第20話 健全

 沙耶乃と村瀬がきゃっはうふふと女子トークならぬ、ガンダム談義を繰り広げている。俺はそこまで詳しくないし、あの熱核エンジンがフル稼働しているなかに入っていくのははばかられた。


 俺は下のほうから響く、か細い声で呼びかけられた。


「お兄ちゃん……」

「どした?」

「ああなるとお姉ちゃん、長いよ」

「おまえも大変だな……うちの沙耶乃も長いんだよ」


 俺は虎太郎の頭を撫で、深夜のコンビニの片隅でガンプラについて熱く語り合うJK二人を見守っていた。


 虎太郎がこくりこくりと寝落ちしそうになっていたことに気づいた村瀬。時計を見ると、すでに深夜一時近くになろうとしていた。


「おっと、済まねえ。沙耶乃、そろそろあたし帰るわ」

「うん、今日は楽しかった!」

「そりゃ、あたしもだ!」


 あははは、と二人はまるでソウルメイトを見つけたかのように笑っていた。



 寝落ちしてしまった虎太郎をおんぶする村瀬と一緒にコンビニを出た俺たちはしばらくそのまま村瀬と足取りを共にする。


「済まねえな……うち、母子家庭でさ。親帰ってくるまで虎太郎の面倒みなくちゃなんねえんだよ」


 俺は一応、村瀬も女の子だから二人の住むアパートまで送っていった。


「良かったら、茶でも飲んでけよ。大したもんは出せねーけど」

「いや、もう遅いから帰るよ。父さんに特別に許可もらって出てきたから」


 俺は村瀬がおんぶしている虎太郎のほうを見ると、村瀬は残念そうに納得する。


「そっか……ならまた月曜な。今日はいろいろ世話になっちまった。君塚、沙耶乃、マジありがとう。あたしから綾香に言っといてやるから」


 塗装がげ赤錆びた鉄製の階段の手すりを前に村瀬は俺に気を遣ってくれたのか、綾香にとりなしてくれるつもりのようだ。


「そんなの構わねーって。言ったら、言ったで村瀬たちがぎくしゃくすんだろ」


 だが俺は断った。


「だけどよぉ……」


 村瀬は俺にしたことを後悔しているのだろうか?


 どこか腑に落ちていない様子の村瀬だったが、謝罪する気持ちがあるなら、それでいい。俺を気遣う村瀬にとりなしは必要のない理由を打ち明ける。


「俺はもう綾香に未練はないから。沙耶乃が側にいてくれるんだ」

「うん、沙耶乃はお兄ちゃんの彼女だから、ずっと側にいるよー」


 腕を取り、俺の言葉を補足するかのように片足を浮かせて身体を寄せながら、抱きついくる沙耶乃。クラスメートの前なので、結構気恥ずかしくはある。



 だけど村瀬の気持ちを変えたのは、沙耶乃のおかげだ。



 俺たち兄妹の距離の近さと彼女宣言に弟を持つ村瀬は訝しみ、ある結論を口にしてしまう。


「ん? おまえら双子の兄妹だろ? まさか……まさか兄妹でヤッてるってかぁぁーー!?」

「声でけーよ!」

「ああ、済まねえ……」


 虎太郎は村瀬の大声に目を覚ましたのか、しきりに子ども特有の知りたい好奇心を発揮させている。


「お姉ちゃん、ヤッてるってなに? なんなの?」

「虎太郎は知んなくていいんだよ!」

「ねえ、ねえったら、教えて」


 村瀬は墓穴を掘ったみたいで虎太郎は足にしがみついて、大人の営みについて教えるようせがんでいた。


 おねしょた……。


 村瀬と虎太郎を見て、馬鹿な妄想が湧く。そりゃ、単なるえっちなことならまだしも、近親相姦なんてヤバいこと教えられるわけない。


 なんでなんでと訊ねた虎太郎に困り果てていた村瀬に、


「はい、虎太郎くん。限定ルブリスだよ。これ持ってお家に入ってようね」

「ありがと、お姉ちゃん!」


 沙耶乃がルブリスの箱を渡すと虎太郎は両手で大事そうに箱を抱えて階段を駆け上がり、家のなかに入ってしまった。


 おお、なんか素直でかわいいな!


 沙耶乃は子どもの扱いまで長けていたとは俺の妹ながら恐れいる。虎太郎が手を振り、家に入ったのを確認した沙耶乃は村瀬に事情を打ち明ける。


「美穂ちゃん、あのね。私とお兄ちゃん、血のつながってない兄妹だったの。だから、今お兄ちゃんと付き合ってるんだ」


 頬を赤らめながら、カミングアウトした沙耶乃に村瀬は驚く。


「なにっ!?」

「まあ、そういうことだ。じゃ、おやすみ」

「おやすみ、美穂ちゃーん」


 俺たちは手を振り、村瀬に挨拶をする。


「あ、ああ、おやすみ……」


 俺たち兄妹の衝撃の事実を知り、深夜のアパートの前でどこか呆然と立ち尽くす村瀬だった。



 俺と沙耶乃は二人で深夜の街を歩き、帰宅しようとしていたのだが、なるべく街灯に照らされている場所を歩いていた。


 だが……。


 沙耶乃が腕組みしながら、まるで酔っているかのように俺に身体を預けてくる。その力はどんどん強まり、どこにそんな力がこの華奢きゃしゃな女の子の身体にあるのかと不思議なくらいだった。


「さ、沙耶乃、マズいって!」

「お兄ちゃん、どうしたの?」


 きょとんとかわいく答える沙耶乃、だがその行動は俺には露骨過ぎるように感じてしまう。


 そう今、俺たちが歩いているのはホテル街。


 他の道もあることはあるがここが深夜でもそれなりに人通り……と言ってもカップルばかりだが、それがあって、俺には安全に思えたのだ。


 決して、俺は沙耶乃といたそうなんて思いは……ないと言えば嘘にはなるけど、もっと友だちっぽい関係から積み重ねて、想いを添い遂げたいと考えている。


 だけど俺は沙耶乃のサイコフレームがもたらした謎のパワーなのか、ぐいぐいとラブホの入り口へと押し込まれようとしていた。


「おっおい……沙耶乃、ここがどこかって分かってるんだろ?」

「お兄ちゃん、ちょっとかわいいお城見学しよっ」


【恋人たちの不夜城】


「……」


 そんな名前のラブホの看板が掲げられており、俺は言葉を失う。大人の社会見学がただで済むわけがない。


 ちょっとだけだから。


 これは絶対にちょっとだけでは済まないことを俺は知っている。


 最後のほうになると、先っぽだけだからに変わり、結局最後までいたしてしまうパターンだ。


「虎太郎くんみたいなかわいい子をお兄ちゃんと……」


 押し返すのに必死で沙耶乃がなにを言っているのか聞き取れないが、小声で呪文のように何度も詠唱する沙耶乃の瞳孔がハートマークになっているような錯覚を覚えた。


 絶対に女の子を落とすばりの肉食系男子と化した沙耶乃になんとか抗う。だが、もう押し返せない……このままではサイコフレームの共振どころか、俺と沙耶乃がベッドで共振してしまうぞ!


 俺は沙耶乃と一緒に学校に行ったり、デートしたり、学生らしいお付き合いをしたいと思うのだが、沙耶乃の俺への強烈なアプローチによりラブホに連れこまれそうになっているときだった。


「止めて! 触んないで!」

「それはないよー、三万も渡してギャラ飲みで帰れるとか思ってないよね、ナオちゃん?」


 リーマン風のおっさんが嫌がる女の子に無理やりキスしようとしながら、ラブホへと連れこもうとしていて、女の子はおっさんの顔に手を当て、必死に抵抗している。


「追加で二万払うからさー、休憩していこうよ」

「私は健全しかしないのぉ! 止めてったら、止めてよ!」


 ナオちゃんと呼ばれ、白のショルダーオフのニットに黒いタイトなミニスカにミュール、ちょっとお高めの金チェーンのブランドバッグと大人びた格好とメイクだが、あれはどう見てもクラスメートの三島だった。


「お兄ちゃん……あれ」

「ああ……」


 俺を寄り切るのを止めた沙耶乃は三島に向かって、指を差す。はっきり言って、三島がラブホに連れこまれて、なにされようが俺の知ったことじゃない、と思った瞬間のことだった。


 パッシーンッ!


 乾いた音がホテル街に鳴り響き、まばらながらも通るカップルはおっさんと三島を興味本位で見たあと、ひそひそと話しながら無情にも立ち去る。


 三島の頬は赤く腫れ上がっていた。


「ガキが舐めくさりやがって! こっちはおまえに何万、何十万貢いだと思ってんだ! ふざけんなよ、一発くらいやらねえと収まるわけがねえだろ、ちょっと来い!」


 思いきり叩かれた三島は頬を押さえ、無言で呆然と立っているところをおっさんに襟首を掴まれ、引きずられながら、ラブホの入り口を潜ろうとしていた。


 パパ活なんて危ない橋を渡って、金をもらってんだ。いずれはホテルに無理やり連れこまれる最後を迎えたって不思議じゃない。


 だけど沙耶乃がいる前で見てしまった以上、俺に助けない選択はなかった……。

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