第4話:きらめく聖堂

 やがて万事準備が整い、タガート聖堂へ出発する日がやって来た。


 留守にするあいだ聖シャロン教会のことは、トマスという助祭に一任する。

 他にも何かあれば、門守のチェスターや教区の信徒が助けてくれるだろう。

 皆、犯罪組織「夜鳥」とは無関係な人物ばかりだが、誠実で頼りにできる。


 一方で、真っ先にタガート聖堂まで同行したい旨を希望したのは、待祭のキャロルだ。

 いつも通りに元気よく申し出ると、私に付いてこようとする理由を意気込んで表明した。


「だって聖堂があるペティグルーには、美味しい焼き菓子があるじゃないですかー!」


 ……ああ、たしか先日もそんなことを言っていたなあ……。

 異世界でも、女の子の甘味に対する執着は凄まじい。


 目的地までの移動手段には、幸い馬車を用意することができた。

 教区の信徒で、馬屋を営む主人が貸し出してくれたおかげだ。

 念のため、警護の傭兵も二人付いてきてくれるという。

 道中で、魔物に襲われる危険もあるからだ――

 異世界には、街の外に異形の生物が生息している。


 御者は使用人(を装っている)アランが務めることになった。

 と同時に彼も計画遂行のために随行できるから、一石二鳥だ。


 尚、オリヴァーも密かに「夜鳥」の成員として、今回のくわだてに参加する。

 ただし基本的に単独行動で、ウィンシップを出発する日も、私たちより一日遅い。

 誰に行き先を告げるでもなく、急に姿を消すことになるが、気にする人間はいないだろう。

 良くも悪くも、墓掘りという仕事にたずさわる人間への応対は、そういったものなのだ。

 まあだからこそ、暗殺者の素性を隠すには、好都合な面もあるわけだけれど。



 かくして明くる週、風の精霊日。

 蒼天課そうてんかの鐘が鳴る時刻(午前九時)、私たちはウィンシップを発った。

 タガート聖堂があるペティグルーまでは、おおむね片道三日半の道のりだ。


 北北西へ伸びる街道を、馬車に揺られてのんびりと移動する。

 夕暮れ前には宿場に入り、宿で休みを取りつつ、旅を続けた。


 道中では、キャロルが引っ切りなしにしゃべり続けていたので、暇を感じることはなかった。

 話題は相変わらず、ウィンシップでの噂が中心だったが、多種多様でどれも興味深かった。

 キャロルは話上手だし、豊富なおしゃべりの内容からも、交友関係の広さがうかがえる。


 もっとも噂話の中で、以前も耳にした盛り場の件は、あまり心楽しまなかった。

 というのも「なかなか家に帰ってこない」と言われていた信徒の息子さんが、ほんの数日前に亡くなっていたと判明したそうだからだ。

 死因は案の定、暴力沙汰に巻き込まれたためらしい。

 ただし本人も自ら喧嘩に加わったという証言があるそうだから、自業自得な面は否定できそうにない。救われない話だった。



 まあ何はともあれ。

 ウィンシップを離れて三日目の午後になると、街道の景観にも変化が見て取れた。

 馬車の行く先に並行して、大小の河川が流れ、それがいつしか水路になっていく。


「付近の山脈が水源になっていて、ここの土地は昔から土壌が豊かだそうですよ」


 何気なく景色を眺めていると、御者台のアランが穏やかな口調で言った。

 そうするうちにいつしか、前方から大きな石積みの市壁が接近してくる。


 ペティグルーに到着したのだ。

 街の内外に区切る門を通過し、中央広場へ向かった。

 石畳の舗装路を進むと、馬車の車輪が乾いた音を立てる。街路を左右から挟む家屋の建築様式も含め、いかにも経済的に発展した街並みだ。



 タガート聖堂は、街の広場をいくらか北へ抜けた場所に位置している。

 丁度敷地の前まで来たとき、聖堂の尖塔から鐘の音が聞こえてきた。

 召霊課しょうれいか(午後三時)の時刻を告げる報せだ。荘厳な音色だった。


「ふわあぁ~凄い、さすがに聖堂っていうだけあって、立派な建物ですねぇ!」


 キャロルは、馬車の中からタガート聖堂を見て、感嘆を漏らす。


 それも聖堂の外観を目の当たりにした反応としては、ごく自然なものだろう。

 平時見慣れたウィンシップの聖シャロン教会と比すれば、規模の差異は一目瞭然だ。

 天をくようにそびえる大きな建物は、まるでそれ自体がひとつの美術品のようだった。

 石造りの壁や柱には、細緻な装飾が隅々まで彫刻され、豪奢ごうしゃな優美さに満ちている。

 ……ただしタガート聖堂のきらびやかなたたずまいには、いっそう直接的な要因があった。


「なんかよくわからないですけど、ちょっと聖堂全体がきらきらしているように感じます……」


「そうね、きっと錯覚じゃないわ。これこそタガート聖堂の名前を、コッカーマス地方で有数の宗教施設として世に知らしめている要因だもの」


 聖堂を凝視するキャロルに向かって、私は首肯してみせた。


「この聖堂には、特殊な建築技術が用いられているらしくてね。建物の中に収蔵された『破魔の宝珠』を利用して、その魔力を施設のあちこちに循環させているそうなの」


 そのためタガート聖堂は、所々がほのかな光彩を帯びている。

 夜間に建物の輪郭が浮かび上がる様子なんて、とても幻想的で素敵だ。

 元の世界の事物で例えるなら、ライトアップされた観光名所のような雰囲気がある。



 聖堂の敷地へ続く門に近付くと、星辰教団の門守から誰何すいかされた。

 私は馬車から顔を出し、自ら名乗って、ここを訪れた目的を伝える。


 門守は、もう一人の同僚と二、三、言葉を交わしてから、いったん奥へ下がっていった。

 そのまましばらく待っていると、聖堂の方から聖職者らしき中年男性が歩み寄ってくる。

 着用している法衣の意匠を見て、助祭位にある人物だとわかった。


「貴女が聖シャロン教会の、クリスティナさまでらっしゃいますかな」


「ええ、はい。その通りです、助祭殿。ええと――?」


「こちらで星辰の神々にお仕えしている、ハロルドと申します」


 ハロルドという助祭は、深々と頭を下げた。


「クリスティナさまを聖堂の内陣までお連れするよう、司教さまからおおせ付かっております」


 ハロルドは「さあ、こちらへ」と続けて、私たちを誘導するように歩き出した。

 タガート聖堂の敷地内を、マレットのところへ案内してくれるらしい。


 ただし建物の中に入れるのは、聖職者である私とキャロルだけだ。

 使用人のアランや警護の傭兵たちは、他の場所へ連れていかれるという。

「大きなお荷物は教区長館へ届けさせておきます」と、ハロルドが付け加えて言った。

 すると聖堂付きの下男がやって来て、大半の荷物は馬車から降ろして運んでいく。

 手元に残ったのは、貴重品を入れた革袋だけだ。



 それからアランとは別行動になり、ようやく正門をまたいだ。

 敷地内の前庭を、ハロルド、私、キャロルの順に並んで歩いていく。

 タガート聖堂の目の前まで近付くと、淡くきらめく威容がいっそう印象付けられた。

 ハロルドにうながされるまま、正面出入り口から建物の内部へ踏み込んだ。


 聖堂の屋内は外観にも増して、美麗な装飾が各所にほどこされている。

 星辰の神々や天使をかたどった像をはじめ、荘厳な壁画が目に飛び込んできた。

 私がここを訪れるのは二度目だが、改めて見ても圧倒される芸術性だった。

 キャロルは口を半開きにしながら、ひたすら周囲を眺め回している。


 信徒席のあいだに伸びる身廊を進み、説教壇の脇をすり抜けた。

 その先に続く場所が内陣で、尚も奥へ入ったところは至聖所だ。

 ひと際美しい祭壇の前には、華美な法衣で身を包んだ人物が佇んでいる。

 小柄だが、でっぷりと肉付きの良い体格で、五〇代半ばと見える男性――


 コッカーマス地方司教区長にして、タガート聖堂代表者のマレット司教だ。


 ――う~ん。何だか以前に会った頃より、一段と太ったように見えるなあ……。


 私は、マレットの有様を盗み見るように観察して、密かにそうした感想を抱いた。

 もちろん表面上では、清楚さを意識した「聖女モード」の微笑みを忘れていない。

 私とキャロルは、至聖所に敷かれた絨毯じゅうたんに片膝を付き、深く頭を垂れる。

 ハロルドは役目を終え、マレットに一礼すると、内陣から出ていった。



「ウィンシップから参りました聖シャロン教会の司祭クリスティナでございます。大変ご無沙汰しております、司教マレットさま」


 私は、言葉に尊崇の念を込める芝居をしながら、丁寧に挨拶した。


「このたびはご多忙のところ、このような接見の機会を設けて頂きまして、誠に恐れ入ります。司教さまにおかれましてはますますご清祥せいしょうと聞き及び、大慶たいけいに存じます」


「……おお、司祭クリスティナ、よく参った。こうして会うのは、数年振りかな」


 マレットは、いかにも鷹揚おうような物腰で返事した。

 気さくさを装った口振りがわざとらしく、不快感を刺激される。

 間接的に立場の優位性を誇示しているのが、露骨に伝わってきた。


「堅苦しい言葉遣いは要らぬ、顔を上げて楽にしてかまわぬぞ。ウィンシップからの旅で疲れておろう」


「司教さまのお気遣い、心より感謝致します……」


 あくまで聖女モードの体裁を維持しつつ、言われるままに顔を上げて微笑む。

 かたわらでキャロルが戸惑っているのは、横目で見なくてもそれとなく感じ取れた。

「口を挟まずに済む場面だから助かっているけど、もし私も話し掛けられたらどうしよう……」とでも考えているのだろうか。



「それで司祭クリスティナ、其方そなたが今回用談を求めた事情であるが」


 こちらの心中には気付かない様子で、マレットは面談の本旨に入った。


「たしか我がタガート聖堂に併設された教会図書館で、蔵書を閲覧する許可が欲しいとか。それで其方、いかような書物を調べて、それにより何をすつもりか」


「私が拝見したいのは、こちらの図書館に収蔵されているという『星辰神学治癒術論考』の書でして。特に第七巻以降で記されているはずの、呪術解除に関する項目なのです――……」


 あらかじめ想定されていた問い掛けに対し、私は即座に用意してきた答えを返した。

 ここで魔導書に当たって考察する予定の内容を、ある程度具体的に説明していく。


 古代遺失魔法に見られるような呪術の中には、神聖な星辰の治癒力で癒すことができず、なぜか邪悪な暗黒魔法でなければ解除できないものがある。その根源的要因には事例毎にまだ不明な点が多く、今後も解明のために取り組まねばならない問題だ。私が現在研究に注力している分野は、対象を時間経過と共に衰弱させる呪術で、どうして高位治癒魔法における再生の法と表裏の関係にある呪いが存在し、にもかかわらずどうして解除が困難なのかを突き止めたく――……

 うんぬんかんぬん、というように専門用語も交え、滔々とうとうと語ってみせた。


 しかし実を言うと、個人的には以前とっくに研究を済ませている問題である。

 つまり、すでに自分が知っていることに関して、故意にまだ知らないふりをしたわけだ。

 当然「私はここの図書館で、色々勉強する必要があります」というていを装うためだった。


 私が話しているあいだ、マレットはじっと傾聴しているように見えたが、目は眠そうだった。

 たぶん説明している内容のうち、半分も意味を理解していなかったんじゃないかと思う。


 マレットは司教だが、魔法の使い手としての能力は、私よりはるかにおとっている。

 星辰教団における職位の序列は、必ずしも個人の実力や実績と比例していない。



「――こうしたわけで、司教さまのご厚情をたまわり、図書館に収蔵された書物の閲覧許可を頂ければ幸甚こうじんに存ずるのですが」


 でっち上げた理由をひとしきり伝えてから、私は改めて神妙な態度を装った。


「まずは貴重なお時間を割き、私の話にご傾聴くださったことにお礼申し上げます」


 重ねて謝意を示され、マレットは「うむ……」と重々しくうなずく。

 でも絶対にこれ私が今説明した内容を理解していないな、と挙措を見てわかった。

 いかにも「長くてややこしい話から解放された!」って言いたげな目をしているわ。



 しかしまあ、それはそれとして。

 この辺りで私は、いよいよマレットの心証に揺さ振りを掛けようと試みた――

 言い換えるなら、もっと司教さまがお好みの話題を提示することにした。


「つきましては今回お招き頂いた謝意を込め、ささやかながら贈り物をご用意致しました」


「ほう、それはなんと殊勝な心掛けか。……いや、コッカーマスの司教区に属す聖職者から話を聞くことも、私にとっては職務の一部ゆえ、そういったことは要らぬ気遣いであるのだが」


 献上品をちら付かせると、マレットはわかりやすく口元をほころばせた。

 それでも一応、受け取りを辞退する素振りを示したのは、たぶん体面上の様式なのだろう。

 書簡の返信では、暗に賄賂わいろを要求しているとしか思えなかったのだが、実に調子がいい。



 私は、そばに控えているキャロルへ、目で合図を送る。

 キャロルも会話の流れで、こちらの意図を酌んでくれた。

 手荷物の革袋から、持参した翠玉エメラルドの腕輪を取り出す。


 差し出された宝飾品を見て、マレットの目がぎら付いた。

 ひと目見ただけで、価値ある代物だと見抜いたのだろう。

 金目のものをぎ分ける能力だけは、たしかなようだ。


「聖シャロン教会に伝わる、翠玉をちりばめた装飾品にございます。どうぞお納めください」


「……ふうむ、実に見事な逸品よ。しかし繰り返すが、私個人への贈答は要らぬ気遣いだ」


 再度宝飾品を献上しても尚、マレットの発言は慎重だった。

 ただし挙措が微妙に落ち着きを欠いていて、腕輪を欲しがっているのは見え見えだ。

 と、不意に思案するような仕草をのぞかせ、次いで持って回ったような言葉を続けた。


「ただそうだな、さりとて私が受け取らねば、このような品を遠方から運んできた労を軽んずることになる。それでは其方に恥をかせてしまうだろう」


 マレットは、いかにも今この場で思い付いたように言った。

 しかし客観的には、物慣れた言い回しのようにしか感じられなかった。

 きっと献上品があるたび、毎回同じような対応を取っているのだろう。


「そこでこの腕輪は、タガート聖堂への喜捨きしゃとして預かることにしよう。それで良いな?」


「はい、そのように扱って頂けると助かります司教さま。お心遣いに重ねて感謝致します」


 私は、ひたすらうやうやしく返事し、再び頭を下げた。

 もっとも心の中では、失笑をこらえるのに必死だった。

 やはりマレットは本当の俗物だ。わかりやすすぎる。



 直接マレットが献上品を受け取れば、賄賂と見做みなされ、あとで面倒が起きないとも限らない。

 だがいったん宗教施設へ「喜捨」させつつ、実際には個人の利得とすれば、追及されても言い逃れの余地があると考えているのだろう。

 浅知恵だが、ウォルバートンの社会水準なら資産隠匿の手段として充分有効かもしれない。

 思えば先日謀略で陥れたボッツも、マレットとの金員の授受では喜捨の形態を取っていた。


 いったい過去にこの手口で、どれだけの悪行を重ねてきたのだろうか。

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