第50話 柔らかな狭間

 俺は沙耶乃に綾香の家に行ったことを話していた。包み隠さずにすべて正直に……。


「絶対にハニトラだから、気をつけてね」

「だよなぁ、あの綾香が俺に告白とか裏があるよな!」


 俺は父さんみたいにがっはっはーっと大笑いすると沙耶乃はうんうんと首を縦に振り、同意していた。だけど、なんだかデレている素振りも見せているような気がするのは自意識過剰って奴なんだろうか。


 もしかしたら、体よく綾香に利用されているのかもしれないが、昔一緒に風呂に入った仲だ。綾香がおかしくなった原因を作ったのは俺の責任でもある。


 綾香の謝罪のサポートをして、学校生活を正常に戻してやるのが、幼馴染の務めってものだろう。


「そっかー、結城さん、綾香ちゃんの謝罪を受け入れてくれたんだ。良かったね!」

「まあな。それにしても二人とも意地っ張りというか、プライドが高いよな」


 俺は綾香が利子つけて差額を返金したことを話すと沙耶乃は「あはは」と声をあげて、笑っていた。


「二人とも似た者同士なんだよー。だから喧嘩もするんじゃない?」

「なるほどな、確かに沙耶乃の言う通りかも」


 喧嘩は同レベルでしか起こらないっていうし、綾香が沙耶乃にふっかけてきても、沙耶乃は端っから相手にしてないというか、簡単に流してるからな。


 沙耶乃はアイドルという別世界に長くいたから、俺たちなんかよりずっと大人なのかもしれないなどと思っていると、


「あのね、お兄ちゃん……」

「どうしたんだよ、そんな改まって」


 沙耶乃はさっきまで寝そべっていた俺のベッドのうえで正座して、パジャマの襟を正していた。


「お兄ちゃんにいっぱい迷惑かけて、お世話になった分、その利子つけて返すというか……」


 沙耶乃は話の途中で急に歯切れが悪くなり、人差し指同士をすり合わせ、もじもじし始めると頬がかーっと真っ赤になる。


「いいよ、気にしなくて。俺こそ沙耶乃みたいにかわいい彼女がいることだけでも幸せなんだから!」

「うん、ありがと。でも沙耶乃はお兄ちゃんの赤ちゃん、いっぱい産みたいな!」


 へっ?


 思ってもみない俺の赤ちゃん欲しい発言に完全に脳の思考は停止した。沙耶乃をまるで捨て台詞を残して去るようにお布団を引き寄せ、なかに完全にこもってしまう。


 沙耶乃と俺の赤ちゃん……。


 俺はその夜、想像するだけで目が冴えてなかなか寝つけなくなってしまった。



――――翌朝。


 綾香が村瀬と三島に巻きこんでしまったことへの謝罪へ出かけると朝ご飯のときに沙耶乃に伝えた。


 するとだがなぜか、おかしいことになってる。


「なんで沙耶乃がいんのよ! 春臣と二人きりでみんなに謝りに行くって話じゃなかったの?」

「お兄ちゃんはそんな約束いっさいしてませーん」


 眉をひそめて沙耶乃に敵意むき出しで噛みついた綾香だったが、沙耶乃は子どものように舌を出して綾香を挑発していた。


「まあ二人とも最初から喧嘩するなって。綾香も綾香だぞ、心細いって言うから、沙耶乃も一緒に来てくれたのに」

「私は沙耶乃になんか頼んでないわよ。春臣と二人きりで……」


 俺が綾香を諭すと頬を赤くして、ぶつぶつ呟いて歯切れが悪い。


 それにしても歩きにくい……。


 俺の両の腕を二人が掴んで離さない、まさに両手に華状態で歩いているのだから。綾香はにゅっと顔を出して、三人で歩くことが気に入らないのか沙耶乃に噛みつく。


「沙耶乃はひとりで歩きなさいよ!」

「えー、それを言うなら綾香ちゃんの方なんだけとなー。私、お兄ちゃんの彼女だし」


 ぐぬぬ、っと綾香は苦虫を噛み潰したような顔をしたかと思えば……。



  あっ、綾香っ!?



 俺の腕に胸を押し当てながらしがみつく。それを目の当たりにした沙耶乃はすぐさま綾香を指差して抗議した。


「綾香ちゃん、お兄ちゃんのこと振っておいて、よくそんな甘えた態度がとれるよね」

「うっ、うるさいわね! 前から自転車が通ってきたから、避けただけよ」


 確かに綾香は自転車を避けようと俺にくっついた。だが自転車が走り去ったというのに離れようとしていない。


「お兄ちゃんのこと、好きなら好きって言えばいいのに……」


 沙耶乃の遠慮のない言葉に綾香はぎょっとして、するりと俺の腕から身体が離れて、ひとり俯いてしまい表情が窺いしれないでいる。


 肝心の綾香抜きで謝罪へ向かうわけにも行かず、振り返ると……、


「おい、綾香。どうしたんだよ。立ち止まってたら、謝りにいけないだろ」

「うんうん、せっかくお兄ちゃんが付き添いしてくれてるってのに、時間が無駄になっちゃうよー」


 俺たちは焦らすつもりはないのだが、道端でずっと道草食ってるわけにも行かず、先へ進むことを促していた。


 すると綾香がきゅっと両手を握りしめ、唇を噛んでぷるぷると身体を震わしていて、俺を顔を見て睨んだかと思うと、瞼いっぱいの涙を溜めこんで感情を一気にあふれさせてしまう。


「ひっ、人の気も知らないで、沙耶乃はなんでなんで、そんなに私のこと責めるのよ! 私だって春臣のこと、好きなの! 大好きなの!! 髪だって、春臣の大好きなみたいにしたのにちっとも触れてくんないし、家に来たときだって、私のこと疑って大福とスムージーを私のと取り替えてたし……。ちょっとは信じてよ!」


 綾香から初めて聞いた俺が好きという告白。


「あ、綾香……、本当に俺のこと、好き……なのか?」


 あの綾香から道端でやけくそ気味に告白されて、戸惑いたどたどしくしか訊き返せない。


「そうよ、沙耶乃とつき合うなんて、おかしいんだから! おじさんやおばさんにバラされたくなかったら、さっさと別れなさいよっ!! 春臣は私とつき合うのが一番幸せになれるのっ!!!」


 どういう理論でそうなるのか、綾香の言ってることに理解が追いつかないでいると、沙耶乃が介入してきた。


「そうかなー? 綾香ちゃんはお兄ちゃんに迷惑ばっかりかけちゃうと思うんだけどなぁー。お父さん、お母さんに言いたければ、言えばいいと思う。いずれは言おうと思ってたことだし」


 俺がおろおろするなかでも沙耶乃はまったく動じることなく、互いににらみ合いながら反論していた。


「ま、待ってくれ! 二人とも今、それどころじゃないだろ。綾香、俺は何度も言ってるが沙耶乃と付き合ってる。告白は受けれないんだよ……」


 髪はそうなのかなぐらいに思ってたけど、反省して髪切ったとかも考えてたから敢えて突っ込まなかった。しかし、出されたものを取り替えてたのはバレてたのか。意外と侮れないな。


 これが俺と沙耶乃がつき合っていなければ、十数年来の誤解が解けて、晴れて俺たちは両想いということになるのだろうが、そうは沙耶乃が許さなかった。


 広めの歩道で他人の目のあるなかで、痴情のもつれか、三角関係でいかにも揉めてる連中といった具合で変な目で見られつつある。


「とりあえず、先を急ごう。ここで揉めるのは得策じゃない」


 まさか綾香に連敗し続けた俺が綾香と沙耶乃の二人から好意を寄せられてしまうとか、どうなってんだよ……。


 ロードサイドにあったファミレスに飛びこんで、二人をなだめるつもりでいたのだが、なにかおかしい。


「なんで綾香ちゃんもこっちに座ってるの?」

「私が座りたいところに座って文句ある?」


 店員さんに案内され、四人掛けの席に沙耶乃が先に座ったので、俺が隣に座ったまでは良かった。問題はそのあとだ。


 綾香まで同じソファーに腰をおろして来たので本来、二人で座るのが適正なのに三人掛けてるから、結構窮屈になり、壁に押しこまれた沙耶乃は綾香に怒る。


 沙耶乃が俺を押して、綾香を席から弾き出そうするが、綾香も負けじと応戦すると……、


(めちゃ柔らかーい)


 俺の身体に二人のたわわがぷにぷにと接触して、俺は睡眠不足も伴い、まだ夢のなかにいるのかと思ってしまった。



 何がどうして、そうなったのか分からない。



 おそらく情けなく俺の顔は鼻の下を伸ばしてしまっているのだろうと思っていると、明るい声で俺たちは名前を呼ばれた。


「沙耶乃、春臣!」

「さやのん! 君塚!」


 どたばたしてる最中、きょろきょろしてる美少女二人組がファミレスに入ってきたので、沙耶乃が大きく手を振ると、ウェイトレスさんに相席をお願いしたあと、こちらに向かってきた。


 だが席に近づいても、二人は一切綾香と視線を合わそうとしていなかった。


 どうやって、三人を和解させるべきか、本当に悩ましい……。混迷を極める綾香と村瀬、三島との和平交渉が今、始まろうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る