第1話
その日、白木忠臣は酷く不機嫌だった。
それは、周りから見ても一目瞭然だったので、白木は人々から遠巻きにされていた。
当たり前だ。誰が好き好んで噴火寸前の火山に近づきたいと思うだろうか。
しかし、やくざであっても白木は周りに八つ当たりをすることはない。
何故なら、自分が古くからこの辺りを牛耳ってきた谷垣組の幹部、それも組長の右腕だと自他ともに認めているという矜持があるからだ。
白木は谷垣組の息がかかっている料亭の個室に向かっていた。
そこが今回、“死の商人”と取引する場所になっている。
金を渡し武器などを受け取るのは、白木より遥かに下っ端の者がやる。
よって、取引とは名ばかりで、白木にとって、死の商人達の組合が組を裏切る予兆を見極めるという仕事だ。
おそらく、相手の死の商人もわかっているだろう。
結局のところ、白木を含めた谷垣組の多くの人間は、死の商人を微塵も信頼などしていなかった。
組と死の商人は、付き合いだけは長いので、例外は居るが。
白木がふすまを開けた先には、予想通りにもすでに死の商人、菊岡は居た。
「・・・取引予定の時間より、5分早く着いたってのに、もう来てやがったのか」
「商人が上客を待たせるなんてことはできませんからね。……ところで、何か谷垣組の方で問題でも起こりましたか?」
「あ? お前には関係ないだろうが。それとも、あれか?うちの情報をよそに売りつけてやろうって腹づもりか」
「いえ、白木さんが不機嫌でいらっしゃったので、純粋に気になっただけですよ。もしかしすると、私たちがお役に立てるかもしれませんし」
「チッ、相変わらず、うさんくせぇ奴だな。金がすべてなお前等なら、客の情報を売るなんてこともやりかねない」
「私個人としては、完全に金がすべてという訳ではないですよ。信条もいくつかありますし」
「へぇ? お前が『客の信頼は商人にとって、最も大切にすべきモノだ』っていう持論で、客に嘘は吐かないっていう信条を持っているのは知ってたが・・・。いくつかってことは、他にもあるってことだろ?」
「はい。例えば、私は麻薬を商品として取り扱わないようにしています」
「そりゃまた、なんでだ? お前は、確かに死の商人だが、武器や兵器しか売らねぇって訳でもないだろ」
「麻薬が大量に出回り、社会に蔓延すると経済に支障をきたすんです。そこまでには至らなくとも、私たち商人に長い目で見れば少なくない損害を与えます。商人の中では、麻薬を刹那的、個人的に儲けたいと考える者、もしくは考えの足りない者しか商品にしないでしょうね」
麻薬を売らない理由を話す終わりに、死の商人である菊岡は吐き捨てるようにこう言った。
「それに、麻薬は嫌いなんです」
常に好青年然としていて、感情の起伏が読めない菊岡にしては珍しいと白木は思った。
実際、菊岡が客の前で感情を見せることは、本当に滅多にないことなのだと、菊岡の護衛として空気に徹していた男は知っていた。
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