第7話 気遣い

 お風呂からあがったあと、俺は落ちこんでいた。


 沙耶乃のおかげで少し落ち着いたものの、一人でいると永久に泣き続けられるんじゃないかってくらい悲しみがこみ上げてくる。やっぱり俺、綾香のことが好きだったんだなって思った。


 昔はあんなことするような子じゃなかったのに、一体どうしてしまったんだろう? 俺がなにか悪いことでもしたんだろうか?


 考えても分からないが、もしかしたら俺は知らず知らずの内に綾香を傷つけていたのかも知れない。じゃないとあそこまで酷いことをされることはないと思うんだ。


 情けない顔を両親に見せたくなくて、晩ご飯はいらないっていったんだけど、ドア越しに「お兄ちゃん、ご飯置いとくねーっ!」と俺の落ちこみなんて知らないって感じの明るい声で沙耶乃が気遣ってくれていた。


 きっと沙耶乃は俺の異変を感じ取り、両親にもそれとなく事情を話してくれていたんだろう。


 部屋のドアを開けるとトレーにラップに包まれたサンドイッチと保温水筒とコップ、そしてメモが置いてある。サンドイッチはカツサンドと玉子と野菜のサンド、そう言えばキッチンからジュワーーーンとカツを揚げる食欲を誘う音がしていた。


 部屋のテーブルに置き直して、いざ「いただきます」した。母さんの手作りサンド……ウマい!


 沙耶乃が書いたと思われるメモが視界に入る。



『元気だしてね、お兄ちゃん!』



 単純。だけど、これほど今の俺にとって嬉しく感じる一言もなかった。電車内で見たあの元気のなかったスーツ姿の男性。あの人が白石さやの広告を見ただけでパッと明るくなったくらいだ。


 やっぱり沙耶乃はアイドルで、何気ない一言でも人を励ましたり、元気にしたり、勇気を与えたりするカリスマ性みたいなのを天から授かっているんだろう、そう俺には思えてならない。


 悲し涙と嬉し涙が入り混じったぐちゃぐちゃな感情で母さんの手作りサンドを貪り食う。噛むとまだ温かく食パンの柔らかさのなかにカリッとした食感、さらに噛みこむとジュワッと肉汁が舌を喜ばせた。


 ソースの濃さから水分が恋しくなり、玉子野菜サンドに手をつける。シャキッとしたレタスとトマトの酸っぱさがソースと肉汁の脂っこさを流して、俺の身体をうるおす。


 ふわっふわの玉子を食べると思い浮かんでくるは沙耶乃のおっぱい……。あの手触り、肌触りは間違いないと思う。


 大きくなったなぁ。


 食べ終わり、「ごちそうさま」と手を合わせながら、沙耶乃の温もりを思い出して変な気分に浸っていると、


「お、お兄ちゃ~ん! た、助けてぇぇーーっ」


 沙耶乃が俺の部屋のドアをノックし、今にも泣き出しそうな声で呼びかけていた。ノックされたことで、ビクッと身体が反応してしまう。


 沙耶乃! 


 ラッキースケベで妹のおっぱいに触れたことを思い出すなんて、ダメな兄を許してほしい。


 俺はドアを開けて訊ねた。


 こういうときの沙耶乃は決まってそうだ。


「また、ガンプラが作れなくなったか?」

「うん……」


 俺だけが知る白石さやこと、君塚沙耶乃の秘密。それは重度のガノタだった……はっきり言って、知識は俺なんかより沙耶乃のほうが詳しいくらい。


 だけど、そんな妹もガンプラを上手く組み上げる器用さは持ち合わせていないようで困ったときは俺に頼ってくる。


 ガノタを好意的に見てくれるファンもいるだろう。だけど世間には公表せずに沙耶乃は無難な女子っぽい趣味をプロフィールに書いていた。


 一応、それは俺の助言から。


 沙耶乃はライトブルーのモノクロームのパッケージイラストが描かれた箱をテーブルのうえに置いたかと思ったら、開封し出す。


 イラストやパーツを見ると既視感を覚えた。


「紗耶香さ、これって確かグスタフ・カールだよな、前にも作ってなかったっけ?」

「うんとね、前のはユニコーン版なの。今日のはギレン版なんだよ」


 俺にタブレットの画像を見せて、フリックしながら違いを解説してくれるのだが、


「いや、その違いが分からん!」

「ええーーっ! いっぱい違うよぉ、それにまだ出てないけど、ハサウェイ版もあるからね」


 まだあんのかよ……


 沙耶乃曰わく、カラーはもちろんのこと頭部形状やシールドのマウント位置など差異があるらしい。


「沙耶乃……もう何周目なんだ?」

「五周目だよ」


 沙耶乃は俺がガンプラを組み上げる一方、俺のベッドに腰かけ、今週放送された水星の魔女をまた見ながら、あーだこーだ推察を述べていた。


「ミオミオ、ダブスタクソ親父にもっと言ってやれぇぇーっ!」


 俺のベッドにころんと仰向けに寝ころんだかと思えば、沙耶乃は上半身を起こしてタブレットに向かって、ヒートアップしている。


 そういえば、少し前にリビングでくつろぎながら、俺と沙耶乃が水星の魔女を見ていると後ろで見ていた父さんがぼそっと呟いていた。


『世界を革命する力を!』


 って。一体なんのことか分からなかったけど、気になって調べたらすぐに出てきた。


 あの厳つい風貌ふうぼうの父さんから、少女漫画風のアニメのキャッチフレーズが出るなんて、思わず吹き出しそうになってしまったが、さらにWikiで見てみると俺はとあるワードに手が震えた。



 近親相姦……。



 ヒロインとヒロインの兄がそういう関係なんじゃないかって、考察されている。まさか父さんはお風呂場で起こったことやぐいぐい来る沙耶乃と俺との関係を予知してあんなことを呟いたのか!?



 俺と沙耶乃、いやない!



 沙耶乃は実の妹だし、重度のブラコンだって言っても、恋愛感情なんてないに決まってる。


 そんなことを思っているとベッドに座って足をブラブラさせながら、「グエグエ、ツンデレ過ぎーっ」と、けたけた笑っていたかと思うと、モビルスーツの手首など細かいパーツと格闘している俺を真剣な眼差しで見ていた。


 お風呂あがりで髪を下ろし、キャミソールにホットパンツという色合いこそ違うが写真集と似通った出で立ち、俺の前に白石さやがいるのだ。


 しかも写真から感じられない、お風呂あがりのシャンプーと女の子が合わさった良い香りを漂わせて……。


 ドキッとして、俺は沈黙に耐えられずに話題を振る。


「それにしても、沙耶乃は量産機が好きだよなぁ。Ξクスィーガンダムやペーネロペーとかいらないのか?」


 作ってくれと言われればパーツ数が激増して、それはそれで大変なんだけど。


 モブの俺の質問にアイドルの沙耶乃が真摯に答える。


「うん、量産機でもね、誰かが乗って操縦してるから。私のファンもね、ファンって言っちゃうと一括りになるけど、色んな人が一人一人、私を真剣に応援してくれてるんだよ」


 沙耶乃に頼まれ、ジムからザク、ジェガンにギラ・ズール、たくさん作ってきたけど、そういう理由でワンオフ機より量産機が好きなのか……沙耶乃がそんな風に思っていたなんて初めて知った。


 なら公表したってファンはむしろ嬉しいんじゃないだろうか?


 超人気アイドルグループのセンターに抜擢されても、なんらおごることなく、昔のまま自然体でいてくれる沙耶乃がますます好きになる。


 ただし、あくまで家族愛としてだ。


 妹の人間としての器の大きさに感動を覚えていると、


「綾香ちゃん、お兄ちゃんのこと、モブとか量産機とかとでも思ってるのかな?」

「なっ!?」


 綾香のの字も話題に出してないのに俺の心は覗かれたように沙耶乃に悟られていた。


「どうしたんだよ、いきなり綾香の名前出して」


 俺は沙耶乃の鋭過ぎる女の子の勘に額から大粒の汗を流しながらも、とぼけた振りをするが、


「お兄ちゃん、中学のときも綾香ちゃんに告白して、落ち込んでたから分かるよ」


 無意味だった。長年一緒にいた兄妹だけに全部分かってしまっていたのか。


「私だったら、主役機なんかよりも断然強い魔改造量産機のお兄ちゃんのこと、放っておかないのに……本当にもったいないことするよね!」


 魔改造……。


 サンダーボルトのパーフェクトガンダムか?


 あまり下手に突っ込むと沙耶乃が熱暴走して止まらなくなるので、魔改造量産機がなんなのか触れないでおいた。


「いやいやそれはさ、身内だからそう思うんだよ。俺は沙耶乃が思うほど、優れた人間じゃない。俺なんかより沙耶乃はキラキラ輝いてるんだよ」


 主役機である沙耶乃を守ったり、支えたりしていたら、妹限定で少し能力が開花しただけだ。自分が大した人間でないことを告げると、途端に沙耶乃はうつむいて、今にも泣き出しそうなくらい瞳が潤んでしまっている。


「私のために好きなこと、お兄ちゃんが全部我慢してくれてること、知ってるんだから……」


 いたたまれなくなった俺は沙耶乃から視線を外した。その先に見えたニキシー管の置き時計は午前零時になろうとしていた。俺は沙耶乃の言葉には回答せずに睡眠を促す。


「もう遅い、夜更かしはお肌に悪いぞ」


 芸能人はお肌が命!


 いくら若いからって、不規則な生活はお肌の大敵。「うん」と素直に頷いた沙耶乃は完成したガンプラをパシャリと一枚撮影すると、その横にタブレットを置いた。


 だがしかし、沙耶乃は俺のベッドの布団をかぶり、


「お兄ちゃん……今晩、沙耶乃が添い寝してあげるね」


 なんてとんでもないこと言いつつ、ぽんぽんと枕を軽く叩いて、俺に同衾するようにウェルカムしていた。


「いやいや、それはマズいって」


 あまりの大胆さに照れもあり、俺はこめかみを掻く。そんな俺に沙耶乃は涙目になりながら、本気で心配してくれているようだった。


「だって、私……お兄ちゃんのことが心配。目を離した隙に明日起きたら、お兄ちゃんが首を吊ってたとか絶対に嫌なんだもん!」


 ああ……揶揄からかってるとか思ってた俺が馬鹿だった。大袈裟かもしれないが、傘も差さずに公園で雨に打たれてうなだれている俺を見たら、自殺するとか思われても仕方ない。俺は沙耶乃にめちゃくちゃ心配かけてた。


 でも素直にその気遣いにありがとうって言えない俺。


「分かった、分かった……ただし、寝床は別々だぞ」

「うん!」


 そんな天の邪鬼な俺の言葉に素直に頷いてくれた沙耶乃だった。


 いくら双子の兄妹でも年頃の男女だ。ましてや妹は黄泉坂のセンター。アイドルが未だに兄貴と一緒に寝ているなんて、ファンが知ったら発狂もんだろう。


 だが翌朝、沙耶乃がまさかあんなことをするなんて俺は思ってもみなかった……。

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