第38話 パワハラマネージャー【薫子目線】
――――春臣たちのファーストキスの直前。
プルルルルルルッ♪ ブルルルルルルッ♪
はいはい、一体なんなのよ……。
お風呂からあがって、身体を拭くのもそこそこにバスタオルを胴に巻くとリビングからスマホが鳴っていた。お風呂ぐらいゆっくり入りたいのに。
またメンバーがなにかやらかしたのかと電話に出るまえから頭痛がしてきた。バファリン、切らしてないわよね?
テーブルに置いてあるスマホを手に取る。
「ああっ、もう!」
濡れた髪からぽたぽたとスマホの画面に雫が垂れるのでタオルを被せてその場をしのぎながら、スマホの着信画面の緑のボタンを押して、応答した。
「はい、藤原です」
『こんばんは、薫子さん』
応答して、名乗るといつもの
あまり連絡こそしてこないけど、他のメンバーとは違い本当に手のかからないうえに、なにを取ってもアイドルとして優れているという、マネージャーとしては一番ありがたい存在。
他のAチームのメンバーときたら……。
少し考えるだけで気が
もう彼女たちには言ってるけど……。
研修生に成り立ての頃はあまり目立たない子だったけど、アイドルとしての才能は本物だった。私の優れた育成プログラムにより、さやは才能を開花させ、センターになった途端一気に黄泉坂49をスターダムへと押しあげてくれていた。
品行方正、優等生タイプで他のメンバーからの信頼も高いという非の打ち所がない私の大のお気に入りの子だった。
そんなさやからかかってきた電話の内容に私は驚愕を覚えた。
『私、ずっとずっと好きな男の子がいたんです! その子と結婚したくて……』
いきなり結婚!?
私のさやに持つ幻想をすべてぶち壊すような発言にただただ戸惑うしかない。
「えっ!? なにを言ってるの、さや?」
『だから黄泉坂を辞めさせてくださいっ!』
ガーーーーーン……。
いきなり頭を巨大な鈍器で殴られたような衝撃。
まさか、絶頂期と言っても良いさやから、辞めさせて欲しいなんて言葉が出てくるとは想像だにしていない。しかも結婚したいとか……ただごとではない事態に言葉が出なかった。
今の黄泉坂にとって白石さや抜きでやっていくなんて、考えられない!
思わず手に持ったスマホが滑り落ちそうになってしまったのに気づいて慌てて、左手でキャッチしていた。
「ちょっ、ちょっと待って! そんな急に辞めるって、ファンはどうするのよ! みんな、あなたを待ってるの。それなのに途中で投げてしまうの? ねえ、答えて!」
私はさやを手放したくない一心でスマホに向かって、必死に声を張りあげ訴える。
『もちろん、ファンのことも大切です。そのことは薫子さんが一番知ってると思いますが……』
そうだ、そうなのだ……。さやはファン第一主義を掲げ、体調の悪そうなときであっても舞台に立っているときは元気に振る舞い、笑顔を忘れたときなんてないと言えた。
握手会でもたまにこじらせたファンから心ない言葉を浴びせかけられても、しっかりと受け止め嫌な顔一つせずに笑顔で神対応していたのだから。
大人の私でもあんなのは無理!
って、思うほどさやは黄泉坂一、いえ日本国中のアイドル一の神対応をしていたと思う。
「だけど、そんな急に辞めるなんて……」
ストンと力なく、椅子にへたりこんでしまった私にさやは話を続けた。
『私、これからは好きな人と過ごしたいんです。自分のやりたいことも辞めて、一生懸命に私に尽くしてくれた家族のために生きていこうと』
家族ぅ!?
恋人だか、彼氏だか知んないけど、そんな深い仲になってるって……。私はさやの言葉を
「そんなの許されないわ!」
はあ、はあ……。
さやに対して、怒ったことは今までなかったのに我慢できないでいる。バスタオルだけ巻いて、ずっと話していて、すっかり湯冷めしてもおかしくないのに頭に血がのぼってしまい、まったく寒さなど感じない。
怒る私にさやは申し訳なさそうに、でもはっきりと伝えた。
信じがたいことを!
『薫子さん、ごめんなさい。今日で黄泉坂を辞めさせていただこうと思います。私、ずっと黙ってたんですが、その好きな人の赤ちゃんがお腹に……』
あ、あか、あか……赤ちゃん?
「なんですってーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!」
私は自宅のマンションの部屋中に響いてしまうような大声で叫んでしまっていた。
さ、さやが妊娠……。
信じられない。
てか一体、相手は誰なのよ!?
まったく見当がつかない。
それくらいさやはスキャンダルとは無縁の位置にいる子だったのに……。
「は、はははは……」
変な笑いしか、身体のなかから出てこない。
『か、薫子さん? 大丈夫ですか?』
壊れたように笑う私にさやは心配する言葉をかけてくれたのだが、最早そういう問題じゃない! 冗談は休み休み言って欲しいと思い、さやに怒りをぶつけてしまっていた。
「これのどこが大丈夫でいられると思うのよ!」
『ご、ごめんなさい』
平謝りするさやだったが、そんなもんじゃ済まされるわけがない! そもそも私が来春に黄泉坂の妹グループを任されるのに響く……いやいやファンが黙っちゃいないわ。
「仕方ないわね……」
『じゃあ、これで私は……』
私が諦めたような声をかけると、急にさやがスマホの向こうで身を乗り出したような明るい声になる。
「これまでのさやの黄泉坂に対する貢献もあるから、学業に専念するという理由で休業扱いなら許可します」
「ほんとですかっ!?」
なんてことなの……。さやの声から分かる。彼女が研修生から正メンバーに選ばれたときよりも、センターに抜擢されたときよりも、もっとも喜んでいたように思えた。
さやはそのあと、私に何度もお礼を言って通話を切った。
ふう……。
なんとか引退という最悪の事態だけは避けられたことに
「くしゅんっ!!!」
安心したら寒くなって、くしゃみが出てしまった。引退と長期休業では大違いだし、そもそも交際どころか、妊娠なんてスキャンダルが世に広まったら、黄泉坂の人気ががた落ちして炎上するに決まってる。
でも誰なの!?
私は知っている。さやは超イケメン揃いのジェイニーズ事務所の男性タレントからLINE交換やら電話番号をしきりに訊ねられていたが、丁寧な口調でやんわりとすべて袖にしてしまっていたことを。
私なら即連絡先を渡して、お持ち帰りされたい俳優からも声をかけられていたのに、まったく気にも止めないでいた。
以上のことから考えても結婚、妊娠……、交遊関係の綺麗なさやから出た言葉はどうも疑わしい。こっそり探りを入れないといけないだろう。
沙耶乃はほぼ引退だと思いこんでいるが、絶対に復帰させてみせる。仮にお腹に赤ちゃんがいるなんて馬鹿なことを言っていたけど、私にはそんなこと関係ない。
(生まれてから、ママアイドルとして復帰すればいいのよ!)
――――YMS劇場。
白石さやが休業を決めたことで、黄泉坂はミーティングルームに各チームのリーダーを集めて、緊急会議を開いていた。
黄泉坂はAからGの七チームあり、リーダーも七人いるが、さやの代わりを勤められるのは……。
篠原麻美、ヴィオレッタ高阪、葛城星奈の三人くらいだろう。
私が集まったみんなの前でさやの休業を伝えると、
「どういうことなんですか!」
麻美が席を立ち、私に向かって声を荒げた。私も昨日聞いたばかりで戸惑っていて、こっちがさやに詳細を根ほり葉ほり訊きたいくらいなんだから!
麻美に向かって、感情混じりに答えた。
「どうもこうもないわよ。本人の意志なんだから。それよりも新しいセンターを決めないといけないの」
白石さやが黄泉坂では圧倒的に人気No.1だが、麻美はその次に実力、人気を兼ね備えている存在。
さやがにこやかに麻美に話しかけても、彼女はツンと済ました顔でシカトして会話に応じることがないくらいバチバチと火花が飛び散るような関係だった。
そんなものだから、私は麻美の実力を認めつつも、さやを蹴落とそうとしているのだとばかり思っていた。
「私はやりません」
だが、彼女はきっぱりセンター就任を断る。会議に参加していたマネージャーとリーダー、双方からざわざわと麻美の事実上のセンター辞退宣言にざわついてしまった。
麻美の辞退宣言を鼻で笑う子がいた。
「あら、白石さやの後釜を狙っていた麻実ちゃんとは思えないわねー」
星奈が腕も足も組んで、麻美の言動を訝しがんでいる。星奈は普段かわいらしく振る舞っているが、裏の顔はとてもファンに見せられたものじゃない。
表裏がさやと違って、とにかく激しいのだ!
星奈の挑発染みた言葉にも麻美は乗らず、静かに着席している。星奈はつまらなさそうにちっ、と舌打ちしていた。
険悪な雰囲気のなかで一人のメンバーが騒いで落ち着きがない。
ヴィオレッタだ。
「
ヴィオレッタは口に出してはいけないことを空気を読まずに言ってしまい、私たちはずーんと重苦しい雰囲気に止めを刺されそうになった。
白い肌に美しい銀髪を持つ美少女は両手でかきむしり、混乱している。ヴィオレッタのマネージャーの羽生が彼女を宥めているがこうなると非常に厄介極まりない。
普段は羽生が口を酸っぱくして、なにも喋らず、済まして笑顔にしてれば、いいと指示しているから、“極北の妖精“なんて呼ばれてるけど中身は案外、こんなもの。騒がしいヴィオレッタを見て、とにかく幻滅した。
ダメだ……こいつにセンターは絶対、無理だと訂正したい。
残りの四人のリーダーも俯いてしまっている。私はどうしても気になってもう一度訊ねていた。
「麻美は本当にセンターをやる気はないの?」
センター選抜がない今、順当にいけば麻美が勤めるのが筋なんだけど、麻美の答えは意外なものだった。
「さや以外に黄泉坂のセンターは務まらない。リーダーが日替わりでさやの代わりをすればいい」
麻美をライバル視する星奈は麻美がセンターを辞退したことで溜飲を下げたのか、
「しゃーない、麻美がさやに取って代わるって言ったなら、私が潰してやろうかと思ってたんだけどー、それでいっかなー。ヴィオはー?」
一応それに同意し、混乱の最中にあったヴィオレッタに訊ねている。
「それがいいデース! さーやのあなるはみんなで埋めるデス」
「ヴィオレッタ……それを言うなら、穴でしょ!」
「オイ、失禁、失禁デース!」
この子……失敬、失敬と言いたかったのかしら?
くすくすと漏れ聞こえる笑いのなかで、他のリーダーたちもそれで良いらしく、うんうんと頷いていた。
持ち回りで各チームのリーダーがセンターを務めることが決定したが、さやの抜けた穴には新たなメンバーを選抜しなければならなかった。研修生たちがトレーニングするスタジオへ見に行く。
そこで、とある研修生に目が止まった。
「そこのあなた……、名前は?」
「はい! 第十期生の朝霧ゆのです」
私が名を問うと、いかにも健気に頑張ってます! みたいな感じを漂わす小娘……。
私の一番嫌いなタイプ。
さやのような才能の塊、麻美のような気品、星奈のあざとさ、ヴィオレッタの個性……、なにひとつ持ち合わせていないのにアイドルを目指してるとか笑えてしまう。
「ふーん。あなた……アイドル向いてないわ。今すぐ辞めなさい」
「えっ!?」
私の言ったことが、相当ショックだったようでゆのの顔がどんどん青ざめる。溜まりに溜まったストレスのはけ口にちょうど良い子を見つけ出したのだ。
(どうせ、この程度のストレスで潰れるなら、アイドルなんて到底務まるわけがないのよ)
―――――――――あとがき――――――――――
アイドルグループではないですけど、某歌劇団の話を聞いてマジかよ、と思いました。いや昔ならまかり通っていたかもしれませんが、聞いたものがその通りなら酷いですね。やっぱダメ、パワハラ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます