第37話 飛びこみアイドル

 黄色い線を跨いだゆのちゃんは、ホームを通過する快速電車に躊躇ちゅうちょなく向かっていた。



 ファァァァーーーーン♪



 くそっ!


 間に合うかっ!?


 ダッシュはするものの、このままじゃギリギリゆのちゃんまで届くかどうか、分からない。


 通過する電車からけたたましい警笛が駅のホーム中に響くなか、沙耶乃にガンプラを預けた俺は左足のつま先を限りなく外へ向け、身体を沈めてためを作る。


 ダッシュの勢いをつけたためを一気に解放し、勢いよくゆのちゃんに向かって衝捶突きを放つがごとく飛びこんでいた。


 もうゆのちゃんの足はホームからはみ出て、快速電車まで数メートルもない!


 それに気づいた電車待ちをしている多くの人たちから、口を手にやったり、悲鳴があがっている。



 とどけえぇぇぇぇーーーーーー!!!



 俺の突き出した右手がゆのちゃんのうなじに触れたかと思うと指が彼女の襟をしっかりと捉えた。


 よしっ!!!


 いくら華奢きゃしゃでも片腕でホームから線路に飛びこもうとしている女の子を引きあげようとするのだ。噛み締めた力で歯が折れそうになるくらい全力でゆのちゃんの身体を引っ張る。


 周りで見ていた電車待ちの人々の声はまったくと言っていいほど聞こえなくなり、ホームは静寂に包まれた。



 ヒューーーーーーーン!!!



 その静寂のなかを快速電車が風切り音だけを鳴らして、通過してゆく。ホームで寝転んだ俺は過ぎ去る電車を見あげていた、飛びこもうとしていたゆのちゃんを両腕に抱えて……。


「た、助かったぁぁ……」


 ほっと胸を撫でおろしながらも、気が抜けてそのままこつりと駅のホームの床に後頭部をつけた。俺はゆのちゃんの身体を思い切り引き寄せるあまり、一緒になって後ろ向きに勢い余って転んでしまっていたのだ。


 格ゲーの必殺技、箭疾歩せんしっぽを見よう見真似で練習していたのが、役に立って先人たちの努力と叡智えいちに感心するばかり。


「すっげーっ!!!」

「人間技かよ!?」

「俺、知ってんぜ、中国拳法の蟷螂拳の絶招奥義だ」


 男性ばかりでなく、


「若いのにえらいわー」

「あの子、格好いいかも」


 女性たちからも、ホームで見ていた人たちから贈られる拍手と賛辞の言葉。



 しかし……。



「だ、だめぇ……」


 助けたゆのちゃんから漏れる甘い声に驚愕する。俺はゆのちゃんの胸部を後ろからがっつり掴んで二人で寝転んでいたのだから。


「お兄ちゃーん……」


 ふと横を見ると、図らずもラッキースケベとなった俺を蔑むような目で見くだす沙耶乃の顔があり、急いで手を離したら、沙耶乃がゆのちゃんの手を引き彼女を起こしていた。


 俺もほこり塗れになったパーカーのほこりを払うと騒ぎになりつつあった現場から、ゆのちゃんの手を引く沙耶乃の手を掴んでそそくさと立ち去る。



 俺たちは駅コンコースにあるカフェにゆのちゃんの前に俺と沙耶乃で向かい合っていた。


 重苦しい雰囲気のなか、黒いベストにエプロン姿の店員さんが注文したドリンクを手際よく並べていく。あれから、ゆのちゃんの口が重かったので勝手に俺たちで彼女のドリンクを選んで持ってきてもらっていた。


 結露が溜まって、落ちた水滴でコースターがびしょ濡れに。ゆのちゃんは前におかれたミルクティーに手をつけずにずっと俯いたままだった。


「俺たちで良かったら、事情聞くよ?」

「うんうん、話せば楽になるかも」


 それでも、


「あ、いえ、その……」


 ゆのちゃんは口ごもり、俺たちになぜ電車に飛びこもうとしていたのか、教えてもらえそうにない。


 沙耶乃は俺と目を合わせたあと、頷き耳にかかるマスクの紐に指をかけた。


「ゆのちゃん、黄泉坂の先輩としてなにかできることがあれば、力になるよ。お兄ちゃんもそのつもりだろうしね」


 沙耶乃が黒いマスクを取ると整った口元がゆのちゃんの前に露わになり、身分を明かすと……、


「えっ!? ええっ!?」


 それには相当驚いたようで、ここに来て十分以上ほとんど無言だったゆのちゃんは背もたれにぴたりと身体をくっつけて後ずさりするほどだった。


 正体を明かした沙耶乃は再び、他の客や店員に身バレしないようにマスクを身につける。


「君塚さんと白石先輩って、一体どういうご関係なんですかっ!?」

「あー、うん、一応兄妹だな」

「うん、大好きなお兄ちゃんなの!」


 沙耶乃は遠慮したのか、スキャンダラスなことを言うのを控えたのか、分からないが俺たちが恋人同士ということについては話さなかった。


 それを聞いたゆのちゃんはまったく手つかずのミルクティーに手を伸ばしてストローも使わず、そのままガブ飲みする。グラスの半分ほど琥珀色の液体が減ったところでゆのちゃんは口を開いた。


「聞いてくれますか?」

「「うん!」」


 おずおずと手の甲にもう一方の手を被せ、せわしなく動かしているゆのちゃんに俺たちは兄妹揃って息ぴったりに頷いていた。


「実は……才能ないから、アイドル辞めろって……言われたんです……」


 たどたどしいながらもゆっくりと俺たちに事情を明かしてくれたゆのちゃんだったが、それを聞いた途端にいつも温厚な沙耶乃はダンッとテーブルを両手で叩いて立ちあがってしまっていた。


 ゆらゆらとグラスに入ったお冷やがコップからあふれテーブルを濡らしていたので、俺は慌てておしぼりで拭いていた。


「ゆのちゃん! 誰にそんな酷いこと、言われたのか教えてくれるかな?」

「は……はい……藤原マネージャーです……」


 ああ、なんとなくあの人ならあり得ると思ってしまうのが怖い……。


「そっか、薫子さんに厳しく指導されちゃったんだね。かわいそうに……」


 沙耶乃はシート席に移り、身体を寄せたかと思うとゆのちゃんの頭をまるで実の姉のように優しく撫でていた。


 何かに恐れていたようなゆのちゃんの表情は沙耶乃お姉ちゃんにあやされ、すっかり以前のようにとまでいかないが、元気を取り戻してくれたっぽい。


「藤原さんって、やっぱりパワハラ系なの?」

「私にはそうでなくて、どちらかと言うとぺこぺこしてる感じ。でもね、他のチームの子とか、研修生にはスゴく厳しいって、よく相談受けてたの……」


 俺が率直に訊ねると沙耶乃は顔を曇らし、不躾な質問に答えた。



 うえに媚びへつらい、したには辛く当たる。



 会社で仕事なんてしたことない俺にすら分かってしまうくらい一番ダメな上司の典型例に思えた。


 一方、藤原さんに酷評されてしまったゆのちゃんだけど、側で研修生の稽古を見たことのある沙耶乃は俺に教えてくれていた。


「お兄ちゃん、私はゆのちゃんがとっても才能にあふれてると思うんだけど、どう思う?」

「そうだな、俺はゆのちゃんの歌声とかダンスを知らないから、なんとも言えないんだけどな」


 幼い頃から格闘技をしていた関係で他人ひとの重心の置き方から身体能力を量ったりはよくする。そういう意味では沙耶乃は俺から見ても、武道や格闘技をやってるわけでもないのに隙のない立ち居振る舞いをしていた。


 それがなにに繋がるかと言えば、ダンスが上手いのだ。沙耶乃は特別体育が得意というわけではないが、歌唱にダンスにアイドルとしては完璧と言ってもいい。


 藤原さんが沙耶乃に拘ったのも納得がいく。


 沙耶乃は帰ったら、ガンプラ作ろう! という約束のことも忘れて、落ちこんでいたゆのちゃんを励ますかのように彼女を誘っていた。


「じゃあ、今からカラオケ行こ! 三人で!」

「と沙耶乃が言ってるんだけど、ゆのちゃん、いい?」


 ゆのちゃんの都合もあると思うので訊ねたら、即答だった。


「はいっ! 白石先輩に見てもらえるなんて、光栄です!!!」


 やっぱり黄泉坂のセンターだけあって、沙耶乃は研修生のゆのちゃんから絶大な信頼を得ているようだった。


―――――――――あとがき――――――――――

ひさびさの登場のゆのちゃんでしたが、重々でしたね……。原因はあの人しかいなんですが、ゆのちゃんを追い詰めた彼女がきっちり春臣と沙耶乃がざまぁされるところが見たい、という読者さまはフォロー、ご評価お願いいたします。

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