【最終話】未来

 改めて『星降る夜の中』と桐谷の手紙を見つめて、心臓の動きが速くなるのを感じた。

 七年の間に麻痺していた感覚が、どくどくと蘇ってきているのを実感する。

 長年気になっていた答えが今まさに手の中にあると思うと、ただ歩いているだけで意識が遠のいていく。

 今まで手に入れたくて仕方がなかったのに、本当にそれに手が届いたら、自分はどうなってしまうのか。

 期待と不安がぐるぐると身体を駆け巡っていた。

 見たいような見たくないような。今まで自分が追いかけてきたものは、本当は大した価値のないものだったら……。

 僕はうろうろと校舎を歩き回っていた。

 握っていた手紙は、僕の冷や汗でしわができてしまっている。

 いつまでたっても、体をめぐる血はスピードを緩めようとはしなかった。

 何度、同じ場所を通り過ぎただろう。

 気づいたら段差がなくなり、階段を登り切っていた。

 顔を上げるとそこは、昔よく訪れていた屋上の入り口前だった。

 生徒たちの喧騒が遠ざかる。あんなに暴れていた心臓が主張をやめるように、すーっと落ち着いていった。

 僕は階段の最上段に腰を下ろし、持っていた本と手紙を見比べ始めた。

 埃っぽいにおいが、中学生だった僕らのことを思い起こさせる。

 僕は一瞬だけ、中学生だった和斗にもどった。



 『これを読んでいるということは、暗号の解読に成功したってことですよね。

 少しは楽しんでもらえたかな。

 告白のお返事をする前に、少し昔の話をさせてください。

 告白の時、和斗くんは「ポスターのおかげで」私と出会うことができたと言ってくれましたね。

 実は私も、一年のころから上松くんが図書室に来ていたことは気づいていました。

 あなたは毎日たくさんの本を借りて、すぐ読み終えて返却していたので、すごい人がいるもんだと私は毎日とても驚いていたの。

 あるとき私は、あなたの借りる本には規則性があることに気がつきました。

 それは、主人公がヒーローとなり活躍し悪を倒すような、いわゆる王道の物語だということでした。』


 手紙の内容は驚きの連続だった。

 桐谷は、僕が思っていたよりもよっぽど色んな事に気が付いていたらしい。

 僕が本の隙間から桐谷を見ていたことも、かおりとの結託のことも、ほとんどがバレていた。

 今思うと自分の行動は分かりやすかったのかもしれない。

 なにより驚いたのは僕が『星降る夜の中』を借りるまえから、彼女は僕を知っていたということだ。

 知っていたと分かったからこそ、手紙の途中に『私も好きでした』という単語が出てきたとき、解読を間違えたかなと何度も読み返した。

 でも、今はまだ付き合えない、とはっきり書かれていた。

 僕はこれを当時の僕が読まなくてよかったと心の底から思う。この手紙から、僕に今までと態度を変えてほしくないという想いが伝わってきた。当時の僕にそれは難しかっただろう。

 ヒーローについて書かれていたことで、僕はあの頃の自分の胸のうちを思い出していた。

 あの頃は自分のダメなところばかりが見えて、自信が持てなかった。

 僕はあの頃、結局ヒーローにはなれなかったのだ。

 しかし、一つ一つなにかを積み重ねれば、こんな僕でも少しは変われるのだ。

 あの頃はダメだった僕でも、今なら一歩を踏み出す力がある。

 七年経った今ここに来たことで、自分が少しずつ変われていることを実感できた。

 手紙の最後は『和斗くんがこの手紙を解読できますように』と書かれて終わっていた。


 僕はゆっくりと本を閉じた。

 こうして僕の七年越しの宿題が終わった。

 すっきりしたような、少し寂しいような切ない気持ちになる。

 過去ばかりを振り返ってきたが、これからは前を見つめて生きていかねばならない。怖かったが、また新しい出会いがあると期待すれば、恐怖はすぐになくなった。

 まだまだ先は長い。出会いに別れ、喧嘩や仲違いもあるだろう。

 でもこうして思い返したときに、大変だったけどいい思い出だったといえるように、今を精一杯大切にしよう。そう僕は思った。


『まだ隠している事があるんじゃない?』


 ふと鈴木くんの言葉がよみがえった。

 鈴木くんにはかなわないな。僕は苦笑する。

 久しぶりにみんなに会いたいと思った。

 今、安岡やかおりはどうしているのだろう。鈴木くんも変わらず元気でやっているだろうか。

 僕はスマホを取り出し、アドレス帳を開く。卒業してから登録人数は増えたけど、中学の友達は変わらずあの四人だけだった。

 桐谷の名前をタップする。

 会いたかった。

 みんなで予定を合わせて、まるっとに行くのもいいかもしれない。連絡がつかなくても、鈴木くんがなんとかしてくれる、そんな気がした。

 何回目かの呼び出し音が鳴るが、出ることはなかった。

 諦めて通話を切る。きっと番号を変えてしまったのかもしれない。

 僕は手紙を封に戻し、その場において立ち上がった。

「ありがとう」

 そうつぶやき、上がってきた階段をゆっくりと下り始めた。



「あ、先生、そんなところにいたの? 探したんだよ!」

 生徒が通る廊下にでて日常に戻る。そこで僕の前に千景が現れた。

「宮本先生が勝手に本を持ち出すなって言うから、その本返してもらおうと思ってさ」

 千景は僕の右手にかかえられている本を指差しながら言った。

 そういえば無断で拝借していたことを思い出した。

「それでそれで?」

「なにが?」

「手紙だよ、手紙! 彼女からなんて?」

 千景の緩んだ顔を見て、既に内容を読んだのではないかと思ったが、あえて何も言わないことにした。

 だって桐谷たちとの思い出は僕だけのものだから。

 これからそれを作り上げていく千景たちには、昔のことよりも、これからのことを彼女たちなりに作り上げてほしいと思ったのだ。

「まあ、想像に任せるよ」

 千景はキャーと歓声を上げた。口元を手で隠しながら目をキラキラさせている。

 若いなあ。僕は千景をみてまぶしくおもう。

 彼女は身体をくるりと回転させると、図書室に向かって走り出した。

「先生、早く! はるかも聞きたがってるんだから!」

「誰も話すなんて言ってねーぞ!」

 千景の背中に向かって言葉を投げるが、彼女は一度手招きしただけで、そのまま走っていってしまう。

「転ぶなよー!」

 やれやれとその後を追いかけようとしたとき、ポケットに入れていたスマホが振動した。

 液晶に移った名前を見て、急いで耳に当てる。


『和斗くん?』


 忘れもしない桐谷の声だった。

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図書室の日課 なぬーく @nanook_sk

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