第3話:新たなる標的

「たしかボッツは『火竜石』を隣国へ横流しして、莫大ばくだいな利益を得ていたはずよね」


 私はケズイックの官吏について、今一度悪行を確認するためにいた。


「火竜石」とは、ブラキストン州の一部で採掘される希少鉱石のひとつだ。

 内側に炎の魔力をたくわえており、強いちからを加えると、それを外部へ放出する。

 その威力は、火に属する精霊魔法と同程度で、危険な天然の爆発物だった。


 まだ火薬が一般に普及していないウォルバートンでは、珍重される場面が少なくない。

 掘削くっさく工事で硬い岩盤を吹き飛ばしたり、しばしば戦場で兵器として用いられたり……。

 たぶん元の世界における、初期のダイナマイトと似たような扱われ方をしていると思う。

 そういった特殊な鉱石だから、本来は行政機関が厳しく管理せねばならない。


 ところが悪徳官吏のボッツという男は、それを極秘に売りさばき、私腹を肥やしていたのだ。

 何しろケズイック伯爵領は、レドメイン王国で有数の「火竜石」産出地として知られている。

 それで採掘事業の開発担当者に就任以来、役職を隠れみのに不正を働き続けていたらしい。

 しかも「火竜石」をより多く確保するため、不正に得た金で貧民を奴隷として買い入れ、鉱山で過酷な労働に従事させていたという……。



「はい、左様です。しかしクリスさまの指示に従って、先日ボッツの屋敷から『火竜石』の密輸を裏付ける書類を盗み出しました。これがおおやけになれば、奴の命も長くはありません」


 アランは、悪徳官吏の死をけ合う。

「火竜石」の違法な海外流出は、安全保障上の重罪だ。

 レドメイン王国では「国家秩序を左右する不正に関与した人間が、極刑をまぬかれられるとは思えない」ということだろう。


「それとボッツは自前の隠し倉庫に『火竜石』を貯蔵していたのですが」


 アランは顔を上げると、補足するように続けた。


「その一部は、我々が押収することに成功しました」


「そうですか。事故が起きたりしないよう、厳重に保管しておいてください」


 どうやらケズイックの案件も、計画通りに決着したようだった。

 それどころか「火竜石」を獲得できたというのだから、想定以上の成果だろう。

 もっとも行政機関が管理するような品を、かたちはどうあれ収奪したわけで――

 そのぶん私たちの罪状も、余計にひとつ増えてしまったことにはなるが。


 ボッツの家屋から書類を盗んだ件と併せ、悪事がどんどん積み重なっていく……。

 まあそこは元々犯罪組織を自称する集団だし、今更どうこう言ってもはじらない。




 私は、再び廊下を歩き出した。

 まだ信徒会館の戸締りは済んでいない。

「聖女」の仕事も、おろそかにはできなかった。

 奥の部屋に踏み入り、窓を閉めていく。


 アランは、そのあとを追うように付いてきた。


「ところでボッツの屋敷から盗んだ書類を調べるうち、奇妙な発見がありまして」


 私の数歩後ろで、少年は肩越しに会話を続ける。


「何やら先月中旬、ボッツはタガート聖堂に多額の金員を喜捨きしゃしていたようなのです」


「タガート聖堂に喜捨? それは『火竜石』で荒稼ぎしたお金を使って、ということ?」


 あまりにも意外な情報で、私は思わず訊き返した。


「富裕層の人間が星辰教団に寄付金を納める」という行為自体は、然程さほど珍しくない。

 だが悪徳官吏のボッツが行っていた、となれば額面通りに受け取るのは難しかった。



「実はボッツの書類に含まれていたのは、それだけではありません」


 アランは、問い掛けに回答は寄越よこさず、尚も言葉を継ぐ。

 口調からして、こちらの反応を予期していた様子だった。


「マレットという聖職者とやり取りした書簡があり、その文中でボッツは相手に『私の請託せいたくに格別の御高配をたまわり、誠に恐れ入ります』と伝えておりました」


「……マレットというと、タガート聖堂の代表者ですね。司教区長を務める聖職者よ」


 私は、隣の部屋へ移動しつつ考えた。

 やはりアランは、同じようにあとに続く。


「つまり、そのマレットが何某なにがしか、ボッツからの依頼に応じていたってことかしら。タガート聖堂への寄付は、それに対する礼金ってこと? 金額次第では、かなり大きな取引があったように思えるけれど」


 アランが把握している限りだと、ボッツの寄付金は金貨数万枚にも上るらしい。

 尋常じんじょうな額ではない。庶民の中には、一生金貨を見る機会がない者もいるのに。



「そう、タガート聖堂のマレット司教ね……」


 そっと口の中で、自分よりも上級職位にある聖職者の名前を繰り返す。


 実は過去に一度だけ、私はマレット司教と接見したことがあった。

 星辰教団では司祭位にくと、教会ひとつの代表者となり、周辺教区を任される。

 私が聖シャロン教会への赴任が決定した際には、タガート聖堂で辞令を拝命した。

 そこで文書を手渡された相手こそ、かのマレット司教なのだ。


 なるほど改めて考えてみれば、マレットも当時から黒い噂のある人物だった。

 タガート聖堂は、ブラキストン州コッカーマス地方では有数の宗教施設だ。私の担当教区とは比較にならないほど、多くの信徒を抱えている。

 そのぶん少なくない喜捨が集まるため、随分ずいぶんと贅沢な生活を送っているらしい。



 と、私は殊更ことさらに嫌らしいことを思い出した。


「そう言えばあの司教、今でも調子のいいことを言って、教区の信徒に贖宥状しょくゆうじょうを売り付けたりしているのかしら」


「非常に熱心に販売しておられているはずですよ、日頃から私腹を肥やすのに余念がないご様子ですから」


 皮肉っぽい口調で、アランが司教の近況を教えてくれる。


 贖宥状とは、いわゆる免罪符の別名だ。

 一枚手に入れれば、一枚分だけ現世での罪が軽くなる――

 という触れ込みでタガート聖堂が販売している、ただの紙切れ。


 しかし熱心な信徒は、聖職者から「おまえは自分で知らないうちに罪を犯しているぞ。背後に悪霊がいているのがわかる!」などとおどされると、不安になって購入してしまう。

 買えば買うだけ魂が救われると言われ、勧められるままに大枚をはたく人もいるらしい。

 さらには購入のために借財して、経済的に行き詰って自殺した者までいるのだとか……。


 元の世界であれば、悪質な霊感商法の一種として、訴えられてもおかしくない話だ。



「とはいえ近年の司教さまは、他にも大口の収入源をお持ちだという風聞があるようです。そのおかげで豪勢な暮らしぶりに磨きが掛かり、ますますご健勝であらせられるとか」


「……マレット司教の『大口の収入源』ですか」


 アランの話に耳を傾けるうち、私は自然と苦笑が漏れた。


「それがボッツから得ていた喜捨のお金ということ?」


「何らかの取引の結果として、そのうちのひとつがそうだったのかもしれません」


 ちょっと遠回しな表現だけど、アランが言いたいことはわかる。

 要点は、どんな見返りをえさにして、司教はボッツに大金を支払わせたのかという部分だ。

 贖宥状の件を踏まえれば、きっとロクなことじゃないだろうな、と予想はできる。

 ただ具体的に取引材料が何だったのかは、今聞いた情報の範囲では判然としなかった。



 ――でもだからって、このままマレットを放置しておいていいものだろうか。


 もちろん、いいはずはない。

 むしろボッツとの取引の件を差し引いても、マレットは少なからず悪行を重ねているはずだ。

 これまでコッカーマス司教区の代表者ということで、いたずらに手出しするのは避けてきたが――

 そろそろ明確に「夜鳥」の標的とし、ちゅうするべきときが来たのかもしれない。

 神の威光を恣意的しいてきに利用する聖職者も、結局は特権階級の一員なのだ。


 わざわざアランが言及したことだって、

「マレットこそ『夜鳥』の次なる敵に相応しい」

 と、考えているからに違いない……。



 私は、戸締りした部屋を出た。

 信徒会館の廊下を、玄関ホールまで引き返す。

 あくまでそれに倣って、アランは後ろに付いてくる。

 建物の中は薄暗く、二人の他に人の気配はない。

 アラン以外の使用人は、すでに帰宅したのだろう。


 ホールの中央で立ち止まり、アランの方を振り返る。


「ねぇアラン。たった今あなたからの報告を受けて、考えたことがあります」


 私は姿勢を正し、努めて冷静に語り掛けた。


「次に我々『夜鳥』が標的にする相手を、マレット司教としたいのです。彼の身辺を調査して、過去の悪行をあばき、おそらくは抹殺せねばならないでしょう。どう思いますか?」


「それはまさしく、僕も望むところですクリスさま」


 アランは、同意の言葉と共に微笑を浮かべた。

 右手を左胸の上に重ね、恭順を態度で示す。


「ご命令頂ければ、新たな案件に加わる人間を、すぐにも『夜鳥』の中から集めましょう。僕をはじめ、我が組織の成員は皆ことごとく、クリスティナさまに身命を捧げる覚悟です」


「よろしくお願いしますねアラン。マレットを消すまでの具体的な計画は、追って伝えます――」


 ゆるい所作でうなずくと、美貌の少年は深く頭をれる。

 この瞬間、司教マレットを誅戮ちゅうりくするの犯行計画が始動した。

 会館のホールには、いっそう深い影が差したかに思われた。


 私は、吹き抜けになった高い天井を、おもむろに見上げる。

 星と神々を題材とした古い宗教画が、そこに描かれていた。


 浅く呼気をいてから、強い意志を込めてつぶやく。




「――それでは、けがれた世界にいざ復讐です」





     ○  ○  ○




 マレット司教の悪行を暴き、抹殺する――


 犯罪組織「夜鳥」の次なる標的を決定したあと、私は書簡を一通したためた。

 宛先はブラキストン州ペティグルーのタガート聖堂、星辰教団司教マレットさま。

 用件は、聖堂に併設されている教会図書館の利用許可を得たい、という内容。


 それはもちろん建前で、実際にはタガート聖堂を訪問するための口実でしかない――

 そう、今回の犯行計画では、私が自らの手でマレットを粛清するつもりなのだった。

 聖職者が関わる案件だし、首領とはいえ自分で動いた方が上手く事態が運びそうだからだ。

 最近はオリヴァーやアランを頼りにする場合も多いけど、たまにはちゃんと私の実力も示しておかなきゃね? 



 いずれにしろ図書館の件は、ペティグルーへ出向く理由として不自然さのない目的だと思う。


 だって私は(自分で言うのは気恥ずかしいけど)これでも、コッカーマス地方の星辰教団内で近年「聡明な聖女」として知られる才媛なのだ。

 助祭より下の職位に就いていた頃から、勉強に対する熱意では誰にも負けたことがなかった。

 その点においては当時の同僚からも、若干引かれて……いや、尊敬されていた自負がある。


 ところが聖シャロン教会のあるウィンシップには、高価な書物に触れられる施設がない。

 それだけに「地方都市へ赴任したせいで、最近勉強する機会に飢えている」というのは、司祭クリスティナを知る人が聞けば、わりと納得感のあるのはずだった。

 ……まあ事実ここ数年、手元にある魔導書は紙が擦り切れそうなぐらい何度も読み返したし、そういう気持ちがまったくないわけでもないんだけど。



 とにかく、書簡を送って半月ほど待つと、聖堂側から返事が来た。

 届けられた書面には「クリスティナ女史の希望は承知した。ついては所定の日にタガート聖堂にて、司教マレットと面談して頂く。教会図書館利用の可否については、そののちに言い渡す」と記されていた。

 あまりにも想像通りの回答で、目を通した直後、口元に笑みが漏れるのをこらえ切れない。


 私は、教会の祭具室に入り、待祭のキャロルと一緒に長持をいくつか検めた。

 そのうちのひとつから、ほどなく目当てのものが見付かった。翠玉エメラルドの腕輪だ。

 聖シャロン教会に伝わる宝飾品の中でも、非常に古く、貴重なものだった。


「マレット司教と接見する際には、この腕輪を献上品として持参しましょう」


「ええっ……それって、メチャクチャ高価なものだったはずじゃありませんか? マレットさまが偉い方なのは知っていますけど、そこまでしてご機嫌を取る必要もないのでは……」


 キャロルは、大きな瞳を丸く見開いた。率直すぎる反応で、笑ってしまう。

 まあ私だって、正直これぐらい高価な品を、あの悪徳司教に渡すのは惜しい。

 でもマレットの好感を得ないことには、きっとタガート聖堂で面倒なことになる。


「タガート聖堂からの返信書簡には、教会図書館の利用許可を出すかどうかを、面談後に決定するって書いてあったの。それって行間を読むと、十中八九『聖堂の蔵書を読みたければ、そちらも相応の誠意を見せてみろ』って意味だと思うのよね」


「そっ、それで腕輪を献上しなくちゃいけないんですかあ……」


 キャロルは、辟易した様子でたじろいだ。

 とりあえず、献上品を用意する理由は理解できたらしい。書物を読むことと腕輪の価値をはかりに掛けて、二つが釣り合うかどうかには、まだ疑問を抱いているようだったが。



 私は、付け加えるように話を続けた。


「ところでキャロルは、タガート聖堂が収蔵する秘宝のことを知っている?」


「……あ、名前は聞いたことがあります。たしか『破魔はま宝珠ほうじゅ』でしたっけ」


 唐突な問い掛けだったが、キャロルは記憶を手繰たぐるような口調で答えた。

 コッカーマス地方の聖職者だけあって、名称ぐらいは認識していたようだ。


「破魔の宝珠」は、古代遺物アーティファクトの一種――

 つまり、ウォルバートン先史時代に作り出された魔法の品だ。

 現在では遺失した魔法技術が注がれていて、極めて強力な魔力を秘めているという。

 聖堂の地下施設に保管されているが、一部の聖職者しか実物を見ることはできない。


 でも裏を返すと問題なのは、マレットが日常的にそうした秘宝に接しているということだ。


「それだけに生中なまなかな献上品だと、たぶん司教さまの関心をくことは難しいように思うの」


「だから翠玉の腕輪を贈らなくちゃいけないわけですか。う~ん、厳しいですねぇ……」


 キャロルは腕組みすると、眉根を寄せて短くうなった。

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