第9話 穢れた手で触るな!

 綾香の登校時間を外して家を出た。ご近所に加え同じ高校だから、鉢合わせすることが多い。高校に入ってからは勇気を出して挨拶しても、「ふん」っとそっぽ向いて無視されてた。


 いつくらいからだろう?


 綾香が俺によそよそしいを通り越して、辛辣しんらつな態度を取るようになったのは。中三くらいからだろうか?


 その頃になると、


『幼馴染だからって、馴れ馴れしく話しかけないで』


 なんて随分と手厳しい言葉を投げかけられたこともあった。そのときはただ機嫌が悪いとだけ思っていたが、ガキの頃から三人で過ごしてきた綾香とここまで疎遠になるなんて思いもしなかった、今は同じクラスであるにも拘らず。


 未練がないわけじゃない。けど、もうこっちから綾香に声をかけて嫌われることはないって思うだけでなんだか心が安らいでいた。


 間違いなく沙耶乃のおかげ。


 俺は沙耶乃に励まされなければ、あのまま不登校になっていてもおかしくなかったと思う。あんな励ましを受けたら、頑張るしかないよな。登校の足取りは重くなるはずだったのに羽根が生えたように軽かった。


 教室に入り、窓の間の柱にある時計を見るとまだ朝のHRホームルームまで、あと二十分くらいある。すでに来ていたクラスメートたちがなんだか賑やかだ。


「どうだ! 白石さやの写真集だぞ」

「マジか!? いいなぁ、再販が追いついてねーんだよ。見せろって」

「ああ……白石さやが俺の妹だったら、最高だろうなぁ~」


 かばんを机のフックにかけ、席に着くとクラスメートの男子たちが妹の写真集を見て、天にも昇るのかと思うくらい幸せそうな表情を浮かべていた。


「馬鹿! 妹だったら、ダメだろ……やっぱ、彼女に決まっている」

「でもよ、あの噂って本当なのかな、誰とも付き合ったことないって?」


 白石さやはグループアイドルにしては希有けうな存在で、アンスキャンダラスって言われるくらいその手の醜聞沙汰しゅうぶんざたがまったくなくて、いつも芸能記者を泣かせている。


「あーだったら、マジで付き合いてえわ」

「だな、無垢むくのさやを俺色に染めて……」

「キモっ!?」


 なんだかんだいいながら、ぎゃははと白石さやのことで盛り上がっていた冴えないグループの男子たちの下に、遅れて登校してきた芳賀と服部がやってきた。


 二人が冴えないグループの顔を見回すと苦手意識のためか、男子たちは腰が引け気味。そんなことお構いなしに二人は横暴の限りを尽くし始めた。


「おーっ!? 白石さやのやつじゃん。俺にも貸してくれよ」

「いや……まだ見てないから。それに芳賀くんたち、前にも貸した本、返してくれてないし」


 開いていた写真集を閉じて、鞄の中にしまおうとする男子の手を掴んで芳賀は凄むように言った。


「ああ? 俺が返さない、っていつ言ったよ?」


 思わず顔を背けた男子だったが、手は写真集から離さなかった。すると服部が自分の鞄のファスナーを開いて、手を差し入れた。


「わーった、わーった、返せば貸してくれんだろうよ」


 服部は鞄から漫画の単行本を取り出すと投げつけるようにして、その男子に返却する。たぶん、チェンソーマンの新刊だったのに奪うように取り上げられていたんだろう。返却された本を見た男子は青い顔をした。


 表紙はぼろぼろ、さらには中身に折り目までついていたのだから。手を離し男子の鞄の中に落ちた写真集を、手を突っ込んで取る二人。


「んじゃ借りてくな」

「あんがとうよー!」


 芳賀と服部は漫画本を男子に返したとはいえ、毀損きそんしておいて弁償もないなんて論外、そのうえ奪うように写真集を借りていくとか、あり得ない。


 写真集をせしめた二人はにやにやしながら、席に着こうとしていると綾香たち三人ががやがやと話ながらやってくる。綾香が芳賀の持ち物に目ざとく気づいて、声をかけた。


「芳賀……それ、なに持ってんの?」

「あ、いや、これはちげーんだよ」

「は? なにが違うの? どう見ても白石さやじゃん! 私が嫌いなの知っててわざとやってんの?」


 綾香に妹の写真集が見つかったことで芳賀と服部は明らかにおろおろと狼狽ろうばいして取りつくろうことに必死。三島と村瀬と話していたときは涙がでるほど大笑いしていたのに、芳賀に対して明らかにキレていた。


「あいつらが綾香を困らせようと持ってきてやがったから、俺たちで取り上げてやったんだ」

「そうそう、だよな。むしろ怒んなら、あいつらだって!」


 冴えないグループを指差して、自分のやった行いを反省することなく、罪をなすりつける。二人が指差したほうを見た綾香がキッと男子たちを睨むと彼らはぶるぶると震えあがった。


 言うなれば綾香は女帝。


 美貌びぼうとカリスマ性を持ち、圧政でこの学校に君臨していると言っても過言じゃない。


「二度と私の前であの子のものを見せないで!」


 芳賀、服部、男子たちだけでなく、クラスメート全員に通達するかのように言い放つと、空席の椅子を思いきり蹴飛ばし、教室内が凍りついた。


 ガンッと冴えないグループの男子の机の脚に当たる椅子。当たった席の子はびっくりして身を仰け反らせているが、唖然あぜんとして見ていた三島たちに「なにしてんの? 行くよ」と着席を促していた。


 怒りの矛先が男子たちに変わったことで芳賀と服部はほっと胸を撫で下ろすと、バンと大きな音を立てて新品の白石さや写真集が机のうえに投げ捨てられた。


「おらよ、返してやんよ。こんなもん学校に持ってくんな、ボケが!」

「ただし放課後、面貸せや。てめーのせいで綾香が怒っちまったじゃねえか!」


 無茶苦茶なことを言って、八つ当たりのように彼らを呼び出す腹積もりらしい。


「そんな! 芳賀くんが勝手に……」

「あぁ!? だったらここでやってやろうか?」

「とにかく放課後、校舎裏で待ってんぜ!」


 写真集を持ってきた男子は震えあがり、周りのクラスメートが肩に手を置いて、「ご愁傷さま」とか慰めにもならない言葉をかけていた。


 マジで世知辛い。


 鬼が遠ざかったことで、芳賀たちは綾香に聞こえないように舌打ちしている。


「ちっ、なんだよ、ただのアイドルだろうが」

「綾香のやつ、どんだけ白石さやのことが嫌いなんだよ」


 綾香に好意を抱いている二人ですら、ため息をついて呆れ気味だった。


 芳賀たちが俺を絶対に揶揄ってくると思われたが、結局今日は写真集騒動のおかげで俺は綾香に告ったことを芳賀たちになじられることなく、平穏に過ごすことができた。


 芳賀たちは俺のことなんかより機嫌を損ねた綾香に購買部で買ったジュースやらパンをおごったり、仕様もないギャグを言ってなだめるのに必死だった。



 ――――放課後。


 俺はクラスメートが持ってきていた写真集のことが気になって、校舎裏へ出向いていた。


「や、止めて! 痛いっ! 痛いーっ!」

「横島っ、おまえのせいで綾香に嫌われそうになっちまったじゃねえか! 分かってんのか!」

「おらっ! おらっ!」


 ボスッ、ボスッと鈍い音が校舎裏に響く。


 音を気にした生徒が窓から見下ろすが、芳賀がひと睨みすると、足早にその場を離れていた。


 がたいの良い服部が写真集を持ってきていた男子、横島を羽交い締めにして、芳賀がフィンガーグローブをつけて腹を叩いていた。羽交い締めされている横島の両手にもグローブがはめられて……。


 あいつらの常套手段。


 MMA総合格闘技をいじめの口実に使い、強くなりたいと言われたから、教えてやったと言い訳して生徒指導の先生の追及を免れている。学校もいじめを認めたくないから、軽傷だといじめられた生徒の訴えをまともに取り合ってない。


 実に狡猾こうかつで汚い奴らだ!


 こういう中途半端にかじった輩が馬鹿なことをしでかして、真摯しんしにトレーニングしている選手や愛好家が世間から謂われのない批判を浴びてしまい、本当に浮かばれない。


「こいつは没収だな」


 芳賀が白石さや写真集を手に取る。ボディブローを食らい、よだれを口の端から垂らし目が虚ろになった横島の鞄から写真集を取り出し、奪っていたのだ。


 壁際からカットパイの要領でちらちらと様子を探っていた俺だったが、堪忍袋の緒が切れた!


「止めろ! 汚い手でその写真集に手を触れるなっ!!」


 後先考えずに芳賀に向かって叫んだ俺。


 俺はもう我慢の限界だった!

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