第32話 止めのキス【ざまぁ】

 俺が父さんの遅刻を詰ると、険しい顔からテディベアのような困り顔で答えた。


「無茶言うなよ……なんせ裁判所に逮捕状取りにいかせてたんだからな」


 俺たちが少し話していると、実は本職ヤ○ザじゃないかと思えるほどの強面の人がやってきて、父さんに報告していた。


「班長! 容疑者全員の確保完了です。あとこれなんですが……」

「おう、ご苦労さん。五課にも声かけといて正解だったな」

「ええ、見るからに純度高そうですからねー」


 アルミケースに入っていた小さなビニール袋を白手袋で持ち上げ、眺めながら強面の刑事は言う。


「さっさと歩け!」


 真っ裸だった芳賀と服部はパンツ姿で手錠をされドナドナされていく。ちらと俺が芳賀と服部を見ると二人の反応はまったく違っていた。


「ぎみづがぁぁぁーーーっ!!!」


 芳賀は獣のようなうめき声で俺の名を呼んでいたが、服部は……、


「ひっ!? も、もう叩かないでっ!」


 手錠につながれた両手で顔を覆い、俺を恐れている。半グレなのか、ヤクザなのか、俺にははっきり分からないが、容疑者のほとんどが床に突っ伏した芸能事務所の惨状を見た父さんが苦言を呈した。


「しかし、春臣……ちとやり過ぎじゃないか?」

「俺がそんな強いわけないよ。ほとんどやったのは武秋だから!」

「そうか……だよな、はっはっはーーっ!」

「そうだよ、はっはっはーーっ!」


 まあ、ほとんど俺が倒してしまったようなもんだけど……。目立ちたくないから、ぜんぶ武秋の手柄にするために奴を連れてきた。


 父さんが言うには、ちょうど内偵を進めていたそうだが中々足を出さずに苦労していたらしい。そこへ綾香の両親がやってきて、家宅捜索から緊急逮捕に切り替えたそうだ。


「おまえらは確実にムショ行きだろうな」


 手が後ろに回った諏訪や皆川たちに父さんが声をかけると、二人はキッと睨むが父さんはどこ吹く風で、なにごともなかったかのように泰然自若たいぜんじしゃくとしていた。


 成り行きとはいえ、なんかめちゃくちゃヤバいことをしてしまったと今更ながらに思う。取りあえず、ぜんぶ武秋のせいにしておくことに決めた俺。


「外で沙耶乃たちが待ってる。行ってやれ」

「ありがとう、父さん!」



 俺がマンションの外に出ると物々しい雰囲気でパンダと覆面のパトカーが何台も停まっていて、規制線まで張られていた。


 俺はコートのような物を羽織り、武秋から婦警さんに寄り添ってもらっている綾香の姿を見つけた。


「は、春臣ぃぃぃ……」


 今まで気丈に振る舞い、涙を見せなかった綾香は俺の顔を見た途端、涙腺るいせんが決壊してしまったようでボロボロと大粒のしずくを流している。


「わ、わたしぃぃ……頑張ったのに、頑張ったのにアイドルになれない……沙耶乃に負けてばっかりだよぉぉ……」

「そんな無理して沙耶乃と張り合わなくてもいいじゃねえか……綾香は綾香なんだしさ」


 綾香の意地っ張りに俺はやれやれと呆れてしまいそうになっていたが、


「『みたいなアイドルと結婚できたらなぁー』って、春臣言ってたじゃん! ずっとずっと努力してきたんだからっ!」

「ま、まさか!? 綾香……そんなガキのころのこと覚えてたのかよ!?」


 無言でこくりと頷く綾香……。


 うさみみ――――宇佐美あゆみという俺たちが子どもの頃に至高の歌姫とまで呼ばれたアイドルの愛称だ。俺はうさみみが大好きで毎日、保存したデータが焼き切れるんじゃないかというほど彼女の曲を聴いた憧れの存在だった。


「ずっとずっと春臣の理想に近づこうとしてたのに……沙耶乃は簡単になれたのに私はせいぜいコネで選んでもらった読モが限界……ううっ、ううっ」


 綾香は左手で俺の胸ぐらを掴んで、右手を握ると、いままでの悲しみ、苦しみを訴えるかのように俺の胸を叩く。


 こんなにギャン泣きする綾香はガキの頃以来だ。


「俺のこと嫌いって、こっ酷く振ったじゃん……あれは嘘だったのかよ?」


 俺が振ったことについて述べると、綾香はキッと俺を睨んで本心を明かす。


「沙耶乃が春臣のことを恋愛対象として見てたのは分かってたから。でも沙耶乃は実の妹だから、付き合えない。沙耶乃がくやしがるだろうと思って、私が春臣を振っても、べた惚れって見せつけてやりたかったのよ!」


 綾香のやらかした数々のことはなに一つ擁護できるようなものじゃない。だけど、俺の無邪気な言葉は綾香をずっと苦しめてきてしまっていたようだった。


「私はアイドルになるまで春臣の告白は断ろうって決めてたのに、なんでなんであんな純粋に私のこと、好きなんて言えるのよぉぉ……」


 綾香は俺の言葉を愚直に遂行していく内にどんどん擦り切れ歪んでいったんだ……。


「無名の地下アイドルでも売れれば春臣はまた私に関心を持ってくれるって思ってたのに!」

「綾香!?」


 俺に甘えるように抱きついてきた綾香だったが、今回ばかりは怖くてツラい思いをしたのは疲れの色からもはっきり分かったので、慰めるように綾香を包んでいた。


 だけど……上目づかいになった綾香は意外な言葉を口にする。


「なんだかんだ言って、命の危険を冒してまで助けにきてくれたぐらいだから、やっぱり春臣は私にまだ惚れてるんだよね!」


「いや、あの綾香さ……俺はおじさんやおばさんが綾香のことで心を痛めてる姿が見てらんなかっただけだ」

「うそ、うそ、そんなまた照れなくてもいいわよ」


 口角を広げて得意気になり、綾香はもう一度俺から告白して欲しそうに振る舞っていたが、もう遅いんだ……。


「綾香、ごめん。俺、実はさ……」


 俺が沙耶乃と付き合い始めたことを言いあぐねていると綾香はぷるぷると震えながら、俺から離れたかと思うとっと俺の胸を突き飛ばして、告白という名の怒りをぶつけてきた。



「私と付き合いなさいよーーっ!」



 激情家の綾香らしい告白だった。まさか綾香のほうから告白されるなんて……。俺が告白したとき、綾香が素直になっていれば、俺の人生はまったく別の道を歩んでいたかもしれない。


「俺は……綾香とつき合え……」

「うんうん、つき合えるんでしょ? 決まりよね」


 綾香の告白に返事しようとしていたときだった。



「お兄ちゃーーーーーーーーーーーーんっ!!!」



 沙耶乃は俺の姿を見つけたかと思うと手を振り駆け寄ってきて……綾香の目の前で俺の反射神経でもまったく対処できないコンビネーションをくり出していた。


「えっ!?」


 その刹那、俺だけじゃなく見ていた綾香の時間すら止まっていたと思う。



 ん――――。



 ハグからのキス……。



 沙耶乃はぎゅっと強く俺を抱きしめると、心も身体も溶けるような熱い口づけをしていたのだ。


 沙耶乃の鼓動までもが麗しい唇から伝わり、まるで沙耶乃とひとつになったかのような不思議な感覚になる。キスを交わしながら、沙耶乃の想いに応えるように俺は愛おしい彼女の身体を包みこむ。


 それは周り全部の時間が停止したかのような二人だけの世界……。


「え……」


 俺と沙耶乃の本気マジキスを見た綾香はレイプ目みたくなっており、思考が完全停止しているようだった。

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