第16話 転校生は元アイドル
沙耶乃の告白からの脱アイドル宣言には驚くばかりだった。
芸能番組は騒然としていたが、一般人となった沙耶乃への取材はすべて断り、それでも覗きにきたハイエナみたいな記者へは父さんが対応し、彼らはひと睨みされると逃げ帰る。
それでも尚、しつこい連中には「訴えるぞ!!!」と父さんが頭突きをするかのように勢いよく接近し、一喝していた。そのおかげか、俺たち兄妹の周りは平穏が保たれていたのだが……。
今朝は沙耶乃の体調が悪いのか、起こしに行っても「お兄ちゃん……起こしにきてくれたのにごめんね。今日は遅れて学校に行くね」って言っていた。
それまでアイドル活動で忙しい日々を送っていたから、張り詰めた空気が抜けて、どっと疲れが出てしまったのかもしれない。それでも遅刻しても学校に行こうなんて、本当に沙耶乃は頑張り屋さんなんだと思う。
相変わらず、綾香は男女問わず人気者でただ歩いているだけで引く手数多の学園のアイドル的ポジションにいる。そんな綾香を窓からちらと眺めたあと、一人寂しく登校した。
席に座るとひときわ大きな声が響いてくる。
「あーっ! 綾香が載ってる!」
「マジ!?」
スマホをいじっていた村瀬がおそらく綾香が表紙に写ったWebのファッション雑誌を見つけたのだろう、三島に画面を見せると二人は羨ましそうに眺めていた。
綾香が村瀬の持つスマホに指をかけて、画面を見る。その指のネイルは派手にデコレーションさていた。
「ああ、それ? ちょっと前に撮影したやつね」
ちらっと画面を見た綾香は自分の写った画像を確認すると興味なさそうに傾けた村瀬のスマホから指を離す。
「すごーい!」
「綾香かわいい」
二人は綾香を
「おー、やっぱ綾香はかわいいな」
「クラスメートが読モって、自慢になるな」
芳賀と服部が太鼓持ちをするが、
「まあ、これくらい当然かなー」
綾香の自信過剰なところが窺えた。
教室でも綾香は注目を集め、芳賀、服部、村瀬、三島が脇を固め、ぎゃはははっと下品に大笑いし、クラスメートたちは肩身を狭くしていた。
だが俺は知っている。
綾香の表紙のファッション雑誌は紙媒体が売れなくなって廃止になり、Webだけになってしまい、正直落ち目なのだ……。
昔の綾香はそんなクラスメートのマウント取って、虚栄心を満たすような子じゃなかったのに。
クラスのヒエラルキーが垣間見れるHR前の朝の隙間時間だったが、俺は肩身を狭くするもなにも、ぼっち。
横島がこちらに来たそうに視線をちらちら送ってくるが、「こっち見んな」みたいに手をしっしと振り、ぷいっと彼から顔を背けた。
チャイムがなり、担任の篠原先生が入ってくる。
「みんな、おはよう。朝のHRはじめるよ……」
綾香たちが大声をあげ、我が物顔で話しているために、先生の小さな声はかき消され、前のほうの席のクラスメートぐらいしか、物を聞く姿勢になっていない。
篠原先生は二十四、五歳くらいの新米教師、芳賀たちがこのクラスで好き勝手する原因は残念ながら、先生の指導力不足に起因している。
黒髪ポニーテールに眼鏡、年中、リクルートスーツっぽい格好で真面目を絵に描いたような先生なのだが、小動物系のかわいらしい容姿と相まってかなり気弱な先生だった。
「
「ぎゃははっ、悠斗馬っ鹿じゃね?」
気の弱い篠原先生にいきなりセクハラ発言で周囲をどん引きさせる芳賀。服部だけに大うけし、綾香たちははぁ、とため息をついていた。陽キャのこういうノリに俺はとてもついていけそうにない。
「あ、青です……」
答えるのかよっ!?
「あっはっはっ! 玉環ちゃん最高!」
手を叩いて、篠原先生の返答に大笑いする芳賀と服部。あれから俺へ近づくことはなかったが、弱い者や扱いやすいとみるやマウントを取ってくるクソみたいな奴らだ。
朝から気分が悪くなる。
「あっ、あの……今日はみなさんにお伝えしたいことがあります」
セクハラに耐え、必死に訴える篠原先生に他の生徒は聞く耳を持っていたが、綾香たちはスマホをいじったりして、明らかに先生を見下していた。
うちのクラスに気を取られていたが、何やら他のクラスからなのか、ざわざわと騒がしい。隣のクラスの担任が「騒がしいぞ!!! 座れぇぇ!」と怒鳴っている。
隣はうちと違って、厳しいから騒ぐ生徒なんていないはずなのに、どういうことだ?
だがすぐに廊下が騒がしい理由は分かった。
「とうぞ、入って」
先生が声をかけるとガラガラと教室の扉が開いて、可憐極まりない美少女が入室してきていた。“歩く姿は百合の花“と表現するのがぴったりな美しい歩みで先生のいる教卓まで来た女の子。
なっ!? なあにぃぃぃーーーーーーーっ!!!
俺は彼女を見て、
そりゃそうだ、昨日まで堀北学園の制服を着ていたのに、今日見たらうちの制服に変わってしまってたんだから!
クラスメートたちはあまりの美少女っぷりに一瞬、言葉を失ったように静まり返っている。だが一人が口を開くと次々と転校生について、話し始めた。
「あの子って、白石さやだよね?」
「やっぱり?」
「でも、なんでうちに来てるんだよ!」
「めちゃくちゃかわいい……」
クラスメートたちは美少女が白石さやだと気づいてしまったようで、ざわつき始めた。さっきまで好き勝手な話題で私語をしていたのに沙耶乃を見たみんなはその話題だけを話している。
そんななか、がたっと大きく音を立てて席から立ち上がった。
俺ではなく、綾香が……。
「なんでっ!? なんで沙耶乃がうちにっ!?」
綾香は沙耶乃を指差して、「あわわわ」と泡を吹きそうになっている。沙耶乃はそんな綾香に気を留めることなく、篠原先生に指示に従い、黒板にチョークで名前を書いていた。
「今日から皆さんと一緒に学ぶことになりました。君塚沙耶乃です。よろしくねーーっ!」
沙耶乃が名前を書き終わり、振り返って自己紹介で名乗り終えた途端にスッと天高く手が挙がる。
「先生ーーッ!!! 質問いいでしょうかっ!?」
横島だった。
俺は初めてみた。授業中やらHRやらでこいつが手をピンと伸ばして挙手する姿を……。
「どうぞ、横島くん。でもさっきみたいに芳賀くんみたいなことを言わないであげて欲しいの」
やんわりと横島に芳賀のようにセクハラ発言をしないように釘を刺すと、横島は「もちろんです」とはきはきと返答し、起立して沙耶乃を見る。
横島は沙耶乃に向かい、掃き溜めに鶴を見つけたような希望に満ちた瞳になり、手を組み祈りながら、質問を投げかけた。
「もしやあなたさまは、白石さやさまではありませんか?」
おそらくクラス中、いや学校中のみんなが訊きたかったことだろう。横島の質問により、沙耶乃の登場で静まり返っていた教室内は息を吹き返したかのように騒がしくなっていた。
「うん、つい先日まではそうだったの。でももう辞めてしまって、今はみんなと同じただの高校生だよ」
あっさりとカミングアウトした沙耶乃だったが、その言葉を受けて、クラスの男子が盛のついた猿のように騒ぎ始める。
篠原先生は各席を回り、「みんな落ち着いて、落ち着いてね」と説得していたが、それくらいで元黄泉坂49の不動のセンターだった沙耶乃への熱狂が冷めることはなかった。
女子たちも、
「どうやったら、あんなにかわいくなれるの?」
「今日から白石さやがクラスメートなんて自慢できるかも!」
とか騒いでいて、先生の私語を止めるように注意しても収まる気配がない。
「沙耶乃ちゃん! 俺、芳賀悠斗って言うんだ、よろしく。学校のことで分かんないことがあったら俺に聞いてくれよ、手取り足取り教えちゃうから」
芳賀が馴れ馴れしく、沙耶乃に言ってのけるが、それに横やりがすぐさま入る。
「沙耶乃さん、んな奴ほっといて良かったら放課後、俺と遊びに行こうぜ」
服部が沙耶乃を誘っていたのだ。しかし、それにより芳賀と服部は
「なんだぁ!? やんのか、服部。おまえは綾香と遊んでろよ。俺が沙耶乃ちゃんと遊ぶんだからよ」
「てめえこそ、綾香の相手をしてやれよ、寂しがってるだろうがよ」
この前まで綾香、綾香と騒いでいた二人が綾香のことをハズレ女子扱いしていた。沙耶乃は芳賀と服部をにこにこ見つめているだけで、誘いの返事はいっさいしていない。
ダンッ!!!
教室に巻き起こった沙耶乃フィーバーに冷や水を浴びせる事態が起こる。綾香が両手で強く机を叩き、沙耶乃を鋭く睨みつけていた。
それまでクラスの誰もが綾香のことなど忘れて、沙耶乃を見ていたのだが、子どもみたいに
「うっさいわね! アイドルの一人や二人が転校してきたのが、なんなのよ! そんなに騒ぐこと? もうHR始まってんだから、静かにしなさいよ!」
おまいう!?
さっきまで先生が来てるのに一番見下して、騒いでいたくせに……。
おろおろする先生だったが、
「先生、席はどちらに座ればいいんでしょうか?」
沙耶乃が進行をアシストするように助け舟を出すことで落ち着きを取り戻した先生は、沙耶乃の席を指示していた。
「あそこがいいわ。春臣くんの隣が」
先生の言葉でみんなが俺のほうを向いた。口々に噂し始めるクラスメートたち。
「あれ? 沙耶乃ちゃんと春臣の苗字、同じじゃね?」
「確かにまさか、親戚なのか!?」
クラスで空気と化していた俺は沙耶乃が転校してきたことでスポットライトが当たってしまう。
「うん、私のお兄ちゃんなの!」
――――えええええぇぇぇぇぇーーーーーっっ!?
沙耶乃の暴露発言でクラスメートたちから今日一番のどよめきが起こった。
「マジかよ?」
「どうやったら、あの陰キャと沙耶乃ちゃんが兄妹になるんだよ」
「世の中、間違ってる!」
騒ぎは俺と沙耶乃の関係を訝しがる声であふれていたが、沙耶乃はそれらには構わず、俺の隣へと向かう。
その途中。
沙耶乃は綾香の席の前を通り過ぎるときに軽く微笑んだ。
「綾香ちゃん、よろしくね」
綾香は何も応えず、ただ沙耶乃を恨めしそうに睨むだけだった。
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