第二十八話 力になりたい

『ref.p/l/c

 11/3/13,23/24/59,25/98/11,12/47/22,1/2/9,6/45/58,17/30/26,……』


 七年の間、何度も確認した。

 大学四年生になった今でも解くことができていない。

 大きなため息をついた。静かな図書室ではよく響いてしまう。

「上松せんせー、どうしたの?」

 千景だった。「どうもしないよ」そう答えて僕は手紙をポケットにしまう。

 話題をそらそうと彼女の方を見た。

 千景は明るい性格だったが、話していていつも何か違和感を感じていた。

 よく注意して会話をしてみると、千景の話題には同級生の名前が出てこないのだ。

「図書委員の仕事頑張っているみたいだけど、クラスの仲間とは遊んだりしないの?」

「……うちのクラス、あんまり仲良くないから」

 そんなやり取りをすると、たいてい千景は話を逸らすか、どこかへ行ってしまう。

 これはもしかして。そう思いながら僕はなにか因果を感じていた。

 千景はいじめられているのではないか。そう思い始めて、僕は少しずつ周りに探りを入れてみることにした。


 担任や委員会の先生にもそれとなく聞いてみるが、先生たちはあまり情報を持っていないようだった。

 やはり生徒に聞くのが一番早いのだろうが、素直に教えるやつなんているわけがない。「こんな時鈴木くんがいればなあ」なんてぼやきそうになったが、今回はそうはいかない。自力で聞き込みをするしかなかった。

 手始めに、図書室の顔見知りの生徒に聞いてみることにする。いつの時代にも図書室に常連はいるものだ。

「ねえ、そこのきみ……」

 人見知りをする生徒が多いのか、僕が話しかけると驚いた顔をする生徒ばかりだった。

 始めは警戒されていたが、常連たちにここの本の話をするといたく感心され、すんなりと話してくれた。僕は初めて、今までたくさん本を読んでいてよかったと思った。

 千景について常連たちも詳しくは知らないみたいだった。しかし、ある女子生徒は千景と同じクラスだと言った。

「清水さん、基本的に何でもできちゃうから……」

 この子も本の虫なのだろう、度のきつい丸眼鏡をかけて読書をしていたその子は、千景のことについて話し出した。

 彼女が言うには、千景はとても器用で何においても人より少し優れているそうだ。明るい性格で男子からも人気があり、はじめはクラスの人気者だったという。

「クラスの女の子がある男子に告白したんだけど、千景ちゃんといるほうが楽しいからって断られちゃったみたいで」

「なるほど」

 それが原因で妬みの対象となり、二年生になってからクラスメイトから無視されているという。

 男の子がどう言ったかは分からないが、その女の子は彼が千景のことを好きだから断られたと思ったのだろう。

 一瞬、いじめられていたころの桐谷と千景が重なった。

 いつの時代にもいじめはあるのだなと自覚させられる。

 僕は千景に、桐谷の二の舞になって欲しくなかった。

 自分はなにができるのか。生徒でも先生でもない自分だからこそ、何かできることがあるはずだ。


 正直、いじめの対処法なんてわからなかった。その前に僕は実習の担当の山本先生に聞いてみることにした。

 しかし職員室に人が多いと周りに聞こえてしまうのではと思い、なかなか話し出すことができない。

「今日は頑張ってるわね」

 残って作業していると、山本先生に声をかけられた。

「あの……」

 僕が周りを気にしていると、先生のほうから話を振ってくれた。

「なにか話したいことでもあるのかしら? たぶん指導室が空いているから、そこで話しましょうか」

「ありがとうございます」

 山本先生には、生徒がいじめにあっている可能性があるということを話した。

 名前はあえて言わなかった。名前を出してしまうと大ごとになり、僕の関与できないところへ千景がいってしまうと思ったから。それに名前を出したのが僕だと本人に知られてしまったとき、千景が僕のもとを去ってしまう恐怖もあった。

 僕だからこそ千景に寄り添うことができるはずだと思っていた。

「なるほどね……」

 山本先生は考えるように口元に手を当てた。

「あなたは実習生なんだから無責任な行動をしないで、と言ってしまえばそれまでだけど、私はあなたがよく考えて行動しているように見えるから、無理に生徒の名前を聞くつもりはないわ」

 腕組みをして険しい表情を作った先生は話をつづけた。

「ただし、条件が二つ。あなたがどうやってその子を救うつもりなのかをきちんと私に話すこと。そして、あなたは四週間でここを去る人間なのだから、その間に解決できなかった場合はちゃんとどの子なのか教えること。これが守れるなら私は何も言わないわ」

 僕が黙ってうなずくと、先生の表情がすこし和らいだ。

「あなたの判断は正しいけれど、周りの大人のことも少しは頼りなさいね」

 僕は苦笑いをして、すみません、と口にした。


 いじめを認識してから数日後、千景が図書室に来ない日が続いた。

 そのうちの一日は学校を休んだらしい。

 実習でそのクラスの授業を見学する機会があったため、千景がいないことで休みだと気づいた。

「三日も図書室に来ないなんて珍しいね」

 千景が図書室にやってきた日、それとなく聞いてみた。

「うん、ちょっと……」

 無理に聞かないほうがいいか。何も聞かず黙っていると千景がポツリと話し出した。

「先生って中学生のころ、好きな人いた?」

 いつもの茶化してくるような話し方だったら答えなかっただろうが、今日の千景は真剣な目をしていた。

「そりゃあ、まあ……いたけど」

 千景がなにか話そうとしてくれたことは嬉しいが、なんだか気恥ずかしい。

「その人のこと、どれくらい好きだった?」

「好きを言い表すって難しいな」

 僕が真面目に考えていると、千景がプッと吹きだした。

「そんな真面目に考えなくてもいいのに」

「聞いたのはそっちだろうが」

 少しムッとしたが、久しぶりに千景が楽しそうに笑っているのが見られたので許すことにした。

「好きってさ、なんなんだろう。友情より大切なものなのかな」

 いじめの原因になった女の子のことを言っているのだろうか。千景は人気者だったと聞いたが、いじめを行った女の子と千景は仲が良かったのかもしれない。

「どうしてそう思うんだ?」

「だって、人って愛だの恋だのですぐ裏切るじゃない。ふたを開ければドロドロでさ。友情だったらもっと清く熱いものとして描かれるのに」

 千景は目を細めた。

「恋か友情か、だったら先生はどっちが正解だと思う?」

「難しい質問だな……」

 桐谷だけでなく、安岡やかおりの顔が浮かんだ。

 僕も安岡のことを妬ましく思っていたこともあった。でも今思えばとてもいいやつだった。最初見た目だけで敬遠していた自分は愚かだったと思う。

「今はどっちを選んでもいいんじゃないか。どっちが正解かなんて後になってみないと分からないし、失敗してもやり直せるだろ。一つ言えるのは、中学生なんだし気にしすぎないことじゃないかと思う」

 あの時の僕とかおりは、どうだっただろう。

「本気になって色々とぶつかってみるのも大事なんだよ。もし裏切られたとしても、また別の繋がりをもてばいい。まだまだ時間はたくさんあるんだから」

「……ふーん」

 千景は口を結んで、僕の言葉を自分なりに消化しようとしているようだった。

「ちなみに、先生はその人と付き合えたの?」

「え? いや、それは……」

 結局僕は、桐谷の手紙を解読することができていない。

 『図書室で読んでみて』

 手紙に書かれた最後の言葉を思い出す。

 どうしても諦められない。だから教育実習を利用してこうしてまたみすずが丘中学校にやってきたのだ。

 千景にそれを話すことで、改めて七年も経っていることをひしひしと実感した。

「先生の好きな人、面白いことするんだね」

 桐谷を想像して、僕は苦笑いをする。

「清水には好きな人いないの?」

「私はほら、八方美人だから」

 そんな言葉よく知ってるな。そう思いながら、いじめに関して千景自身、心当たりがあるようだ。

「でも、大人になったら八方美人くらいの技術がないとやっていけないぞ。嫌いな人とも一緒に仕事しなくちゃいけないし、年上の人たちとも仲良くしないといけないし。それができなきゃ、俺みたいに図書室に引きこもることになるからな!」

 僕の言葉に千景はケラケラとわらうと、少し緊張がほぐれたようだ。瞳にたまっていた涙をぬぐっていた。

「それに、清水のことを気にしている子だって、意外と身近にいると思うぞ」

 こっそりと千景に耳打ちをする。

 なんのこと? といった風に千景は首をかしげたが、僕はちらちらとこちらを見ている視線があることを自覚していた。

 以前千景のことをきいた、常連の女の子である。

 彼女もよく図書室に来ているようで、棚から本を選んでいる様子をときどき見かけた。

 彼女と千景なら仲良くなれるのではないかと僕は感じていた。

 千景も彼女の視線に気づいたようだ。

「なんか、先生のおかげで元気出た!」

「それはよかった」

 少しでも力になれただろうか。まだ見守る必要はあるが、彼女のわだかまりをちょっとでも解けた気がする。

「先生の好きな人が作った暗号って、まだ持ってるの?」

「ああ、あるけど」

 先ほどポケットに入れたそれを取り出した。

「じゃあ、それ、解読するの手伝いたい!」

「え?」

「元気くれたお礼に手伝うって言ってるの! 調べるなら人数が多いほうがいいでしょう?」

 千景はにやりと笑って、僕が手にしていた暗号の手紙を自分のノートに写し始めた。

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