第56話 お邪魔虫

 振り返ると、教室でふて腐れた態度を取っていた綾香がもじもじしながら、俺のブレザーの袖を摘まんで引いていた。だがなにも言うことなく、ただその場に留まっている。


「なんか用か?」


 俺から訊ねないと雰囲気からして綾香はずっとそのままだと思えた。

 

 綾香はこっちを見たかと思うとすぐに顔を背けて、またこっちを向く。三十秒ほどそんな仕草が続いたかと思うとようやく綾香は口を開いた。


「あのね、春臣。私がんばったでしょ? だから、その、あの……」


 きたきたきた。


 こういうとき、綾香はなにかプレゼントを欲しがっている。


「あのなぁ、綾香。俺のお小遣いでブランド物のバッグとかお財布とか買い与えられるとか思うなよ。そもそもぜいたく過ぎなんだ」


 そもそも綾香がクラスでハブられたのは、綾香自身のやらかしが原因。なのに俺が綾香にプレゼントを贈らなければならない理由が分からなかった。


「違うわよ!!! 春臣のばかっ! ばかっ! ばかっ! 私はそんな欲しがり女じゃないんだから!」

「じゃあ、なんなんだよ。俺のこと馬鹿にしてんなら、もう行くぞ」


 まえを見るとすでに沙耶乃たちの姿はなく、おそらくもう教室へ戻ったと思われる。


 綾香はまるで犬が知らない人を威嚇するようにふーっ、ふーっと低い唸り声を出しながら、ブレザーのサイドポケットへ手を突っ込んだ。


「もう!」


 そうかと思うと俺に腹パンを決めるかの如く拳を突き出している。彼女の拳にはチケットが握られており、どうやらそれを俺に渡したいらしかった。


「なにこれ?」

「見て分かんないの? 黄泉坂の公演チケットに決まってるじゃない! 沙耶乃のお守りしてたのにそんなことすら分かんないなんて、やっぱり春臣はダメよね」


 俺がぐちゃっと皺の寄ったチケットを広げて内容を確認していると、綾香は両の手のひらを上に向けて、俺を鼻で笑っている。


「いや内容は分かってるんだ」

「えっ!? 知ってるの?」


 返した言葉に綾香は驚いた表情を見せる。そのチケットの日付はゆのちゃんから正メンバーオーディションを兼ねた公演だってことを俺は聞いており、彼女から招待を受けていたのだから。


「ああ。だけど無関係の綾香がなんで黄泉坂の公演チケットを俺に渡すんだ?」

「春臣のばかっ! 来たら分かるんだから、絶対に来なさいよ!」


 チケットを渡した綾香は肝心なことを一切伝えずに走り去ってしまう。


 俺の手元にはチケットが二枚……。


 これは沙耶乃のチケット代が浮いたと思えばいいんだろうか?


 走り去る綾香と呆然と立ち尽くす俺。


 また綾香がつまらないことを企んでないか、それだけが心配だった。



「ふわぁ~、眠い……」


 今日の授業がすべて終わると安心してしまい、自然とあくびが出てしまう。


「あ、あの……春臣、私ね……」


 教科書やらノートを鞄につめて、立ち上がると目のまえに綾香の姿があった。最近やたらと俺のそばに寄ってくる……。たいてい喧嘩みたいになってしまうので俺は綾香とは正直距離を保ちたいのだが。


「分かってるよ、ちゃんと公演に行くから」


 俺は鞄を担いで綾香に背を向けて、手を上げ教室から出ようとしていると、


「お兄ちゃん、沙耶乃と帰ろっ」


 沙耶乃が俺の腕を取って、いっしょに下校したそうに甘えてくる。


 くっ!


 上目づかいで俺を見つめてくる義妹がかわいくて、目に入れたくなってしまう。いや入んないけど!


「じゃあな、綾香」

「綾香ちゃん、ばいばーい!」


 沙耶乃と腕組みしたことで男子たちの嫉妬が怖い。なので、そそくさとその場を去ろうとしていた。


「ちょっと沙耶乃! 私が春臣と話してるのに割って入らないでよ!」

「お兄ちゃん、そうなの?」

「いやお昼に内容は聞いてるからな」

「みたいだよ、綾香ちゃん」


 沙耶乃は誰もがキスしたくなるようなかわいい唇に人差し指を置いて、首を傾げてきょとんとしている。


「春臣! 私も……私もいっしょに……」

「いまさらいっしょに帰りたいなんて言わないよね? 綾香ちゃんはお兄ちゃんのこと、嫌いなんでしょ?」


 震える声で綾香が俺に言うと沙耶乃は不思議そうな目で綾香を見ながら訊ねた。


「嫌いなわけない……嫌いなわけないでしょ! 私が嫌いなのは沙耶乃なんだから!!!」


 すると綾香は強い語気で言い放って、帰り支度をしていたクラスメートたちが一斉に俺たち三人を見てしまう。


「はいはい、綾香ちゃんは私たちと帰ろうね」

「まったくなにやってんだか……」


 三島がわがままを言う子どもをあやすように綾香の手を引き、村瀬が額に手を置いて綾香に呆れていた。


「ちょちょ、ちょっと! 私はまだ春臣と……」


 まだなにか言いたそうな綾香だったが、三島がウィンクして俺たちに早く帰宅するよう目配せしている。


「ありがとう、奈緒子ちゃん、美穂ちゃん!」


 三島と村瀬のおかげで絡んできた綾香から逃れ、沙耶乃と兄妹水入らずで下校できることになった。



「母さん、帰ってきたよ」

「ただいま~! って今日は……」


 いつもなら母さんの朗らかな声が帰ってくるのに、シーンとしたまま。


「そうだったな」


 帰宅すると母さんの姿はなく、はたと俺は思い出した。今日は父さんと母さんは綾香のご両親と事件解決のお礼に食事会にお呼ばれして、深夜まで戻らないんだった。


「お兄ちゃん……あの……晩ご飯食べたらお兄ちゃんの部屋に行ってもいいかな?」


 頬を赤くした沙耶乃は手を後ろで組んで、恥ずかしそうにおしりをふりふりと振って、訊ねてきていた。


 も、もしかして沙耶乃は……俺と今晩……いやそんなことは……。


 俺の心臓はバクバクと脈打ち、心音が耳でも聞き取れそうなほど震えていた。

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