第11話 ライバル

 夜遅くにライブを終えた沙耶乃を駅まで父さんと二人で迎えに行っていた。


 軽ワンボックスに父さんの大きな身体が埋まる。モデルチェンジを重ね、広くなったとはいえやっぱり父さんが運転席に座ると窮屈きゅうくつそうだ。


 時折、対向車のライトで父さんの顔が照らされる。筋肉質で厳つい顔立ち。俺はどうやら母さん似みたいだ。前を見ながらハンドルを握る父さんが訊ねてくる。


「学校、どうだ?」


 このところ様子のおかしかった俺のことを気にしていたらしい。


「ん、まあ……ちょっと落ち着いた」

「春臣にとって、俺も母さんも頼りないか?」


 俺は父さんの問いかけに大きく首を横に振って強く否定した。


「いいや、そんなことない」


 なにか困ったことを相談すれば、仕事で疲れているのにじっくり膝を突き合わせて、俺の話を聞いてくれる。だけど、それが俺には申し訳なく思えた。


 基本的に父さんは俺たちが悪いことをしたときに叱るくらいでガミガミ言うようなタイプじゃない。ドーンと構えて、じっくり対処法を練る泰然自若たいぜんじじゃくって感じだった。


 ちょうど赤信号に引っかかったところで、俺は父さんに訊いてみる。父さんに綾香みたいな幼馴染がいたのかは知らないけれど。


「父さんはさ、好きな子に告白して、振られたことってあんのかよ?」

「ははっ、連戦連敗だ!」


 運転に集中して、しっかりハンドルを握っていた父さんが俺の問いに答えたかと思うと身体を大きく仰け反らせて大笑いする。


「まあ、こんな俺でも最後に勝って、母さんと結婚できたんだ、春臣も自信持て!」


 父さんはパンと大きな手のひらで俺の肩に手を置き、励まそうとしてくれる。


「ああ、頑張るよ」

「女の子は綾香ちゃんだけじゃないからな」


 色恋沙汰にあまり関心がなさそうな父さんから出た言葉に驚く俺。


「なんだ、知ってたのかよ」

「これでも春臣の父親だからな」


 二人で大笑いしていた。俺は恥ずかしいのもあったが、両親に心配かけまいとなにも伝えなかった。それだと余計に心配かけてしまっていたらしい。


 反省……。


 駅のロータリーに到着し、タクシーの列の後ろに車を駐車する。少し早かったみたいで、積もる話を父さんと話しながら待っていると、連絡通路の階段を降りてきた沙耶乃が大きく手を振って、うちの車に向かってきた。


 スライドドアを開けて、後部座席に乗り込んだ沙耶乃は、


「お父さん、お兄ちゃん、ありがとうーっ!」


 ライブで疲れているはずなのに元気に送迎を感謝している。沙耶乃がスタッフの人たちにも丁寧に挨拶しているところを見ているから、父さんの教育の賜物たまものに違いない。


「ライブ良かったぞ!」


 父さんが運転席から腰を捻って、沙耶乃へ手を伸ばす。でもその手は沙耶乃に届かない。


「うん! 見てると思って頑張ったよ」


 座席から立ち上がった沙耶乃は父さんに頭を向けて撫でられにゆき、撫でられると満足したのか、幸せそうな笑顔になった。



 じーっと沙耶乃は俺のほうを見ている。



 撫でられたそうに上目遣いで……。



 甘え上手で主人の帰りを寂しく待っていた子犬にく~んと鳴かれたような気持ちになり、俺も父さんにならう。


 俺の手が沙耶乃の艶のある髪に触れ、上から下に優しく撫でると「えへへ」と幼い子どもが褒められたようにゆるんだ笑顔を俺に見せていた。


 よく頑張ったでしょう! な妹を愛でていると、


 ピコン♪


《お醤油切らしちゃった買ってきて》


 母さんからLINEが届き、駅前の遅くまでやってるスーパーに行き先が決定する。


 俺と父さんがエコバッグを持って駐車場を歩いていると、


「お父さん、お兄ちゃん。沙耶乃と手をつないで帰ろっ」

「「あ……ああ」」


 俺と父さんは沙耶乃の提案に顔を見合わせ、大の男二人が照れ笑いを浮かべていた。沙耶乃を真ん中に俺と父さんを両端に子どもみたいに手をつないで歩いたスーパーの出入り口から駐車場までの短い帰り道。


 何気ないことが、すごく幸せに感じた。



――――翌朝。


 ピーンポーン♪


 家のインターホンが鳴る。


 リビングで朝食を取り終えたころ、時計を見ると宅配便や郵便にしては早すぎる時間。いったい朝から誰が訪ねて来たんだろうか?


 まさか、綾香か!?


 いやいや、あの綾香が迎えにくるどころか、あの様子だと謝罪するなど望めない。


 だったら芳賀と服部がリベンジに来たとか?


 なら、父さんに……って、


「はい、君塚ですが……」


 そう思ったときには、玄関の廊下にいた出勤前の父さんがモニター越しに応対していた。そしてガチャリとドアを開ける音がしたので、どうやら人畜無害な相手だったらしい。


 磨りガラスのはめられたリビングのドア越しにはつらつとした声が響いてくる。


「おはようございますっ! 春臣くんのお父さん」


 元気のよい声を聞いた俺は逆に元気が失せる。間違いなくあいつだったから……。


「おおっ、八神さんのところの……? 大きくなったなぁ!」

武秋たけあきです。いえ、それほどでも……」


 父さんと親しく話しているかと思ったら、沙耶乃の声がしてきた。沙耶乃は声の主の名前を親しげに呼んだのだが……。


「あっ!? 八神くんところの……武夏くんだぁ! 久しぶりーっ」

「沙耶乃さん! 武秋です。いやぁ、いつ見てもあなたは清らかな乙女だ! 今度、ボクとデートしてくださいませんか?」


 見えなくても声から分かる。奴は沙耶乃の前でひざまずいて、胸ポケットから一輪の薔薇ばらを差し出しているに違いない!


「ごめんなさい。私、心に決めた人がいるんです……」

「そうですか、では仕方ありません。またの機会に……」


 心に決めた人!?


 一体、誰なんだ? いやでも沙耶乃にそういう人がいるなら認めざるを得ない……。


 俺はドアを強めに開いて、まったりティータイムをぶち壊したうえに、妹に手を出そうとした相手に対面していた。


「こらぁ! なに朝っぱらから人の妹にしれっとデートの申し込みをしてるんだよっ!」


 俺たち家族の前に現れた男は八神武秋……。


 茶髪でショートマッシュのスカしたイケメン。紺色でボタンがなく、ファスナーで留めるタイプの学ランを着用しているが、スラリとした長身によく似合い、それがやたらと俺のムカッ腹を立てさせてしまう。


「でやがったな! この勝ち逃げ野郎が! 俺と、もう一回勝負しろぉぉーーーーっ、春臣ぃぃーっ」


 父さんと沙耶乃に対する慇懃いんぎんな態度は消え失せ、俺に向かって、挑戦状を叩きつけるような雄叫びをあげていた。


 イケメンが台無し。


 それに朝からやたらテンションたけぇ……。


 俺と武秋の関係を知る父さんは今にも取っ組み合いが始まりそうにもかかわらず、どこ吹く風。


「じゃあ、我々はそろそろおいとまするとしよう。またな、八神くん」

「あ、はい、お父さん。またよろしくお願いいたします」


 沙耶乃は武秋に手を振るのだが、何かを間違えている。


「じゃあね、えーーっと? 竹竿たけざおくん!」

「あ、沙耶乃さん、武秋です。デートの件はまたご検討いただければ幸いです」

「ごめんなさい、それは無理だと思います」


 沙耶乃は武秋に一礼してから、父さんと共に出かけてしまった。たぶん、武秋は沙耶乃が白石さやだと気づいていない、馬鹿だから……ただ、侮れないのが地味モードの沙耶乃に好意を抱いているってことだ。


 それにしても、めげないよな。


 俺も人のことは言えないが、こいつの諦めないメンタルは見習わねばと思う。武秋は強く拳を握りしめ、目を閉じ俯き加減で唇を噛みしめていた。


「俺は春臣に負けてからというもの来る日も来る日も修業を重ね、ついにはボクシングのインターハイで優勝するまでに至った」


 正直、なぜボクシングなのかよく分からない。とりあえず、頑張ったみたいなので賞賛しておく。


「あ、おめでとう。すげーじゃん! でもウザいから、帰れ。おまえも学校あんだろうし」

「春臣と決着をつけねば、帰れるわけがないだろう!」


 狭い廊下に大声が響いて、くそうるさい!


 叫んだ罰なのか、母さんがドンッと強くドアを開いてしまい、武秋の鼻っ柱にクリーンヒットしていた。


「あらーーっ! あなたは確か……八神さんのところの……どなたでしたっけ?」


 鼻を手で押さえる武秋の様子にまったく気づかない母さんは天然対応している。だが武秋もそれを責めることなく、きちんと母さんに挨拶をしていた。


「あ!? 春臣くんのお母さん、おはようございます。武秋です。いや~、今日もとてもお美しい。まるで白百合のようです」


 鼻先を赤く腫らしながらも、キザな台詞がスラスラ出るのだから感心する。


「あらあら、お世辞ばかり上手くなっちゃって。良かったら、お茶でも飲んでいく?」

「ありがとうございます」


 こいつ……俺には粗雑な喋り方しやがんのに俺の家族にはやたら丁寧な口調で話すんだよな。だから、俺の家族の好感度が高くて困る。


 母さんから誘われた武秋は丁寧に靴を揃え、家にあがる。


 

 リビングの椅子に座ったのだが、背筋をピンと伸ばして膝に手を置いている。まるで椅子のうえで正座でもしているかのような佇まい。


「今日は春臣くんに再び、ボクと再戦していただきたく、朝というお忙しい時間に申し訳なく思いつつも参った次第にございます」


 椅子から立ち上がり、母さんにこれぞ礼儀作法と言った具合のお辞儀で非礼を詫びていた。


「うーん、竹箒たけぼうきくん。それは春臣が決めたことだから、難しいかなぁ……」

「武秋です。やっばりそうですか。ありがとうございます。お母さんのお茶、おいしかったです」


 好感度は高いようだが、結局俺の家族からは正しい名前をまったく覚えられていないちょっとかわいそうな武秋だった。


 母さんの了承が得られなかったことで諦めたのか、紅茶の余韻を楽しんだ武秋は立ち上がり、椅子を元の位置に直したあと、別れの挨拶をしていた。


 すると頬杖をついている俺の腕を掴んで、「ちょっと来い」と言って廊下に連行する。廊下で二人きりになった俺たち。スカしたイケメンのくせにやたら暑苦しいことを言ってきた。


「春臣、おまえは消えた天才なんだ! 俺はおまえに勝つまではどうしても諦めきれん。優勝してもなにも、満足感など皆無だった……」

「それは買い被り過ぎだ。俺はなぁ、ここにいる凡才で構わない」


 沙耶乃のためにいる凡才でいいんだ俺は。


 妹が浴びているようなスポットライトは眩しくて、仕方ない。俺は沙耶乃の縁の下の力持ちになりたいんだ。


「今日のところは乙葉さんの美味しいお茶に免じて、引き下がることにしよう。だが忘れるな! 俺は春臣を倒すまで、勝利者になれないと思っていることを!!!」


「あー、分かったから早く学校行けよ。ぼやぼやしてっと遅刻すんぞ。遠いんだろ?」


 袖をまくり、高級そうな腕時計を見た武秋は慌てるが、


「はっ!? もうこんな時間かっ! 俺を遅滞させるとは……小賢しい真似を。まんまとかかってしまったが次はこうはいかんぞ」

「なんだよ、その言い草は。武秋が勝手に家にきたんだろ……」


 自分勝手が過ぎる武秋は、最後に俺の胸にゆっくりと拳を当てると堂々と宣言した。


「次は俺が勝つ!」


 俺は無言を貫くとそのまま革鞄を抱えて、走り去っていく。


 小中学生のとき、出場したグローブ空手の決勝戦で風邪を引いて調子を崩していた武秋に粘り勝ちしたり、カードの組み合わせで強敵とばかり当たった武秋と強豪と当たらなかった俺が判定勝ちしたりとか……。


 唯一KO勝ちした試合も、武秋にボコられ意識も朦朧もうろうとしてきて、もう負けるってときに沙耶乃が「お兄ちゃん、頑張って!」という声援で我に返って繰り出した俺のラッキーパンチがたまたま当たっただけ。


「俺を買い被りすぎなんだよ、武秋は……」


 俺はボソッと走り去る武秋に向かって、独りちていた。

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