第5話 なんだか人気者っぽい?

 「はぁ、行きたくねえ……」


 朝からとぼとぼと道を歩く。

 昨日までとは打って変わって足取りは重い。


「フクマロが恋しい」


 まだ家を出て三十分ほどしか経っていないのに、もう家でお留守番しているモフモフが恋しくなってしまった。

 しつけはしてきたので留守番に関しては問題ないだろうけど、俺の方がダメージがでかい。


 今日は月曜日。

 社畜の俺には日曜しか休みは無いのだ。

 それすら無い週も多々あるけど。


「……」

 

 昨日は楽しかったなあ。

 フクマロと遊んで、買い物に行って、フクマロが人気者になって。


 時間は遅かったので、あれからは配信やその他もろもろのアカウントを作っただけ。

 今日以降、手をつけられたら良いなと思う。


 そうして歩いていると、


「ひそひそ」

「ざわざわ」


「?」


 なんだか妙に視線を浴びてる気がする。


「だよねだよね」

「声掛けてみる?」

「違ってたらどうするの。ワンちゃんいないし!」


 聞こえるようで聞こえないので、俺は気にせず歩くことにした。


 まあいいか。

 俺はただ今日も会社に行くだけ。

 今日の帰りは何時になるだろうか。


「やっぱりそうだよね!」

「フクマロちゃんのテイマーさんだよね!」

「サインもらえばよかったー!」


 どんよりしていた俺は気にする余裕がなかった。

 




「おはようございます」


 出社して何一つ変わらぬ挨拶をする。

 だけど、今日は社内の反応が違った。


「お!」

「来ましたよ!」

低目野ひくめのさん!」


「え?」


 いつもは事務的な挨拶を返されるだけのはずが、社員の方々は席を立ってこちらに向かってきた。


「「「わー!」」」


「え、ええええっ!?」


 普段、仕事関連のコミュニケーションしか取らない社員の人々。

 仲が悪いわけではなく、みんな疲れているからその会話しかしないだけ。


 でも今日は、なんだかみんな活気づいている。

 顔が明るいもん。


 そうして、


「フクマロちゃん見ましたよ!」


 一人の女性社員がそう言うと、みんなが続いた。


「可愛いですよねー!」

「低目野さんもいい顔されてましたよ!」

「今日は連れてこられてないんですか!」


「ちょ、ちょっと! うわっ!」


 急な質問責め。

 ほとんど話したことが無い社員さん達も、今日はお構いなしだ。


 昨日のSNSではフクマロがバズっていた。

 そうか、社員さん達もその話題を知ってこんな風になっているのか。


 俺はかろうじて最後の質問に答えた。


「会社に連れてくるのはさすがにと思いまして」


「そうですよね」

「仕方ないですよね」

「でも残念です!」


 寄ってきたのは女性の社員さんが多い。

 俺も男だ、気分はかなり良かった。


 だけど、そうして珍しく社内がにぎわっているところに嫌な奴・・・が登場した。


「なんだお前ら、騒がしいぞ」


 社長だ。

 相変わらずワックスで固めてハゲを隠し、その目はいつもに増してギラギラしているように見える。


「ではこれで」

「私も」

「後でまたお話ししましょっ」


 途端、みんなは小声でそう言って戻っていく。

 社長に絡まれると面倒だからだ。


 この会社がブラックなのは、社長が原因といっていい。

 自分は仕事をしないのに、社員には仕事を押し付け続け、少しでも気に入らない事があれば怒鳴り散らかす。


「……」


 今日も地獄が始まってしまうのか、とため息を隠して俺も席につこうとした。

 そんな時、ふいに社長から声を掛けられる。


「低目野。ちょっとこっちにこい」

「え? は、はい!」


 社内では業績が平均より低めの俺。

 声を掛けられる事はほとんど無いんだけど、今日は珍しいな。

 そう疑問に思っていると、社長はストレートに言い放った。


「お前はもう来なくていい」

「えっ」


 俺は耳を疑った。

 唐突に告げられた宣告。

 なんだその追放モノみたいな言い草は。


「どういうことですか、社長!」


 俺はほとんど条件反射的に聞き返す。

 

 この会社に愛もなければ未練もない。

 それでも、あまりに理不尽な物言いに理由ぐらいは聞きたくなった。


 だが、それがよくなかったらしい。


「自分で分からないのか! この無能が!」

「わ、分かりません」

「まったくこれだからひらは」


 社長はわざとらしく溜息をつき、再度口を開く。


「あのペットはなんだ!」

「ペットってもしかして……」


 そう言われて思い当たるのは一つ。

 

「フクマロのことですか? 白い小犬の」

「そうだ! あのけがらわしい犬だ!」


 汚らわしいって、そんな言い方ないだろう。

 俺はむっとするが、なんとか抑える。


「それにお前、配信を始めると言っていたな? うちは副業禁止だぞ!」

「え。いえ、そんなはずは……」


 それは嘘だ。

 ブラック過ぎてみんな副業をできる余裕がないだけで、副業自体は禁止されていないはず。

 昨日の時点でしっかり調べたんだ。


「社長の私がダメだと言うならダメだ!」

「そんな」


 じゃあ俺の配信者になる夢は。

 フクマロのことも、副業のことも、あまりに理不尽な物言いに呆然ぼうぜんとしてしまう。


「社長の嫉妬しっとでしょ」

「嫉妬じゃないか」

「ああ、きっとそうだ」


 ひそひそと話す社員の言葉が聞こえてきた。


 そういうことか。

 社長が先月提案したSNS事業が大失敗したのに、俺がひょんなことでバズって嫉妬しっとしているのかもしれない。


 社長が権限で無理やり押し通した事業。

 それも結局すぐに放り投げ、失敗したら社員に責任を押し付け、先月の社内は雰囲気が最悪だった。


「まったく。これだからうちの社員どもは──」

「……」

 

 こうなってしまっては、怒りを抑えるのを待つしかない。

 それは誰もが認識している暗黙の了解。


 社内はすっかり静まり返っていた。


「とにかくそういうことだ。お前はもう来るな!」


 めちゃくちゃだ。

 大体、給料や俺持ちの仕事はどうするんだ。


 そうして、俺が中々返事をできないでいた時、


「やってるかな」

「!」


 オフィスに、優しそうな顔とふくよかな体型をした白髪の方が姿を現した。

 社員は一斉に立ち上がって挨拶をする。


「「「おはようございます!」」」

「ほっほ。元気があってよろしい」


 オフィスに顔を出したのは『安東あんどう会長』。

 滅多に見せない姿を前に、社員も驚く。


 うちの会社では、会長は社長以上に権力を持つ。

 つまり、安東会長は社長の上司にあたるのだ。


「久しぶりですね。元気でやってますか」

「あ、あ、安東会長! これはこれは、ご無沙汰しております!」


 そんなトップの登場に、社長も急いで駆け寄る。

 いや、り寄る。

 手のコネコネとか、もう擦り寄る人のそれだ。


「ほっほ。君も相変わらず元気みたいですね」

「いえいえいえ! 私なんて、そんなそんな!」


 さっきまで俺に怒鳴り散らかしていた社長。

 そんな社長がこれでもかというほどに下からだ。


「「「……」」」


 対して、社内は静まったまま。

 みんなの思いは一つだろう。


 調子の良い奴。


 あからさまな態度の変化にイラつきを覚えているだろう。

 

「ところで」

「はい! なんでございましょう!」


 ニッコニコ顔の社長。

 普段怒るかふんぞり返る姿しか見ていない俺からすると、寒気がした。


 だけど、社長の思っていた展開にはならない。


「さっきの怒鳴り声は何でしょう」

「……!」


 安東会長が切り出した。


「今日はたまたまここに用がありましてね。こっそり聞いていたのですが」

「……は、はあ」

「私は副業を禁止した覚えはありません。むしろ業務に支障が出ないのであれば、可能性を広げるために推奨していました。今は探索者や配信者という道もありますし、ますますそういう時代ですからね」


 社員達は目を見開いた。


 俺もこの先が気になってしょうがない。

 いいですね、もっとやっちゃってください!

 

 詰まった社長はなんとか言葉を絞り出す。


「こ、これには、深い理由がありまして……」

「ほう。部下を理不尽に怒鳴り散らかすのに深い理由が必要だと」

「……ぐっ」


 安東会長は全てを聞いていた。

 優しい声には変わらないのに、淡々と社長を突き詰めていく。

 その様はスカっとするようで、同時に会長の恐ろしさも感じる。


 だがやがて、社長が本性を現した。


「こいつが! この使えないボンクラが、私に口応えしたんです! だから私は熱意ある指導を行ったんですよ!」


 社長は俺を指差して声を上げる。

 何が「熱意ある指導」なんだ。 

 ただ嫉妬して、ただ怒っていただけじゃないか。


「会長なら分かってくださいますよね! 私がかつてどれだけ働いていたか!」

「ふむ。それは確かにそうですね。昔の君は目を見張るものがあった」

「でしたら!」


 会長と社長は、昔から上司と部下と聞く。

 立場は違えど、互いに過去を知るのだろう。


「でも君は何かを勘違いしているようだ」

「……へ?」


 社長の顔が一気に青ざめる。


「ちょっとこっちにきなさい」

「え、あの、会長……一体何を」

「いいから」

「ひぃっ!」


 会長は社長を引っ張って行く。

 そうして、裏で社長の声が響いた。


「うあああああっ!」


「「「!?」」」


 これには俺たち社員も全員びっくり。

 やがて、お二方が出て来たかと思えば、


「ブルブル……」


 社長はその後ろで芋虫みたいに縮こまっている。

 本当に怒らせちゃいけない人は会長だったか……。


 そして、会長が頭を下げた。


「みなさん。本当にすまなかった」


 これには社員も一斉に急いで対応した。


「か、会長!」

「頭を上げてください!」


 それでも会長は頭を上げず、謝罪を続ける。


「いえ、彼がああなってしまったのは私が面倒を見れなかったせいです。ここは謝罪させてほしい」


 会長は、あの社長の上司とは思えないほどに誠実だった。


「今後の対応は全て私が考えます。もちろん彼の処遇についてもね」

「ひぃっ!」


 会長がチラッと社長を振り返ると、社長は情けない声を上げた。

 そして、会長はこちらを向いた。


「君が低目野君だね」

「は、はい!」

「実は、今日は君に話があって来たんだ」

「えっ、私ですか」


 会長はそう言うと、資料をくださる。

 結構な量がプリントされた資料だ。


「ぜひフクマロ君と、こちらを頼まれてくれないだろうか」


 これは、俺の配信業への決意に大きく左右するものとなる。

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