第8話 甘やかし
日付が変わる前に床に入ったが、色々ありすぎてなかなか寝付くことができなかった。
「お兄ちゃ~ん」
ん?
真っ暗ななか、沙耶乃が俺を呼ぶ。寝言かと思い、一度目はスルーしたのだが、
「お兄ちゃ~ん、起きてる?」
再び呼びかけられ、覚醒しているか訊ねられたことで返答する。
「ああ、沙耶乃もか」
「うん……」
しばしの沈黙が続いたあと、妹と川の字で寝る暗がりは貝のように堅く閉じた口を開かせていた。
「沙耶乃は聞きたいか? 綾香となにがあったか」
「うん、話したいなら聞いてあげるよ」
俺は暗がりのなかで沙耶乃に話しはじめた。放課後、綾香に告白したが断られたうえに綾香のグループの奴らに散々、馬鹿にされてしまったことを……。
長くて女々しい話なのに文句ひとつ言わずに、うんうんと相づちを打ちながら、俺が話し終わると沙耶乃は不思議そうに言った。
「どうしちゃったんだろうね……綾香ちゃん。断るなら普通に断ればいいのに。ちょっと限度を超えてるよ」
「沙耶乃もそう思ってくれるんだな、話してすっきりしたような気がするよ」
思い出すだけで胸が苦しくなる。だけど沙耶乃に打ち明け、ひとつひとつ話すたびに俺の胸に刺さった
「昔はみんな仲良かったのにね。でも綾香ちゃんがお兄ちゃんのこと嫌いになっても、沙耶乃はずっとお兄ちゃんのこと好きだからねっ!」
「ああ、ありがと……」
沙耶乃の気持ちは感謝してもしきれないくらい嬉しい。だけど沙耶乃は俺の妹で、ましてや国民的アイドルグループのセンター、どんなに努力しようが一番近くて遠い存在。
彼女とか、恋人にはなり得ないのだ。
失恋の痛みで大の字で無気力になっていると沙耶乃は「大丈夫、大丈夫、沙耶乃がついている」とか言ってきて、さらに励まそうとしてくれようとしているのだろうか?
「元気だしなよ、お兄ちゃん! 紗耶乃がデートしてあげるからねっ!」
そんな提案をしてきたのだ。もうすぐ十七回目の誕生日を迎える俺たち。俺は疑問を沙耶乃にぶつけてみた。
「もしかして、それが誕生日プレゼントか?」
「うん! 白石さやとデートできるんだよ、うれしいでしょ?」
表情こそ受け取れないが、ふふんと得意気になってそうな雰囲気が漂ってくる。そりゃそうだ、黄泉坂ファンだけじゃなく、多くの男性たちを魅了する白石さやと一日デートできるなら、一億円払ってもいいなんて公言している奴もいる。
「いつもしてるような気がするんだけど?」
沙耶乃を劇場に送ったり、その他の送迎は俺にとっては妹とのデートに近いと思っている。送迎の前後にスイーツ食べたり、外食したりしてるし。
「えーっ、ぜんぜん違うよぉー」
もぞもぞとシーツが擦れるような音がして、沙耶乃がベッドの縁から顔を出して、膨れているような感じがしていた。
「ははっ、ごめんごめん、そうだな。そんなこと言ったら、ファンが怒るよな」
「そうそう、お兄ちゃんだけの彼女みたいな感じにしたいなぁ~」
「は?」
彼女!?
しかも俺だけの!?
俺が目を見開いて戸惑っていると、沙耶乃は盛り上がってしまった俺を差し置いて、問答無用に告げる。
「おやすみっ!」
「あ……沙耶乃」
ガバッとお布団をかぶる音がしてしまい、俺がお肌に悪いなんて言ってしまったので、夜更かしさせてまで詳しく訊くのは、はばかられてしまった。
まあ、沙耶乃の演劇の練習相手ぐらいになれればいいか、トップアイドルとモブとじゃ少々荷が重い配役だけど。沙耶乃と話しているとなんだか気が紛れて眠くなってきて、そこで睡魔に襲われてしまう。
チュン♪ チュン♪ チュチュン♪
小鳥たちのさえずりで目を覚ます。目をこすり時計を見ると六時だった。
「ううん……」
すぐさま俺は異変に気づいた。寝返りが打てない。それに起き上がれない。
おかしい。
背中が妙に温かかった。それにとてつもなく良い香りがして、ぽよんと柔らかくて気持ちよくなるような感触がしている。
まさか!?
そのまさかだった。
「えへへ……お兄ちゃ~ん……お兄ちゃ~ん、逃がさないよぉ……むにゃむにゃ……」
確かにこれじゃ逃げられない。俺のベッドで寝たはずの沙耶乃が床に敷いた俺の布団へ潜りこんでおり、寝言を言いながら、沙耶乃の綺麗な生足が俺の両足にかかり、後ろからハグしていたのだから!
俺がもぞもぞしていて、目が覚めた沙耶乃は悪びれることなく朝の挨拶をしていた。
「あ、お兄ちゃん、おはよ……」
「あ、おはよ」、じゃない。目を眠そうに擦る沙耶乃のキャミソールの肩紐が片方ずり落ちて、ヤバいぐらいセクシーになっている。深く鼻から息を吸い込み、深呼吸してから妹に訊ねた。
「沙耶乃……なんで俺のお布団で寝てるんだ?」
「ごめんごめん、たぶん寝ぼけてベッドから落ちて、そのまま寝ちゃったんだよー、きっと」
ぽかっ、てへっ、ぺろっと愛らしい仕草で
うん、かわいい!
違う、そうじゃない。俺は知っている。沙耶乃は寝相が悪い子じゃない、スヤスヤとおとなしく寝るタイプだ。
本当は自重しなさいって言うべきところなんだろうけど、沙耶乃の愛らしさと優しさに免じて俺は不問にすることにした。
ありがとう、沙耶乃。
沙耶乃は自分の部屋へ戻り、朝の仕度を始めているようだった。俺も学校へ行かないといけないが、綾香の仕打ちを思い出すだけでシャツのボタンを留める手が震える。
それでも昨晩からの沙耶乃の献身に応えなければならない、そう思うと震えぴたりと止まり、シャツを着終えると洗い替えのズボンを穿いた。
俺が仕度を済ませ、無事にリビングに現れたのがよほど嬉しいのか、沙耶乃は黄泉坂の曲を鼻歌で歌いながら上機嫌だった。先に食べ終わり、食器をシンクへ置いたあと、父さんの分も片づけていた。
「済まんな、沙耶乃」
「いいんだよーっ」
沙耶乃に感謝を告げた父さんの両肩に手をやる沙耶乃は耳元で言う。気のせいか、なんだかいつもより朝から沙耶乃のテンションが高いように思った。
俺には厳しい父さんだが、親子のスキンシップに眉尻が下がり、頬がゆるゆるになって母さんから呆れられている。でも、めちゃくちゃかわいい沙耶乃から耳元で囁かれたりしたら、男なら誰だってそうなってもおかしくない。
「それじゃ、行こっか」
「お、もうそんな時間か……」
それぞれ鞄を持った沙耶乃と父さんがリビングを出て玄関へ。父さんが靴を履いて、ドアから出ようとすると沙耶乃は、
「お父さん、ごめん。忘れ物しちゃった。先に行ってて」
と父さんに告げて、踵を返す。父さんは頷いたあと家を出てしまった。俺は沙耶乃の忘れ物っぽいものがないか、きょろきょろと辺りを見渡す。
だが、なにか物を忘れたわけじゃないらしい。玄関にいた俺に沙耶乃は優しげな笑顔を浮かべて言った。白石さやが大勢のファンを励ますよりももっと特別感のある表情で。
「お兄ちゃんなら大丈夫! なんたって、沙耶乃のお兄ちゃんなんだから!」
また沙耶乃に励まされてしまったかと思っていると沙耶乃は踵を浮かせて背伸びしており、ふわっと髪が揺れて、良い匂いがした。頬と頬が触れ合うような距離で戯れ、沙耶乃が俺に抱きついてきたのかと思ったら違った。
沙耶乃は俺の頬にキスしていた。
「えっ!?」
頬に残る沙耶乃の唇の感触……触れられただけで、止まっていた鼓動が再起動するような感覚がした。綾香に振られてからというもの、沙耶乃が俺をなんだかもの凄く甘やかしてきているような気がする。
「えへへ、勇気の出るおまじないだよーっ」
俺が頬を押さえて戸惑っていると頬を赤らめながら、「いってきまーす」と元気に告げて、先に玄関を出ていた父さんを追いかけて走っていった。
禁断の果実のような甘い香を俺の頬に残して……。
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