2枚目 ロッコと親友の絵
「お手紙ですよ」
「なんでここがわかったんだ!アテナイだぞ!」
「手紙を届けるのが仕事ですから、お手紙の宛名どこへでも」
「……で、一応聞くが誰からだってんだ?」
アテナイ、郊外の森。
開けた場所に生活拠点を作り、数日間悠々と暮らしていた。が、5日目にしてなぜか顔なじみの配達人がロッコ宛の手紙を手に訪問してきた。手紙、ってだけでも面白くないのに今いるところが知られているとは。ロッコはアッと言う間に不機嫌顔です。
今までも何度か引っ越しをしましたが、配達人だけはいつもお見通し。
どれほど「なぜ」と聞いても返ってくるのはいつも一緒。両方の眉をクイッと上げて「手紙を届けるのが仕事なので」。さすがのロッコも、もう聞くのをやめた。
「えーっと、ジュリアーノさ……」
「捨てろ!!いいか!!ジュリアーノと名がつく手紙は!!今後一切!!たとえどんな内容だろうとやつが泣いて懇願しようと持ってくるな!!いいか!?俺はここがアテナイ郊外の森でなきゃあ壺いっぱいの塩ぜんぶをまいちまってるぞ!!」
ぜんぶだ!!と全力で叫ぶと森から鳥たちがバタバタと羽ばたいていきました。
配達人は口角だけでニカっと笑い、ジュリアーノからの手紙を細切れにして森に撒いて逃げて行った。ロッコは、自分で怒鳴っておいてあれだが、あいつは配達人としてやっていけるのだろうか……と思いました。
「まあ、やつからの手紙が来なくなるだけで良しとするか!!キッキッキ!!」
ロッコは森に撒かれた紙片を全て集め、暖炉へ放り込みました。
紙は植物からできているけど、森に撒くのは感心しなかったからです。
「それにしてもやつはまだこりねぇのか……」
前に一度、配達人からこう聞かれたことがあります。
「どうしてそんなにジュリアーノ様が嫌いなんですか?」
「ロッコさんってほかにお手紙くれる友達がいないんですか?」
ロッコはそのどちらの質問も大嫌いです。
◆
まず、ロッコにも、かつて親友と呼んだ人がいました。故郷の村の、隣の家のレオです。レオはロッコの絵が大好きで、それがたとえねじれた魚やエッシャー階段のような絵でも甚く喜び、褒めました。
また、どちらかの家に行っては、窓から見える景色を楽しんだり、今日の雲の色や形を語り合ったり、キャンバスに見立てて窓の外を見る角度を変えたり、すぐ近くの花畑に顔を突っ込んで花の香りを思う存分楽しんだりしていたのです。
他にも草笛を吹いたり、葉っぱの舟を作って水たまりに浮かべたり、歌ったり、手を人に見立てて踊ったり、レオはあまり森へ行ったりはできなかったので、代わりに行ってその年はじめて実った果物や木の実を持ってきたりしました。
そこへいつも邪魔しにくるのがジュリアーノです。ロッコの絵を馬鹿にし、レオの病弱さを馬鹿にし、ふたりの遊びを馬鹿にし、枝を投げてみたり砂をかけてみたりと、いつもふんぞり返って笑っているような威張りんぼでした。
そのたびにロッコがレオの分までジュリアーノを叩きのめし、謝らせるのです。
ですが、そのレオも病弱さがたたったのか、15歳で亡くなってしまったのでした。
それ以来ロッコは友達というものを作ろうとせず、余計に絵の世界に閉じこもりました。自分と、キャンバスだけの世界に。
「絵の中か……」
つい最近起こった出来事で、ロッコは思っていたことがありました。
「絵にレオを描いたらどうなるだろうか」
ふつうの紙に木炭でレオを描いてみましたが、なんだか違う。
近くから遠くから眺めてみて、その違いに気づきます。
「そうだそうだ!レオは目の形がもっと優しかった!!」
せっかく買ったスパナコピタが、お皿の上に乗ったまま冷めきる頃、部屋はレオの絵の失敗作を丸めた紙屑でいっぱいになりました。
ロッコは顔を覆って泣きました。40といくつかの人生という記憶が、レオを忘却の彼方に押しやってしまったからです。
「こうしちゃいられねぇ!!」
ロッコは家族に手紙をしたためると、ササッと畳んでろうで封をしました。
そして港に行き、イタリア行きの船を捕まえ、手紙の配達にしては多すぎるだけの金貨を握らせ、大急ぎで手紙を届け返事を受け取ってこい、とすごみました。
後は返事が届くのを待つばかりですが、ロッコは待つというものが嫌いです。
自分で行くべきだったかな、とか、金貨を握ったまま逃げたりしないかとか、とにかく心配でまったく眠れませんでした。
◆
「お~いロッコ!手紙!持ってきたぞ!」
「なんだって!!もうか!!」
「自分で頼んだんだろう!ほら!」
「たしかに受け取った!!これは礼だ!!」
「もういい、昨日充分受け取ったさ」
ロッコは気付きませんでしたが、この船長の青年は、ロッコのご近所さんのせがれでしたから、ロッコのことも、レオのことも、両親から聞かされて知っていました。レオのお葬式で、棺に縋り付いたまま土をかけられた話も聞いています。
「なんでまだいるんだ?」
「返事次第ではまたこき使われるんじゃないかと思ってね」
青年は勝手に冷めたスピナコパタや果物を食べて、ロッコがじっと手紙を眺め、緊張した手で包みを開くのを待っていました。
包みの中からは、かつて自分が描いたレオがいました。四つ折りの、まだ自分の人生が10年やそこらだった時の絵です。レオは新鮮な記憶のままそこにいました。
「そうだ!!これがレオだった!!目じりをこんなに下げて笑うんだ!!」
青年は、よくわからないけど一安心だ、と頷きます。
ロッコはかばんからイーゼルを引っ張り出し、そこにレオの絵を大事に飾りました。そして手紙を一通、簡潔にしたためて一掴みの金貨と一緒に青年に渡します。
「いいよ、金貨はもうもらったってば!」
「いいんだ、あやうく親友を本当の意味で失ってしまうところだった、おまえが受けとらなければこの金貨はすべて窓から海にばらまくがいいんだな!」
「わかったよ……」
「返事はいらねえって言っといてくれ、もう絵にとりかかりたいんでな」
青年はやれやれと首を振り、イタリアへ手紙を届け、家に帰ろうと決めました。きっと両親もロッコの話を聞きたがるだろう。
「そうだぞ!!そうだ!!レオはいつもこうして窓から外を見てた!!」
火の消えた燭台、はためく麻布のカーテン、夏の光は黄色くて、逆光でレオの半分に影を落とすんだ。部屋は少し暗く、明るくて、果物かごに入ったりんごが、つるっと光を反射する。窓辺には鮮やかな緑の葉っぱが数枚、落ちていたんだ。
ロッコは寝食を忘れ、キャンバスにレオを生かします。
やがて、まばたきさえしそうなくらいにリアルなレオが完成しました。
ロッコは再び少し泣いて、泥のように眠りました。
夢の中で、ロッコは自分が小さいことに気付きます。
子供の頃の夢を見ているようでした。懐かしい実家の景色に、もしかしてと隣の家に駆けだします……。
「はっ!」
喉の渇きで、目が覚めました。
なにも飲み食いせずに寝たので、喉がカラカラ、砂漠のようでした。
果物かごのオレンジを握りつぶすように3つも食べ、瓶から水をがぶがぶ飲むと、やっと喉の渇きは消えました。あれ?オレンジなんてかばんから出していたっけな?と考えていると、誰かから声をかけられます。
夢で聞いた声でした。いつも聞いていた声でした。
「おはよう、ロッコ」
「レオ!!」
「きみがこうして描いてくれるとは思わなかったよ」
ロッコは懐かしさに声も出ず、ただ涙を流しました。
そしてレオのいなくなってからの25年の月日のすべてを語って聞かせます。
「またきみにあえて嬉しいよ」
「俺もだ!親友と旅に出られるならこれ以上のことはない!!」
そして、それをもたらしてくれた手紙が大好きになりました。
◆
絵の世界から戻ると、誰かが扉を叩いていました。
オレンジの消えた絵の果物かごに、レオの好きな食べ物を描き足して、ようやくロッコは扉を開けてやりました。
いつもの配達人でした。つまり、ジュリアーノからでしょう。
「あの、一応聞いてみるだけなんですがね?お手紙がですね?」
「……」
「じゅ、ジュリアーノ様からのですね?確認をですね?」
配達人は怯えますが、ロッコは昨日までのロッコじゃありません。
なにせ、レオのおかげで手紙が大好きになったのですから。
ロッコはくしゃりと笑って手紙を受け取ります。配達人はびくびくと怯えながら、首を傾げていました。そうでしょう、昨日あれだけ怒鳴られたのですから。
「う、受け取ってくださるんですね……これで、お屋敷に入れてもらえます……夜に泣き疲れて門の前で眠ることもないです」
ジュリアーノはこの使用人をひどく扱っているようだ。手紙を受け取るくらいしてやろうかと思ったものの、手紙を読み上げて撤回する。
「やあ、親愛なる、いや、ならない、ロッコヘ」
「ひっ」
「今朝がた屋敷の数多くある部屋の一番どうでもいい部屋の一番どうでもいい棚の一番どうでもいいひきだしから、僕が子どもの頃に描いたにも関わらず全く変わらない才能……」
「お、おち、落ち着いて……」
ロッコの額に血管が浮き出たのを見て、配達人はあわあわと深呼吸を促します。
「才能の、片鱗をひしひしと感じさせるくだらなく一番どうでもいい絵を見つけたよ、どうしても見たければ一番どうでもいいきみにみせてやらないこともない……」
「ああ、ジュリアーノ様ったら相変わらず……」
「……キッキッキ」
「え?」
ロッコは怒るよりも、笑いがこみ上げてきました。そして、ジュリアーノに一泡吹かせてやろうと配達人を見やります。配達人は、可哀想にびくびく怯えっぱなし。
ロッコはかばんから宝箱を取り出し、その中身を両手につかめるだけ麻袋に詰め、配達人に渡してやりました。急に大金持ちになってしまった配達人は、もうどうしていいやらわからなくて泣き出したい気持ちです。
「これでジュリアーノのところで使いっ走りをしなくても済むだろう」
「ロッコさん……!」
「屋敷で荷物をまとめるといい、あいつに手紙を押し付けられたらこういうんだ『おや一番どうでもいいジュ……なんとかさん』」
「ぷっ」
「それでもやつが怒るようなら俺からの手紙をちらつかせるといいだろう……中身はもちろん白紙だがな」
ふたりはケラケラ、キッキッキ、と笑い合い、固い握手を交わしました。
「グラッツェ、ロッコさん……これで、故郷で妻と暮らせます」
「そうしろ……あ、ひとつだけ」
「なんなりと」
「いつでもいい、おまえの故郷の花を、花束一つ分送ってくれ」
「わかりました!」
元・配達人は帽子を脱ぎ、ロッコにペコリと頭を下げました。
配達人がいつでもここをわかったのも、ロッコのかばんのような不思議のせいでしょう。親友の再来と新しい友に、それからジュリアーノに一枚食わせてやったことに、ロッコはキッキッキ!と笑い、ワインのボトルを掲げました。
「サルーテ!!」
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