第47話 思い出

「沙耶乃さん……武文は兄で、僕は武秋です」

「そうなの? 知らなかったー」


 八神くんがなにかぶつぶつ呟いていたけど、私はそれどころじゃなかった。


 八神くんに綾香ちゃんと同じ機種のスマホを渡していた。新品なんだけど、特別な伝手でほんの少し手を加えさせてはもらったものを……。


 最近は金銭的に余裕のなくなった綾香ちゃんなら間違いなく使ってくれると思う。私もファンからストーキングされたことがあって、色々と学ばせてもらったの。


 ほとんどはお父さんとお兄ちゃんが防いでくれたけどね。お兄ちゃんが紹介してくれたその手のことに詳しい専門家の人たちのおかげで被害はもうない。


 綾香ちゃんがこそこそ嗅ぎ回って、八神くんに声をかけてくるってことはやっぱり本気でお兄ちゃんのこと落とそうとしてきてるんだろう。


 でも綾香ちゃんはいつも詰めが甘い。


 いまさら私からお兄ちゃんを奪おうなんて、許さないんだから。



 お店にいた女の子に八神くんの視線が注がれるとくらっと目眩がしたように倒れそうになってしまっているけど、お兄ちゃん一筋の私には特に問題じゃない。


 綾香ちゃんもたぶん、私と同じだろう。


 なおちゃんが出してくれたミルクにザーッとバッグから取り出した粉を注いで、お店に用意してもらった長いスプーンで撹拌し終えると、ようやく口をつけた八神くんに訊ねた。


「やっぱり綾香ちゃんは来たんだよね」

「はい、あの女はあろうことか、俺に沙耶乃さんを寝取れなどと寝ぼけたことを言っていました」


 カップルでお店に来ている男の子は女の子の視線が八神くんに注がれていることに対して、明らかに彼に嫉妬していた。


「本当にどうしようもない子だよね」

「俺もそう思います」


 八神くんは男の子に目もくれることなく、私の話に集中しているようだった。眉間にしわを寄せながら、プロテイン入りミルクを飲み干した八神くんは途端に眉根が下がり、不安そうに訊ねた。


「でも良いんですか? 春臣とあの女を二人きりにしてしまって……」

「うん……一応ね。そうじゃないとフェアじゃないと思ったのと、お兄ちゃんに決めて欲しかったの。私か、綾香ちゃんか」


 私はお兄ちゃんを信じてるから。


「もしも春臣の奴が綾香って女を選んだなら、ぶん殴ってやってもいいですか?」


 八神くんは強く拳を握りしめ、いつになく真剣な眼差しで私を見つめてくる。


「それはお任せするね」


 もの凄く強い八神くんだけど、無闇に人を傷つけたりするような男の子じゃない。そんな彼が私のためにお兄ちゃんを……。


「俺は常に沙耶乃さんの味方ですから!」

「ありがとうね。こんな面倒な女につき合ってくれて……」


 お兄ちゃんが綾香ちゃんを選んでしまったら、私は平然としてられるのかな? それでも大好きなお兄ちゃんを応援したい気持ちとぐちゃぐちゃになってしまっていた。


 ううん、お兄ちゃんは絶対に私を選んでくれる。私がお兄ちゃんを信じなきゃ、誰が信じるの!


 そう、こんな周りくどいことをするのは綾香ちゃんがいくらお兄ちゃんを誘惑したって無駄ってことを分からすためなんだから。



――――【春臣目線】


 俺はこのまま綾香にストーキングされ続けるのが嫌で、彼女についていった。どこに行くかと思えば、綾香の自宅。


 白い壁に平屋根の家屋に広い手入れの行き届いた庭。相変わらず、綾香の家は俺の家と違って二周りほど大きい。門扉をかちゃんと音を鳴らして開ける綾香だったが、俺は敷地に入る前に釘を刺した。


「本当にストーカーなんて止めてくれよな」

自惚うぬぼれないでよ! 私は春臣のストーカーなんてしてないわ!」


 俺の自意識過剰だったのだろうか?


 綾香は顔を真っ赤にして、あたふたしながら必死で取り繕いストーキングなどしていないと強弁しているのだが、沙耶乃から綾香がこちらを見張っていると何度も報告を受けている。


 沙耶乃のおかげで綾香の報復を受けることなく済んでいるが、いくら綾香が女の子だとしても警戒を怠ると油断してハニートラップでやられてしまうだろう。


 ただこのまま綾香と冷戦のような状態を続けるのもダメだと思う。放っておくと、どんどん綾香は孤立していってしまいそうだ。



 結局今日までまともに会話すらできなかった。



 今ではすっかり犬猿の仲になってしまって、沙耶乃と綾香が出くわすと恐ろしい雰囲気を醸し出してしまうので、ちゃんと話すには良い機会なのかもしれない。


「さあ、入って」

「ああ……」


 綾香が立派な玄関を開けると裕に三十足は横並びに置けそうな広いたたきに靴を並べて、お邪魔する。


 昔は綾香に招かれて、よく遊んでいた。


 広いお庭でままごとなんてしようものなら、綾香と沙耶乃でどっちが嫁か、子どもをするかの配役でひと悶着があったことを思いだす。


 綾香がお嫁さんをやると子どもの沙耶乃を虐待するので、俺は離婚だぁ! みたいなこともあったような……。


 逆に綾香が子どもだと、沙耶乃にDVする不良娘になってしまい、俺を困らせていた。


 そういう意味では綾香はあんまり昔と変わってないのかもしれないな。



 ひさびさに上がった綾香の家は綺麗に掃除されており、高そうな絵画やいくらするのか分からない壺が置いてあり、迂闊に手は触れられそうにない。


 せっかく久しぶりに来たので、綾香の両親にあいさつしようと思って、訊ねた。


「おじさん、おばさんは?」

「いないわ、旅行に行っているの。優雅なものよね。いない方が私は楽だけど」


 それは残念だ。


 綾香の両親は優しいというよりは甘い感じがする人たちで俺たちが訪れると、食べたことのないような高級なお菓子をよく振る舞ってくれていた。


 綾香は一人っ子で結構甘やかされて、育てられたような気がする。わがままなところは両親の影響なんだろうな。


「先に部屋に上がっててよ。なにか飲み物でも持っていくから」

「いやあるから構わねえよ」

「うるさいわね、人の好意は素直に受け取りなさい」


 俺は特に喉も渇いておらず、長居するつもりもなかったので、「はあ」とため息混じりに綾香に返事していた。


 吹き抜けになった天井に吊されたちょっとしたシャンデリアのある階段を上っていくと綾香の部屋についた。幼馴染とはいえ、女の子の部屋のドアを開けるというのはドキドキしてしまう。


 意を決して、秘密の花園に踏み入れるとアイドルに成るためにファッション雑誌に楽譜から発声法、かわいく立ち振る舞うためのノウハウ本などにあふれており、綾香が本気でアイドルを目指していることは容易に窺いしれた。


 他には読モやってるだけあり、大きな姿見やドレッサー、クローゼットの他にも洋服を仕舞っているであろう箪笥が置いてある。ドレッサーにはもちろんさまざまな化粧品が並んでおり、そこは沙耶乃とも共通している。


 ただ学習机の上には教科書など学校の勉強に必要なものは残念なことに見当たらなかった。沙耶乃は忙しい合間を縫いつつ勉強していて、成績は悪くない。


 だけど綾香が良い成績を取ったとは俺は聞いたことがなかった……。



 これじゃお馬鹿アイドルまっしぐらだろう。



 そのときちょうど部屋に入ってきた綾香の将来が思わず心配になってしまい、彼女の親でもないのに訊ねてしまっていた。


「綾香、ちゃんと勉強してるのか?」

「してるわよ! 馬鹿にしないで。このまえの中間テストだって、ひとつも赤点は取ってないんだから」


 即座に反論する綾香だったが俺は額に手を当て、うなだれる。


「あ、いや赤点を取るとか、取らないとか、そういう問題じゃないと思うぞ。そもそもそんなギリギリだと進学も危ういって」

「うるさいわね。春臣は私の親なの?」


 キッと俺を睨んだかと思えば、ガラスの天板になってるテーブルの上へと飲み物とお茶請けを置いていた。


 なんだと!?


 あれだけ俺に悪態をついていた綾香なのに俺の好物を熟知しており、お取り寄せしたであろうイチゴ大福とイチゴスムージーを出してきていたのだ。


 ちらと綾香の方を向くとふふんと鼻で笑ったようなしたり顔。


 喉から手がでてしまいそうなくらい食べたい、飲みたい。昔、おばさんが作ってくれたスムージーは格別に旨かったことを舌が記憶しているのだ。


 だが綾香のことだ。


 一服盛ってる線もある。


「おっ、懐かしい写真だなぁ! って、おい……沙耶乃をマジックで塗りつぶすなよ」

「ああ、そんな頃もあったわね。いいじゃない、沙耶乃なんて大嫌い」


 綾香の沙耶乃嫌いにも、やれやれと呆れてしまった。


 棚の上に置いてあったフォトスタンドを指差すと綾香の視線が注意と共にそちらに向く。俺は綾香が目を離した隙に大福の皿とスムージーを素早く取り替えていた。


 写真は幼い頃、綾香の家の庭で三人でビニールプールに浸かり、遊んだときのものだ。沙耶乃が俺に抱きついており、綾香は露骨に沙耶乃を睨んでいる。


 遊び疲れて縁側で三人並んで川の字で寝てたよな。うつろうつろと意識が途切れるなかで、あのとき唇になにか触れたような気がして、ぱっと目を覚ましたら女の子の影が見えたんだが、綾香なのか、沙耶乃なのか、意識が微睡んでいてはっきりとしない。


 うんまぁぁーーーっ!!!


 いちごスムージーをストローから吸い込むと冷たくてナチュラルに甘酸っぱい美味さが口いっぱいに広がっていく。


 その勢いに任せていちご大福も頬張り、ひとくちでなかに収まった。もちもちとした食感といちごの酸味と小豆の甘み……三位一体となって、俺に至福のときを与えて、腹へと消えゆく。


 はあああん、満腹満足!


 俺が食べ終わるのを見計らったように綾香はじっとこちらの目を見つめてきていた。


「春臣。お願いなんだけど、もう一度私に告白してみてくれないかしら……」

「なんでだよ、俺はそんな気もうないから」

「お願い……一生のお願いだから」


 つんけんした態度の綾香が妙にしおらしい。


「分かった。俺は綾香のことが……」


 俺が答えを溜めると綾香がずいっとこちらに身を乗り出していた。



 だけど俺の答えは変わらない。



 固唾かたずを飲む綾香に答えを告げようとしていた。


―――――――――あとがき――――――――――

綾香は確実に沙耶乃から春臣を寝取ろうとしてきていますねえ……。春臣がゲス主人公だったら、どうするんだ! ポンコツ綾香の告白の行方が楽しみな読者さまはフォロー、ご評価お願いいたします。

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