第18話 時は来た!

――――放課後。


 いまだに教室内は沙耶乃フィーバーでその熱気が冷めないでいた。


 ひとりの大人しそうな男子が勇気を出して、沙耶乃に声をかける。


「あの……サインもらっていいですか?」

「ごめんね……私もうアイドルは辞めてしまって、普通の人になってしまったの」


 立ち上がり、お辞儀しながら申し訳なさそうにする沙耶乃の返事に肩を落としてがっくりうなだれるクラスメートの男子だったが、沙耶乃は彼に訊ねた。


「あのーキミのお名前教えてもらっていいかな?」

「あっ、僕、佐川雄一って言います!」

「佐川雄一くんね! これからよろしくね!」

「は、はいっ!」


 うなだれていた男子は沙耶乃から名前を呼ばれたことで、両脇でガッツポーズしながら、天井を見あげて「うぉぉぉ!」と雄叫びをあげ、歓喜のあまり落涙していた。他の男子も列をなし、沙耶乃に名前を覚えて、呼んでもらいたくて佐川に倣う。


 その気持ちは分からなくもない。


 自分の名前をあの白石さやに読み上げてもらえるのだ。しかもこれからはクラスメートになるんだから。


 芳賀と服部が並んでいる男子たちの列に横入りしてくる。「列に並べよ!」と言った男子の襟を芳賀が掴んで睨みつけると、その男子はぶつぶつ文句を言いながら引き下がってしまった。


 他の男子たちも苦々しく歯噛みしているなか、俺が一言言ってやろうと思っていると沙耶乃はそれに気づいたっぽい。


「俺、芳賀っていうんだ。芳賀悠斗、よろしくな沙耶乃ちゃん」

「そんな奴より俺の名前覚えて。服部健司だから」


 一度、沙耶乃にスルーされているのに懲りないところは人のこと言えないだろ! 二人が競うように名乗りをあげると、沙耶乃はにっこり笑顔で二人に対応し始めたのだが、


「ええ、もう覚えてますよ。うちのお兄ちゃんが大変お世話になった二人だと。私、無理やり物事を押し通す人って、大嫌い!」


 ばっさり一刀両断する。二人を苦々しく思っていた男子たちの前で恥をかかされたことで、舌打ちしながら、誰も座ってない椅子を蹴飛ばすと廊下へ出て行ってしまった。


「ざまぁ!」

「沙耶乃ちゃん、かっけぇぇーーっ!」


 それまで二人に苦汁を飲まされ続けていた男子たちは圧政から解放された市民のように喜び、沙耶乃を賞賛していた。俺はまた男子たちの沙耶乃への顔見せが再開したのを見届ける。


 俺が鞄をフックから外して持ちあげると、


「お兄ちゃーーん、待ってぇぇ!」


 沙耶乃が男子たちをほっぽりだし慌てて、俺に駆け寄ってきた。男子たちは一斉に凄まじい負のオーラを纏い、俺に憎悪の念を送ってくる。


 こええええっ!?


「みんな、ごめんね! 今日はお兄ちゃんと一緒に帰る約束なの。それじゃ明日、よろしくねーっ」


 沙耶乃がにこにこと男子たちに手を振ると、俺に向けていた憎悪はすっかりどこかへ消え去り、鼻の下を伸ばし、まるで天使でも見たかのような笑顔で沙耶乃を見送っていた。


「沙耶乃!?」


 だが沙耶乃はそんな彼らを煽るかのように自己主張をする。ポケットに突っ込んだ右手の脇に手を差し入れてきて腕組みしてきたのだ。それだけに留まらず、親しげに俺に身体を傾け、頭は俺の腕にぴたりと寄り添っている。


 これじゃ、マジで親密な恋人同士……。


 俺は恐怖のあまり後ろを振り向くことができないでいた。まさか俺がみんなの注目を……いや違う、みんなが見ているのは白石さやだった沙耶乃だ。


 それでも好意を隠さなくなった沙耶乃のおかげで俺は“見るなのタブー“な状態を作り出してしまうなんて思いもよらなかった。



 男子たちを見ないようにしていたら、鋭い視線を感じる。ふと尻目で視線の先を見ると、綾香がやたら俺を歯がゆそうに睨めつけていた。


 あれ? 


 俺、綾香になんかしたっけ?


 むしろ、俺が綾香に酷いことされたんだけど……。


 あれほど綾香はうちのクラス男子たちだけでなく、他のクラスの男子からも注目を浴びていたのに周りにいるのは三島と村瀬だけになってしまっている。


「なんなの? ずっと綾香、綾香つってたのに、ころっと手のひら返すなんて」

「だからあたし、ガキみたいな男の子はきらーい」


 二人は綾香に気を遣ってか、そんな薄情者の男子たちに文句を言っていた。


「どうしたの? お兄ちゃん、早く帰ろ」

「ああ、そうだな」


 沙耶乃は綾香のことには目もくれずに組んだ腕を軽く引いて、俺に帰宅を促す。


「帰ったら、お兄ちゃんがスタークジェガン作ってるとこ、見ていたいなぁ」


 俺のLPライフポイントが0になりそうなMGマスターグレードの作成を沙耶乃はせがみ、二人で教室から廊下に出る。俺は少し困惑気味に沙耶乃の要望に返事した。


「ええ? 沙耶乃、水星の魔女ばっか見てるじゃん……」

「両方見ながら、過ごすのが最高なんだよ。お兄ちゃん!」


 沙耶乃は俺の腕にさらに身体を寄せていた。


(これは沙耶乃の素晴らしい造型の胸部パーツが俺の腕部を圧迫していますね)


 俺は何故か、解説口調にならざるを得なかった。



 いつも歩いている味気ない通学路。


 それが誰かと一緒に歩くだけで……いや、隣にいるのが沙耶乃だからこそ、こんなにもうきうき、わくわく、どきどきさせられる。こんな気持ち、高校に入って以来初めてだった。


 沙耶乃が堀北学園に入学したことで俺はぼっちになってしまい、無味乾燥な学校生活を送っていたと言っても過言じゃない。


 沙耶乃は腕を離して、くるりと俺の前に踊り出ると転校初日を振り返る。


「みんな、すごかったね!」

「そりゃそうだろ……国民的アイドルだった沙耶乃が辞めて、うちに転校してきたんだから」


 なんだかついこの間まで妹だった沙耶乃が彼女にして欲しいと告白してくるとは思ってもみなかったので、俺のなかには背徳感がスゴくある。おまけにただの妹でなく、国民的アイドル黄泉坂49の不動のセンターだったのだから。


「ん」

「ああ……」


 俺に手を差し出し、手をつなぐように無言で求める沙耶乃。手をつなぐと俺は今日どれほど驚いたのか、沙耶乃に打ち明けた。


「俺は沙耶乃がサプライズ転校してくるなんて、まったく思ってなかったよ」

「うふふ、お兄ちゃんを驚かそうと思って!」


 歩道の白いラインを平均台に見立てているのか、線に添ってバレリーナのようにバランスを取り、歩く天真爛漫てんしんらんまんを絵に描いたような妹に振り回されながら、これからの残りの学校生活を送ることになりそうだ。


 しかし父さんも母さんも人が悪い!


 沙耶乃が転校してくるなら、一言くらい言っておいて欲しかった。


「お兄ちゃんが驚いてる顔、ホント面白かった!」

「はいはい……」


 俺は呆れつつも、沙耶乃と一緒に下校できるのが嬉しかった。



 帰宅後、俺は格闘していた。


 箱を開け、パーツの詰まった袋と説明書をチェックしたら、ビニール袋を破いてランナーからちまちまと切り出し用のニッパーを使い、切り出していく。


 切り出せれば、薄刃ニッパーでパーツごとに二、三ヶ所あるゲートを丁寧に処理していった。


「いくつあるんだよ……」


 とは言っても俺はパチ組み勢だから、すべてのパーツをひとつひとつ塗装までするモデラーには尊敬の念しかない。


 かたや沙耶乃はブレザーだけハンガーにかけると、俺のベッドにうつ伏せに寝そべって足をぱたぱたさせ、“水星の魔女“をタブレットで見ながら、


「お父さんとお母さんが留守にする日が早く来ないかなー、お兄ちゃんと二人きりの夜……そうだ! 温泉旅行でもプレゼントすればいいんだぁー!」


 にやにやして独り言を呟いている。どうやら新作のガンダムはそれほど面白いらしい。


「やった! できたぁーっ!」


 数時間かけ、完成したスタークジェガン!


 ビームサーベルをビシッと構え、ポージングさせると沙耶乃はタブレットをほっぽりだして、ベッドから下りて感嘆の声をあげていた。


「わあ! お兄ちゃん、すっごく格好いい!」

「だな。ネームレスがマリーダさんと善戦するシーンが思い浮かんでくるよ」


 完成すると今までの苦労が報われた気がする。


「ううん、スタークジェガンも格好いいけど、お兄ちゃんが格好いいの……」

「沙耶乃!?」


 喜びを爆発させたのか、うちの高校の制服のまま俺にハグしてくる。


「私のために一生懸命、作ってくれたんだもん。ずっと真剣な眼差しの格好いいお兄ちゃんを見てると恥ずかしくなって、ここにいられそうにないから、ガンダム見て気を紛らわしちゃった」


 沙耶乃は積極的に接してくるから分からなかったけど、沙耶乃なりに俺を交際相手として意識し始めているようだった。


 沙耶乃は頬を赤らめ、抱きついたまま俺の耳に吐息を吹きかけるようにささやく。


「ご褒美に沙耶乃の生着替え……見る?」

「なっ!?」


 俺は驚いてしまい、


「い、いやそういうこと期待して、作ったわけじゃないから……」


 ぼそぼそと言い訳みたいに沙耶乃に伝えていた。


「じゃあ、沙耶乃ポイントを貯めておくね! 百点貯まったら……」


 えっ!? 沙耶乃ポイントってなんだ!?


 俺はかわいい小悪魔のように思わせ振りな沙耶乃に気になって訊ねたのだが……


「貯まったら……?」

「内緒ーーーーーーーッ!」


 沙耶乃は唇に人差し指を当てはにかみながら、はぐらかして答えてもらえなかった。


 いったい、沙耶乃ポイントって、なんなんだぁぁぁーーーーーー!!!



――――週末。


 深夜暗い夜道を駆け抜け、沙耶乃の笑顔を勝ち取るために俺は暗がりのなかで煌々と明かりを灯す不夜城へとたどり着く。


 俺は深夜にもかかわらず、大手コンビニチェーンの店内にいた。水星の魔女のコンビニ限定モデル、ガンダムルブリスのネオンピンクを手に入れるために!


 事前にリサーチにリサーチを重ね、ほとんどの店舗で予約が取れないことに絶望していたが、近所のコンビニが午前零時に店舗に並べるというのだ。


 オリジナルカラーなら沙耶乃も興味がないかもしれない。だがこの限定カラーなら、沙耶乃も気に入ってくれるだろう。


 このために俺は父さんたちに懇願していた。


『お父さま、お母さま……折り入ってご相談がございます。沙耶乃のため、深夜のコンビニへ出かけさせてくださいっ!』

『沙耶乃のためなんだな?』

『はい!』


 そう伝えると二つ返事で父さんは了承してくれた。沙耶乃の喜ぶ笑顔が楽しみでならない! って、まだ買えてないのでそれは少し気が早すぎるか……。



 ついに時は来た!



 午後二十三時も終わりを告げようとしたときだ。配送トラックから運ばれてきた青いパレットと折り畳みのコンテナボックスのなかの商品が次々と棚へと陳列されてゆき、片づけられる。


 最後にレジ正面の目立つ位置に黒をベースとし毒々しいまでのピンクの差し色のガンプラの箱が並べられたのだ!


 俺は歓喜に打ち振るえながら、ルブリスを手中に収める。それはまるでダンジョンの奥底に眠る秘宝を手に入れた幸運な一握りの冒険者のような気分だった。


 あとはレジにさえ、持っていけばミッションコンプリート。


 そのあと、もうひとりの中年の男性が来て、しめしめとしたり顔でルブリスと限定カラーのガンダムの三つを緑の買い物かごに詰め込んで大人買いをしていた。


 中年は万券を出し、支払いを終えるとほくほく顔で店をそそくさと出て行ってしまった。



 ルブリスは一分もしないうちに売り切れる。



 そりゃ、それぞれ二個ずつしか入荷してないのだから当然だった。


 レジで二千円を握りしめていた俺はバーコードを読み込んだ店員の指示に従い、お札を精算機に入れOKボタンを押した。


「ゲットぉぉぉぉーーーっ!!!」


 店員からルブリスの限定カラーを受け取ると喜びから人目もはばからず、箱をかかげて叫んでいた。深夜なので客は一人くらいでまばらだったけど。


 沙耶乃の喜ぶ笑顔を想像するだけで嬉しさがこみ上げてしまい、俺は完全に店員から白い目で見られていた。


 そこに飛び込んできたのは見慣れた女の子。


「はっ、はっ、はっ、はぁ、はぁ……」


 肩で息をしており、かなり急いできたことが容易に想像できた。


「ん、村瀬か?」

「君塚!? って、なんでおまえがそれを持ってるんだよぉぉーーーっ!!!」


 俺の持っていた限定カラーのルブリスを見た綾香の取り巻きの一人、村瀬はとてもガンプラなど興味がなさそうな見た目にもかかわらず、驚きの声をあげていた。

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