第39話 プライベートレッスン

 ゆのちゃんは俺たちに電車に飛びこもうとしていた理由をちょっとずつ語り始めていた。


「私は藤原さんにはっきり伝えました。『辞めません! 白石さやさんに憧れて、黄泉坂の研修生になったんです』と……、でもそれが気に入らなかったのかもしれません」


 対人関係は相性ってものがあるから、難しいと思ってしまう。俺と綾香はこじれてしまった結果だったけど、初対面から嫌われたり、生理的に無理とかあるから生きづらい……。


 薫子さんがなにを考えて、ゆのちゃんにつらく当たるのか……、ゆのちゃんの話だけ聞いていたら、薫子さんの行いはどう考えても理不尽にしか思えないんだけど。


 これがゆのちゃんのためを思っての指導というなら、愛の鞭とも取れる。でも、ゆのちゃんが心を病んでしまい、自ら命を断とうとしていたんだから、行き過ぎとしか言いようがない!


「それ以来、ことあるごとに藤原さんは私に絡んできて、一挙手一投足に納得いかないのか、ぜんぶ手直ししてきたんです」


 カラオケボックスで涙ぐみながら、俺たちに話してくれた。沙耶乃はゆのちゃんの涙をハンカチで拭いながら、うんうんと頷きながら話に耳を傾けている。



――――ゆのちゃんが教えてくれたこと……。


 疲労困憊ひろうこんぱいでレッスンを終え、研修生みんなでスタジオを出ようとすると、私だけ藤原さんに呼び止められてしまったのです。


『黄泉坂はね、あんたみたいな冴えない子が来るところじゃないの。ここは日本国中の美少女が集まり、切磋琢磨し合う戦場なんだから! ちょっと周りでちやほやされたからって、勘違いしてんじゃないわよ』


 そんなのは序の口でした。もっと酷いことも言われました……。



 また別の日には、

 

『あなたみたいな田舎臭い生娘にちょうど良い演技力のあげ方を教えてあげる』


 そう言うと藤原さんは私の顎を掴んでクイッと持ちあげて、まるで値踏みするかのような蔑んだ目でみていたのです。


『あなた、パパ活ってやったことがあるかしら? 特別にあなたをパパに紹介してあげるわ。彼らに遊んでもらえば、もの凄く色っぽい大人の演技力が身につくはずよ』


 私はすぐに藤原さんに反論しました。


『そ、それって枕営業じゃないですか!? そんなのやったら、ダメです。仮にもアイドルなんですから!』


『はあ? あなたがアイドルぅ!? 笑わせんじゃないわよ。アイドルっていうのは正式に49人と決められたメンバーに入った子のことを指すの。今のあなたなんて研修生のなかでも底辺に属してるじゃない』


 私は藤原さんにそう言われて、何も反論することができませんでした。だって、私はまだアイドルでも何者ですらないのですから――――。



 周りに気を使わず話せるカラオケボックスという密室のなかで、ゆのちゃんは俺たちに薫子さんのパワハラを赤裸々に語ってくれた。


 聞いてる俺まで胃が痛くなってくるような酷い罵りが続く。ゆのちゃんは研修生の審査にパスしているのにそんな言葉を投げかけてくるとかあり得ないだろ、普通。


 一気に感情がこみあげてきて、大粒の涙を流して泣き崩れるゆのちゃんの頭を抱えて、本当の姉のように彼女をあやす沙耶乃は元マネージャーである薫子さんに怒りを露わにする言葉を口にした。


「……信じられない。いくら薫子さんでもそんなこと言う権利なんてないはず。お兄ちゃん! 私、薫子さんに一言伝えようかと思う」

「いや、ちょっと待って!」


 電凸しようとする沙耶乃を俺は止めた。


 沙耶乃が言えば、一時的には薫子さんのゆのちゃんに対するパワハラは収まるかもしれない。だけどそれでは根本的な解決にならないのだ。


 ゆのちゃんが黄泉坂で正メンバーを目指そうとしている限り……。


「俺は思うんだ。薫子さんは沙耶乃には辛く当たることはない。Aチームのメンバーに対しても、ある程度気を使っている。だったら、方法はひとつしかない。それは……」

「「それは……?」」


 俺が結論を言うのを溜めると沙耶乃とゆのちゃんがぐいっと俺の顔に身を乗り出して迫る。黄泉坂の元センターとアイドルの卵の美少女二人のかわいい顔が迫ったことで、俺の心中はドキドキして穏やかでない。



 おそらくなんだが、薫子さんは沙耶乃みたいに才能がある子にコンプレックスがあるのではないか、と俺は読んだ。


 沙耶乃や各リーダーには優しかったりするが、明らかに自分より劣ると見た相手には途端にマウントを取り、いじめに近い……、いやいやいじめそのものをしてくるのだから。


「実力でねじ伏せる。それしかないよ」

「で、でも……私にそんな実力なんて……。歌も踊りもさや先輩みたいに上手くないですから」


 ゆのちゃんは沙耶乃が研修生だった頃に似ている。上手くレッスンがこなせなかったりすると、家に戻るなり、わーっと俺の胸に飛びこんできて泣きつくなんてことはいっぱいあった。


 俺なりに見たり、聞いたりしたことを基に上手くなれる練習法を編み出して、手掴みだけど二人三脚でやり通して、成果をあげていった。


「大丈夫だよー! スペシャルコーチのお兄ちゃんがいるからっ!」


 そんな俺を沙耶乃は立ちあがり腰に手をやって、どや顔で称えていたのだが、沙耶乃の才能と努力の賜物だろう。えっへんしてる沙耶乃の横でゆのちゃんは瞼に雫を溜めつつも驚いていた。


「えっ!? さや先輩は藤原さんに指導してもらって、センターに選ばれたんじゃないんですか?」

「ううん、ぜんぜん!」


 ぜんぜんって、ことはないと思うんだけど……。


 ただ俺が聞いてる限り、薫子さんの指導では才能を開花させる前に、その子を潰してしまうようにしか思えない。



 早速、俺たちはゆのちゃんと個人レッスンを始める。


「俺より歌唱は沙耶乃のほうがいいよな」

「そうだね! じゃあ、ゆのちゃん。歌ってみて!」


 沙耶乃はデンモクをいじったかと思うと、そっとゆのちゃんにマイクを渡して、ぱちぱちっと拍手していた。沙耶乃が俺のほうを見てくるので、俺も合わせて拍手する。


 憧れているという沙耶乃からマイクを渡されたゆのちゃんは今までの自信なさげな表情から打って変わって、目に力強いものが宿っているように思えた。


 モニターに映し出されたタイトル。



【私のいちばんなキミ】



 黄泉坂の曲で作曲家が成功を妬んだのか、もっとも難しいと言われるものだった。イントロが流れ始めるとゆのちゃんは緊張したのか、ごくりと喉を鳴らして、嚥下している。


 沙耶乃は人当たりが良く、思いやりのある子だ。


 あえてゆのちゃんに試練を与えたように思えた。薫子さんのようにパワハラ染みたものでなく、後輩のことを本当に心配しての愛のある試練を。


 曲に耳を傾ける沙耶乃はゆのちゃんから、まったく目を離すことなく、真剣な眼差しで見つめていた。


 ゆのちゃんは憧れの先輩の前で少し緊張は見られるものの、自分の持てるパフォーマンスを最大限に引き出そうと熱唱している。


 四分程度の曲を歌い終えると、マイクをおへその辺りで持って、俺たちにぺこりと頭を下げたゆのちゃん。モニターには採点中との表示がなされている。


「お兄ちゃん……どうかな?」

「ど、どうでしょう……?」


 歌唱は沙耶乃の担当だと思っていたのだが、二人からジッと俺のほうを見て訊ねられてしまい、まるで沙耶乃か、ゆのちゃん……どっちがかわいい? みたいに問われているようだった。


 二人が俺を見つめ、固唾を飲んで答えを待っている。



「間違いなくプロスペクト有望株だと思う」



 お世辞ではない、俺の率直な意見を二人に伝えると……、


「やったーーーー! 良かったね、ゆのちゃん!」

「はいっ! ありがとうございます!」


 俺の感想を聞いた二人は昔からの親友のようにポーンとハイタッチを交わし、満面の笑顔で喜んでいるのだが、沙耶乃は大事なことをすっかり忘れている。


 スピーカーから、デデデデデデーーーデン♪ とドラムロールがなり、ゆのちゃんの得点が表示された。


【96点】


「すごいっ! って、沙耶乃……、肝心なこと忘れてないか? 歌の先生は沙耶乃なんだぞ」

「あははは、いつもお兄ちゃんに感想訊いてばかりだったから、忘れてた!」


 てへへと愛くるしく笑う沙耶乃に俺は叱る気も失せて、すっかり骨抜きにされたように絆されてしまう。まあ、これもアイドルとしては立派な武器のひとつに違いない。


 沙耶乃の凄いところはそれが男女問わず、通じるところだろう。


 なにかゆのちゃんにも沙耶乃のようなアイドル活動に生かせるチートスキルがないか、探し出すのが俺の役目だ!


 俺が顎に手をやり考えこんでいる間にも、沙耶乃はゆのちゃんに歌唱するうえでの注意を細かに伝えるとゆのちゃんは沙耶乃の的確なアドバイスに舌を巻いて感心していた。


「ゆのちゃん、私から最後に大事なアドバイスがあるの」

「は、はい……」


 二人はさっきまで朗らかにアドバイスのやり取りをしていたが、沙耶乃の言葉でゆのちゃんにピーンと張り詰めたような緊張の糸が走る。


「ゆのちゃんの歌唱力は黄泉坂の正メンバーでも充分に通じると思うの」

「ありがとうございます!」


 ゆのちゃんは沙耶乃の前で深々と頭を下げるが沙耶乃はゆのちゃんの両手を包みこむように持って、伝えていた。


「でも技術だけではダメなの。それはね、好きな男の子のことを考えながら、歌ったり、演技したりするといいよー」


 えっ!?


 沙耶乃が伝えたことにびっくりする。


 まさか沙耶乃の思いを込めたパワフルな歌唱や情感たっぷりの演技は俺のことを考えて、やっていたのかと分かると気恥ずかしくなってしまっていた。


「はい! 私、さや先輩のアドバイスを実践したいと思います」


 ゆのちゃんの言葉に沙耶乃はうんうんと嬉しそうに頷くと、彼女の頭をなにか賞を取った子どものように笑顔で何度も誉めて、撫でていた。


 そんな年子の姉妹みたいに振る舞う二人の姿にほっこりさせられる。


 俺は才能があっても、あるひとつのことがなければ、それを開花させるのは難しいと思っていた。



 素直さ。



 どんなに他人が的確なアドバイスをくれようが、送られた側がきちんと受け止められなければ、無理なのだ。その素直さをゆのちゃんが持ち合わせていることに俺はゆのちゃんはいける! と確信していた。


 すっかり元気を取り戻したゆのちゃんと楽しくプライベートレッスンしていると、ルームのコールが鳴り「延長されますか?」と訊ねられたが、充分な成果が出たことに沙耶乃もゆのちゃんも首を横に振った。


 カラオケ店を出て、駅のホームで電車に乗りこむゆのちゃんを見送る。


「今日はどうもありがとうございました! 私、さや先輩のアドバイスに従って、君塚さんのことを想いながら歌ってみようと思います!!! きゃっ、私、言っちゃった……」


 それと同時にプシューと音を立てて電車のドアが閉まる。電車は動き出して、俺たちからゆのちゃんが離れてゆくが、彼女は笑顔で手を振っていた。


「「ええっ!?」」


 俺は恐る恐る沙耶乃のほうを見ると、今までにっこり笑顔だった沙耶乃はひくひくと引きつった笑いを浮かべているように思えたのだ。


 あれ? 俺、なんかやっちゃいました?


―――――――――あとがき――――――――――

あ~これは春臣、沙耶乃がいるのに悪いことしちゃったんだw 二人から迫られる春臣が見たい読者さまはフォロー、ご評価お願いいたします。

残すところ数時間で今年も終わり、お読みいただきありがとうございました。それでは良いお年を!

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