第14話 ファーストキス

 俺はトップアイドルで実の妹と思っていた沙耶乃とキスしてしまいそうになっていた。このまま目を閉じれば、沙耶乃と確実に口づけしてしまう……。


 女の子と付き合ったことのない俺がそんなインモラルな展開になるとか思ってもいなかった。


 キスもしたことない童貞にはどきどきが収まらない。心臓が破裂してしまうんじゃないかってくらい鼓動が高まっていた。



 リリリリリリリリリンッ!!!



「のわっ!?」


 沙耶乃とのデート時間に合わせて、待たせちゃ悪いと思ってセットしていたタイマーが部屋中に鳴り響いてしまっていた。


 二人ともびっくりして思わず距離を取ってしまう。


「ごめん……」


 俺は思わず流れに身を任せ、あわよくばめちゃくちゃかわいい沙耶乃とキスできるなどと欲情を抱いてしまったことを恥じて、謝っていた。


「ううん、ちょっとバランス崩しちゃった」


 バランスを崩した?


 どう考えても俺とキスを……いや、さすがに沙耶乃でも俺となんてしたいとは思わないだろう。現に事故りそうになっただけと弁明しているのだから。



 お互いに距離を取ると乱れた襟元を直し、少々、気まずい空気のなか、俺は「もうそろそろだね、着替えなきゃ」と告げた。約束していたデートの時間なので沙耶乃は着替えのために俺の部屋を出るのだが、


「もうちょっとだったのに……」


 なにかボソッと呟いていた。


「沙耶乃? なにか言った?」

「ううん、なんでもないよーっ」


 あははっ、と明るく笑って戻っていった。どうやら、俺の思い過ごしだったらしい。


 着替えながら、思う。


 どう考えても、俺が目いっぱい着飾ったところで沙耶乃と並んで歩いたら、俺なんかモブもいいところだろう。


 着替え終えて、ジャケットを羽織ろうとすると沙耶乃の部屋から声が聞こえてきた。


『……子さん、ごめんなさい。今日で……を辞めさせていただこうと思います。私……好きな人の……ちゃんが……』


 誰かに電話しているのだろうか?


 壁を隔てているため、途切れ途切れではっきり聞き取れない。妹の電話を盗み聴くのもどうかと思い、スマホにイヤホンをつけてYou Tube動画で黄泉坂の曲を聞いていた。


 やっぱり白石さやとメンバーの曲は最高だ!


 デートと言っても、普段は身バレしないように地味モードの沙耶乃と劇場帰りに映画を見たり、ショッピングに付き合ったりするくらいで、今日も似たようなところを回ろうと考えていた。


 スマホでこみ具合などを確認しているのだが、沙耶乃が実妹でなく義妹だったと分かり、スマホを持つ手が緊張からか、いつもと違って汗ばんでいた。


 スマホについた汗を拭っていると、


「お兄ちゃん……似合ってるかな?」


 ドアに隠れて、沙耶乃が恥ずかしそうにこちらをのぞいている。沙耶乃のファッションが恥ずかしいなら、俺のファッションなんて、パンイチで外を練り歩くようなもんだ。


「沙耶乃が着るなら、ジャージ姿でもかわいいよ」


 実際、黄泉坂チャンネルの企画、アイドル運動会で白石さやが青いジャージを着ていたときは俺の妹ながら、ここまでかわいくジャージを着こなす子がいたのか、と感心していた。


「う、うん」


 沙耶乃はドアを開けて、観念したかのように入ってくる。いつもスタイリストさんに見られていると思うんだけど、俺に見せるのは恥ずかしいらしい。


 沙耶乃は黒のへそ出しニットに、アイボリーのライダース風ジャケットを羽織っていた。オーバーサイズのジャケットに格好よさとかわいさが同居して、俺の沙耶乃に対する好感度を限界突破させていた。


 ちらりと見えるおへそが特に色っぽい。


 下はジーンズ生地のホットパンツに短い靴下……玄関のたたきに出ていた編み上げショートブーツをコーディネートするんだろう。


 それにすらりと伸びた生足がすごく綺麗だ。


 デートということもあり、外出するときはほとんど、三つ編みで地味に装うのに、今日は髪を下ろしてサングラスで身バレしないようにしている。


「……」


 サングラスを下げ、上目遣いで不安そうに俺を見つめていたが、俺は沙耶乃の装いが素晴らしく、かわいさと美しさとセクシーさの絶妙なバランスに言葉を失っていた。


 俺が無言なことに沙耶乃は慌てる。


「お兄ちゃん? やっぱりダメかな? ちょっと待ってて、着替えてくる!」


 俺の部屋を立ち去ろうとする沙耶乃の手を掴んで引き留めた。


「違うんだ、いつも沙耶乃のデートするときは地味な格好だったから、そのなんて言うのかな……見とれてた、沙耶乃のかわいさに」


 ぼんっ!


 沙耶乃に言った側から、俺は恥ずかしさのあまりこみ上げてきたものが弾けて、掴んだ手はするりと外れ体温が急上昇する。


 言った俺も恥ずかしかったが、言われた沙耶乃も恥ずかしかったのか、顔を紅くして人差し指同士をすり合わせながら、もじもじしている。


 いつも以上に沙耶乃が俺を意識しているように思えたのだが、やっぱり義理の双子兄妹だと分かったからだろうか?



 仕度を終えた俺たちは父さんと母さんに二人で出かけてくることを告げていた。


「さっきはごめん。動揺してあんな態度取ってしまって……」


 両親も悩んでいたんだと思う。俺たちに打ち明けるべきなのかって。


「俺は沙耶乃を実の娘だと思ってる。分け隔てなく育ててきたつもりだ」


 父さんはどちらかと言うと沙耶乃がかわいくて、溺愛していたように思う。ホント、目に入れても痛くないって感じで。もちろん、俺も時に厳しく、時に優しく育ててもらった。


「私もそうよ。なんたって、春臣と沙耶乃におっぱいをあげて育てたのは私なんだからねっ」


 母さんの言葉に驚く俺と沙耶乃。


「なっ!?」

「えっ?」


 なるほど!


 だから、アルバムにも俺と沙耶乃の乳飲み子のころの写真があるのか!


 母さんは沙耶乃の乳母と言っても過言じゃない。なら俺と沙耶乃の関係は? と思い母さんに訊ねる。


「じゃあ、乳兄妹ちきょうだいってこと?」

「そうよ、まるで江戸時代でしょ?」


 ふふっとおどけてみせた母さん。


 そう言われるとなんだか、沙耶乃が高貴なお姫さまをうちで預かったような気がしてくる。美しき歌姫を。


「ありがとう、お母さん!」


 ひしっと母娘で抱き合い、たとえ血がつながってなくても二人の愛情は俺には本物に思えた。


「俺たちは血がつながってなくても、変わらず兄妹だよ。だからその再確認にすこし二人で出かけてくるよ」

「お兄ちゃんとデートにいってくるね!」


 俺がリビングのドアを開け、沙耶乃が両親に手を振っている。


「ああ、気をつけてな」

「いってらっしゃい。遅くなるときは連絡してね」


 沙耶乃を劇場まで送ったりしているから、両親から俺たちが義理の双子の兄妹だと打ち明けられたあとでも、別段変わった様子もなく送り出してくれていた。



 沙耶乃が地味モードを止めて出かけたデートは、まるで映画の“ローマの休日“みたいだった。


 身分を隠したお姫さまと一介の新聞記者。


 トップアイドルの沙耶乃とかたやモブの俺。


 近所にある大型ショッピングモールに出かけたのだが、男性、女性を問わず、沙耶乃の姿を見て、


「えっ!? なにあの子、スゴくかわいい!」

「マジか!? めちゃくちゃ美人じゃん!」


 すれ違う度に賞賛の嵐で「芸能人じゃないの?」と勘ぐる人までいた。それはそうだよな……現役のトップアイドルが地元を歩いてるんだ。いくらサングラスで隠しても、にじみ出るオーラはかき消せない。


 まあかき消す要素があるとすれば、並んで歩いてるのが俺ってことくらいだろう。沙耶乃はさすがアイドルなだけあって、それらの声に動じることはない。


 モードの切り替えがはっきりしているんだろう。


 恥ずかしがらずに堂々としたモデルみたいな足取りの沙耶乃に対して、俺は恥ずかしかった。ホントに月とすっぽんで並んで歩くのが申し訳ないくらいでうついてしまいそうになる。


「お兄ちゃん! 今は沙耶乃とデートしてるんだよ。お兄ちゃんは沙耶乃の一日彼氏なんだから、もっと明るくね! それとも沙耶乃とじゃ、盛り上がりに欠けちゃう?」


 濡れたワンコが毛の吸った水気を払うようにぶるぶると全力で首を振った俺。それがおかしくて、笑う沙耶乃。


 沙耶乃と釣り合ってないとか、つまらないことを考えてしまい、せっかく俺とデートしてくれている妹を悲しませるところだった。


 そう思って堂々と並んで歩くと、


「あ、でも彼氏くんも優しそうな感じで悪くないかも」


 JDっぽいお姉さんたちから、ひそひそ噂され沙耶乃はどこか複雑な表情を浮かべる。ぐいっと俺の腕を引っ張り、腕組みしてきていた。


「沙耶乃!?」

「えへへ、この方がデートっぽいよね?」

「あ、うん……」


 もしかして、沙耶乃はお姉さんたちに嫉妬した……とか? いや、ないな、ない。


 目的の映画の“すずめの戸締まり“をショッピングモール内のシネコンで楽しんでいた。見終わり、椅子に座りっ放しで固まった身体を背伸びしながら解しながら、自然と感想が口に出てくる。


「ああ、やっぱり面白かった!」


 前評判通りに胸に刺さる描写を含んだ期待を裏切らない男女の感動ストーリーで俺は大満足だったのだが、


「沙耶乃はどうだった?」

「うん、面白かったよ!」


 いつも色々と気遣いを見せる沙耶乃だが、こういう場合というか特定の映画でないと、どうやら心には刺さらないらしい。


 ちょっと画面というか色彩が暗くて、見にくい点もあった“閃光のハサウェイ“を見て、それこそギギみたいに『お兄ちゃん、良かったね! 最高だったよ、スクリーンで見るガンダムは最高だよ』とくるくる踊りながら大はしゃぎしていた。


 少し前に見た“ククルス・ドアンの島“でも『お兄ちゃん、見て見て! ザクが主役だよっ!』と席から立ちあがろうとして、スクリーンに映ったザクを指差そうとしているのを止めたのが懐かしい。


「またガンダムやってたら見に来ような」

「ごめんなさい、やっぱり分かっちゃった? でも、お兄ちゃんと見れて良かったよ。見てる間、ずっと手をつないでくれてたしね」


 ふふっと笑った沙耶乃。怖いシーンがあり、震えていたので、俺はそっと肘かけを強く掴んでいた沙耶乃の手の甲をトントンと軽く叩くと、手のひらをうえに向けたので、つないで一緒に見ていた。


 怖い映画を見るとき、沙耶乃はそうすると安心していたから。でも思い出すとぽーっとのぼせてしまいそう。暗がりで震える沙耶乃の手を握ると震えが収まる。なんだかまだ沙耶乃の温もりが俺の手のなかに残っている気がした。



 そのあとカフェでお茶したり、服に靴、アクセサリーなどの専門店でショッピングしたりして楽しんだ。


 夏物を試着していると、店員さんが「あのもしかして、黄泉坂の白石さやさんですか?」と身バレしそうになったが、


「あはは、よく似てるって言われるんですけど、別人ですよ」


 と沙耶乃は華麗に受け流している。ショッピングモールをキョロキョロ見回して、少し残念そうにする沙耶乃が言った。


「お兄ちゃん、今度のデートは水着を買いに来ようねっ!」

「ああ、もうそろそろそんな時期か! そうだな、そうしよう」


 沙耶乃の貴重なオフをデートという形でプレゼントしてもらったことに感謝しかない。



 帰り道に俺が綾香に振られて泣いていた公園で休憩を入れる。コンビニで買った紙パックのクリーミーなイチゴオレを飲んでいると、


「お兄ちゃん、一口ちょうだい」

「ああ、一口と言わず、ぜんぶ飲んでいいよ」

「うん、ありがと」


 ん?


 変だぞ? 


 俺はなぜか沙耶乃の行動に違和感を覚えた。いつもなら、摂生せっせいをしているので「一口だけにしとくね」と返ってくるのに、俺の口をつけたストローから、リップのついた唇でなまめかしくすすっている。


「今日はありがとな、おかげで綾香から振られた傷もえそうだ。惜しむべきは沙耶乃が俺のホントの彼女ってことじゃないくらいかな」


 俺が自嘲気味じちょうぎみに呟いて俯くと、沙耶乃は俺の両手を支えるように持って明るく言ってくる。


「お兄ちゃん、いい方法があるよ! 昔、約束したこと憶えてる?」

「約束?」


「うん! 最初にお兄ちゃんが綾香ちゃんに振られたとき、沙耶乃が『綾香ちゃんに三回振られたら、お嫁さんになってあげる♡』って言ったこと」


 微かにそんな憶えがある……。


 でも「兄妹は結婚できないんだよ」って、諭していたような気がするけど。


「沙耶乃はね……お兄ちゃんと家族になりたいんだ」

「今も家族だ。たとえ血がつながってなくても」


 やっぱり気にしていたのかと、思っていると沙耶乃は首を振り、否定する。沙耶乃は俺に強く訴えるかのように潤んだ瞳で俺を見つめていた。


「ううん、違うの。兄妹じゃなくて……沙耶乃をお兄ちゃんの彼女にして欲しいの」

「えっ!?」


 沙耶乃が俺の彼女!?


 沙耶乃から大量に流れこんできた脳量子波により俺の脳は完全にショートしてしまい、まるで金縛りにでもあったかのように動けない!


 俺が沙耶乃の彼女にして欲しいとの発言に戸惑っていると……、



 ちゅっ♡



 沙耶乃の腰がベンチから動いた刹那に俺の唇に触れる柔らかな感触。あの沙耶乃の色、艶、形……どれをとっても最高の造形美と思える唇と俺はいまさっき、口づけしていたのだ。


 それを証明するように沙耶乃が啜ったイチゴのフレーバーが微かにだが俺の唇に残っている。


 はじめてだった。


 「沙耶乃のファーストキス……お兄ちゃんにあげちゃった」


 マジか!?


 えへっと微笑むと、頬を赤くして俺を上目遣いで見たあと、恥ずかしそうに視線を逸らしていた。


 もしかして沙耶乃の思い人って、俺なのかっ!?

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