第57話 二人きり

 俺は制服から部屋着変わりのジャージへ着替えたのだが、沙耶乃は制服を着たままエプロン姿へと変貌を遂げていた。


 いや変貌なんて表現がオーバーなのかもしれないがうちの高校の制服にようやく馴染んできた沙耶乃の制服エプロンのかわいさと言ったら、白石さやファンが百人いたら全員がこう言うだろう。


【高校生のさやと結婚したい!】


 と……。あろうことか俺もそのひとりになってしまった。


 いやいや……沙耶乃は俺の義妹なのに。



 最近夢に沙耶乃が出てくるようになった。


 日によって沙耶乃の髪型や衣装は異なるのだが、昨晩はあろうことか裸エプロンで……。


『ごはんにする? お風呂にする? それとも……わ・た・し?』

『沙耶乃!?』


 俺が戸惑っていると、沙耶乃はうふふっと小悪魔的な笑みを浮かべて、彼女の下着に手をかけ脱ぎ始めてしまう。


『お兄ちゃん。おいしく実った私を食べちゃお♡』


 たわわを俺に押しつけて、沙耶乃はそのまま俺をベッドに押し倒して、そのあとは♡♡♡♡って感じの口出すのも憚れるくらいのとってもえっちな夢。



 以前は綾香だったのに、沙耶乃が微笑んで俺をえっちなことを誘ってくるとか妹に欲情する変態ニキにも程がある。


「お兄ちゃん?」

「おわわ!?」


 見目麗しいご尊顔を鼻先が触れ合うくらいまで近づけ、俺を覗き込む沙耶乃。沙耶乃との甘いひとときを過ごした夢を思い出し、しあわせに浸っているとホンモノの沙耶乃が俺を妄想の世界から呼び戻した。


 あわてて、口角から垂れた涎を拭う。


「お兄ちゃんは慌てん坊さんだねー、まだお料理できてないのに涎がでちゃうなんて」


 良かった、そういう風に見てくれて。沙耶乃に欲情して涎が出たなんて言ったら、いくら俺に好意を寄せてくれてる沙耶乃でもドン引き確実だ。


「沙耶乃の作ってくれるごはんを思い出すだけでも涎が出てしまうんだよ。なんせ絶品だからな」

「う、うん……ありがと、お兄ちゃん」


 沙耶乃は俺が誉めたことで頬を赤らめて、はにかむ。


 たぶん俺はキモい顔をしていたんだろうけど、沙耶乃は気に留めることなく、元気な声でかけ声をかける。


「じゃあ始めよー! 沙耶乃と……」

「えっ!? 俺も言うの?」

「うん! お兄ちゃんといっしょにしたいの」


 沙耶乃は祈るように手を組んでお願いしてきた。沙耶乃から出されたリテイクに俺は照れながら、沙耶乃と肩を合わせて、二人で言い放つ。


「「沙耶乃と……春臣のお料理タイムー!!!」」


 明るい笑顔で制服エプロン姿になった沙耶乃がまぶしすぎて、直視できないっ!


 アイドルだった沙耶乃が俺といっしょにお料理を作ろうというのだ。黄泉坂テレビでメンバーとお料理するということで、俺はその練習相手をしていたのだが、やっぱりこればかりは慣れない。


 俺が恥ずかしがっていると、沙耶乃はうれしそうに言った。


「お兄ちゃんとお料理した動画をあげたら、ぜったいにバズっちゃうねー!」

「う、うん……」


 引退したとはいえ、たぶんスキャンダラスな感じで炎上してしまうような気がした。



 沙耶乃は冷蔵庫から黒毛和牛とシールの貼られたお肉を出してくる。


 けど……あんなお高そうなお肉あったっけ?


「んふふ。お兄ちゃんにいっぱい元気になってもらわないとねー!」

「あ、ああ……」


 まさか俺に精をつけさせて、沙耶乃と二人きりの夜を迎えさせるとか。いやいや、そんなことは沙耶乃に限ってない……はずだ。


 俺がどきどきしている間にもフライパンでステーキを焼くようにお肉を焼いていた。一方の俺は油を引いたお鍋に玉ねぎを炒める。


 ジュジュッと音を立てて、お肉と玉ねぎが水分を飛ばしながら、焼けていくと香ばしい香りが漂い、鼻孔をくすぐる。


「綾香ちゃんもこんな風に身を焦がしているのかな?」

「ん? 沙耶乃、なんか言った?」

「ううん、なんでもないよ。それよりもう他のお野菜も入れてもいいころじゃない?」


 沙耶乃に指摘されて、お鍋を見ると玉ねぎはすっかり飴色になり、甘さマシマシって感じになっていた。レンチンした人参とじゃが芋を入れると一気に鍋のなかが華やいだ。


 沙耶乃は天日干しの塩とペッパーミルで挽いた胡椒をお料理YouTuberもびっくりするくらい鮮やかな手つきでお肉に振っている。


「ステーキとして食べてもおいしそうだよな」

「うん、それもいいけど……今日はもっとおいしくなるようにがんばろ」

「そうだな」


 ナイフとフォークを上手に使い、お肉をサイコロ状に切って、お鍋に入れると俺たちは水を注いだ。


 ローリエがほのかな香りを漂わせ、ぐつぐつとお鍋が音を立てるなか、二人でリビングのソファに座り、煮えるまで見守っていた。


「ど、どうかな? お兄ちゃんに教わった通りにやってみたんだけど……」


 鮮やかなお料理の手つきとは裏腹に沙耶乃は恥ずかしそうに俺を見てくる。


「いや俺が教えたのなんてもっと単純なものだったからな。ほんと沙耶乃は頑張り屋さんだ」

「お兄ちゃん……お願いがあるんだけど……」

「ん? どうした?」

「あのね……まえみたいに頭撫でてほしいの……」


 もうすっかり超人気のアイドルとして、大人たちと仕事をしていた沙耶乃は俺なんかより断然大人びていると思っていたが、人差し指を唇に当てて、上目づかいで甘えてくるところは昔とちっとも変わっていない。


 俺はそんな沙耶乃に安心と……かわいさを覚えた。


「やっぱり子どもっぽいよね……」


 沙耶乃のかわいさに打ち振るえていると、彼女は俺がいつまでも撫でないことを残念がって、うつむいてしょんぼりしてしまう。


「そんなことない。俺はうれしいんだよ、沙耶乃が変わってなくて」

「うん! 沙耶乃、お兄ちゃんに撫でられるの大好きだよ!」


 沙耶乃の頭を撫でるとさらさらとした髪に手が触れる。いつまでも撫でていたいと思わせるほど手触りが良かった。俺が撫でると沙耶乃は猫が撫でれているように目を細めて、気持ち良さそうにしていた。


 すると沙耶乃はこくりこくりと頭を揺らし始めて、電車で隣の乗客にもたれかかるように俺の肩に身体を預けてきた。


「お兄ちゃんに撫でれていると安心してなんだか眠くなっちゃうの……」


 沙耶乃は黄泉坂のなかでも生まれ持ったリーダー気質というか人を惹きつける才能があった。


 だがそんな沙耶乃は目元を指でこすり、もにょもにょと幼女のように言い訳をつぶやく。黄泉坂のメンバーやファンのまえでは絶対に見せない姿に愛おしさが込み上げる。


「俺が見ておくから大丈夫だよ、沙耶乃は眠っていて」

「うん……お兄ちゃんのたくましい胸元に包まれて眠れるなんて、すごくうれしい……」


 むにゃむにゃと寝言のように言ったあと、沙耶乃はすやすやと寝息を立てて眠ってしまったようだ。


 彼女の寝顔を見ると本当に地上に降臨した天使のよう。


 昔は俺になついてかわいい妹だったのにあれよあれよと言う間に日本国民なら誰もが知る超人気アイドルになってしまった。


 そんな女の子なら誰もが羨む環境を捨て去って、俺のために引退したと聞いたときはびっくりしたが、忙しい日々から解放された沙耶乃が俺と幸せそうに過ごしているのを見ると昔に戻ったようでうれしい。


 なんだか沙耶乃とえっちなことをするとか考えていたのがちょっと恥ずかしくなる。まだ俺と沙耶乃とは温度差はあるけど、ゆっくりお互いの関係を暖めていければいいと思った。



「ううん……」

 

 沙耶乃が目元をこすって目を覚ました頃には具材がしっかり煮えて、あとはルーを入れてひと煮立ちすれば俺と沙耶乃のカレーは完成だ。


「沙耶乃、ごめん。ちょっとルーを入れてくるな」

「あ、うん、お願い、お兄ちゃん」


 起き抜けで、ぼーっとしている沙耶乃。パジャマ姿で萌え袖になった沙耶乃もかわいいが、制服エプロン姿で居眠りからの寝起きも甲乙つけがたいかわいさだ。


 ルーを入れて十分ほど煮込んだところで、すっかり目の冴えた沙耶乃は拳を突き上げて高らかに宣言する。


「お兄ちゃんと沙耶乃のラブラブカレーの完成ですー!」


 ぶふぉっ!?


 思わず沙耶乃のストレートすぎるお料理の命名に吹き出してしまう。


 俺が照れてもじもじしていると沙耶乃はふふっと笑いながら、お玉を持ってカレーを混ぜていた。


 ――――ピンポ~ン♪


「あ、俺出るよ」

「うん」


 ごはんをお皿によそって、さあ食べようと思っているとふいにインターホンが鳴ったので、俺はリビングのモニターで応対する。


「はい、君塚です」

『あの……朝霧です……今日はお二人にお礼がしたくて……』

「ゆのちゃん!?」


 最近ゆのちゃんは足繁く俺たちの家を訪れていたのだが……。


「お兄ちゃん、私が出るねー!」


 沙耶乃はお玉に掬ったカレーをまたお鍋に戻すと、俺が声をかける間もなく慌てて玄関へ向かっていた。

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