


 この場に居合わせた人々のあいだから、ありそうなことだ、という囁きが漏れる。

 侵入者がまとまった人数の一団であること、タガート聖堂の祭具室付近を爆発させたことなどを勘案すると、推論として納得感があるように思えるのだろう。



 すると、マレットが上座の席から腰を上げ、皆を一喝した。

 出席者たちがさわぎ立てる有様を見かねたみたいだった。


「皆の者、落ち着かれよ。仮に賊の狙いが『破魔の宝珠』だとしても、あれが保管されているのは祭具室ではない。ゆえに不信心者共の手で奪われ、聖堂敷地内の灯りが消えることもない」


 マレットの言葉は、基本的に現状の解決に寄与するものではない。

 だが一同の動揺を軽減させることには、多少なりとも有効だったようだ。

 照明に不安はないとけ負われ、安堵している出席者も見て取れた。

 夜間の非常事態だけあって、暗闇を恐れる心理は自然だろう。


 一方で、私は密かに(やはり『破魔の宝珠』のは、地下霊廟の奥みたいね)と、心の中で確信を得つつあった。古代遺物を安置するには、他に適当そうな場所がない。



 さて、そうしたやり取りが交わされているうち――

 異変の発生を報告した守衛が退出していき、代わりに別の守衛が貴賓室へ姿を現わした。

 刻々と変化する現況を、入れ替わり立ち代わり、マレットに逐次伝達しようとしているのだ。


 新たにもたらされた報告によると、警備の守衛は爆発後に全速力で現場へ駆け付けたという。

 侵入者は複数と判明していたから、彼らも用心し、一〇名程度の集団で行動していたようだ。

 しかし遭遇した賊は非常に手強く、周囲に立ち込める火や煙にまぎれながら、守衛たちに次々と襲撃を仕掛けてきた。彼らとしては不本意ながら、そこから一気に乱戦になったらしい。


 戦闘開始以降は、味方の守衛がさらに五、六名応援に来て、賊の撃退には成功したそうだ。

 とはいえ侵入者たちは武器の扱いに慣れており、一人として捕縛及び殺傷できなかったとか。

 明らかに素人ではなく、専門の訓練を受けた人間と思われる……

 などと、報告の中で手短に状況が語られた。



「取り分け賊の中には、かなり離れた樹林の陰から弓で射掛けてくるやからがおりまして」


 二人目の守衛は、すっかり恐縮した様子で続けた。


「そやつの矢に射抜かれて、死傷した味方が何人かおります。あれほど遠距離から精密な射撃をする者が敵に含まれるとなると、接近することも容易ではありません。生死を問わず捕らえようとしているものの、そうした事情もあって手間取っています……」


 それはたぶんアランのことね、と私は声に出さずに考えた。


 聖堂周辺が魔力の光で明るいと言っても、夜間は日中より見通しが悪いことに変わりはない。

 にもかかわらず、遠距離からでも見事な弓の腕前を発揮してくれる。そういう技術の持ち主は、アランの他に心当たりがなかった。少なくとも、そうにいる射手ではないはずだ。


 そうして守衛の話を聞く限り、アランは忠実に計画を実行してくれているらしかった。

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