第二十七話 桐谷からの手紙
「
名前を呼ばれて顔を上げた。
「なにかあった? ぼーっとしちゃって」
僕のことを呼んだのは、実習中僕の担当教師である山本先生だった。
周りを見て自分が職員室にいることを思い出す。桐谷に告白してからもう七年が経過していた。
あの頃とは違い、自分の見た目も状況も変わった。身長は伸びたし、今はスーツを着ている。
もう生徒ではない。職員側の人間になったのだ。
目の前のパソコンに視線を戻す。
昔のことを思い出して手が止まっていた。実習中なのだからしっかりしなければ。
「もうすぐ模擬授業だから緊張してるのかしら。頑張ってね」
「ありがとうございます」
ちょうど昼休みのチャイムが鳴ったので山本先生は席を立った。周りの先生たちも昼食をとったり訪ねてきた生徒の相手をしたりしている。
僕も買っておいたパンをさっさと食べ終え、校舎の中を歩き回ることにする。
たまに見知った生徒が声をかけてくるので雑談をしたり、廊下を走るなと注意をしたりしていた。
先生たちのほとんどは、昼休みは職員室に籠っている。
だけど僕はいつも四階に足を運んでいた。
もちろん目的は図書室だ。
ゆっくりと扉を開けると、受付のカウンターには髪の長い女の子の姿があった。
ドキリとして一瞬立ち止まる。
桐谷と同じサラサラの長い黒髪。
桐谷、と呼ぶ前に彼女は顔を上げた。
「あ、上松先生!」
こちらを見たのは、八歳年下の女の子だった。
カウンターに立つ姿は桐谷とうり二つだ。
いるはずがないと分かっていても、毎回期待してしまう。
僕は内心、自分の錯覚に苦笑いをしていた。
「先生、また来たの? 図書室好き過ぎかよ!!」
彼女の名前は、
千景は中学二年生の女の子らしい無邪気な笑顔を僕にみせる。図書室にいる他の生徒や先生とも仲がよく、桐谷とは正反対だった。
「先生、見て! 今進路希望の紙書いてるんだけど、全然埋まらないんだけど! どうしよっ!」
ケラケラと笑いながら手元にある進路希望票を僕に見せてくる。
大きな声で話しかけてくる千景に、僕は人差し指を自分の口に近付けた。
「声が大きい」
「はあい」
上目づかいで、少し舌をのぞかせる。千景は自分のかわいさを活用するのが上手い。
彼女が大きな声を出すということは、司書教諭の宮本さんはいないらしい。今日は人目を気にせず探せそうだ。
僕はカウンターを離れ、いつものように本棚の間をゆっくり歩いた。そこに並んでいる本を眺めてまわる。
昔自分が読んだ本を手あたり次第探していた。
しばらくすると足音が近づいてくる。千景だった。
「先生のくせにサボりとか、悪い見本だね」
「正式には、まだ先生じゃないけどね」
「なんで『先生』になろうと思ったの?」
進路相談なのか、ただの興味本位なのか、千景は僕の話を聞きたがった。
なぜこの道を選んだのか。
それを聞かれたとき、僕はいつもその場の雰囲気に合わせて、てきとーな嘘を答えてきた。
「なんでだろうね」
「教えるのが好きとか、子供が好きとか……?」
千景が思いついたものをいくつか言葉にするが、それはどれも一緒に教職課程を受けている友人たちが言っていた
自分はなぜここにいるのか。いつもはぐらかしていたが、頭の中には桐谷の姿が浮かんでいた。
「やり残した宿題があってね」
「宿題? 学校の?」
「友人からの」
「ふーん、謎だね」
僕の詮索に飽きた千景は、ポケットからピンクのケータイを取り出した。
今どきの中学生は当たり前のようにケータイを持っている。そのため中学生が好みそうな色や形のデザインが出回っているようだった。
千景も角が丸く、手のひらに収まるサイズのそれに、沢山のキーホルダーをジャラジャラいわせていた。
「それ、ケータイよりキーホルダーのが大きいんじゃないか?」
「え、突っ込むところ、そこ? 学校でケータイ出してるんだよ?」
「まあ、俺も昔持ってきてたし」
「先生もワルだな~」
「いまの子らみたいに、頻繁に連絡なんか来なかったけどな」
実習中、教室の後ろで授業を見学していると、一回の授業で一度はバイブレーションの音が聞こえてくる。誰かがサイレントモードにし忘れているのだ。授業を行っている先生には聞こえていないのか、そのまま授業は続けられる。
なにより、机の下でケータイをいじる生徒が多くいることに僕は驚いた。後ろから見ていると、今の生徒事情がよくわかった。
みんな友達が多いんだなと千景に言うと、なにを思ったのか彼女は黙り込んだ。
宿題というのは、中学生だった当時桐谷から出されたものだった。
卒業式の日、僕ら三年生は小さなブーケと、もらったばかりの卒業証書を手に教室で記念撮影をしていた。
「おっしゃー! これからみんなで打ち上げいこー!」
「高校行っても元気でね。絶対同窓会で集まろうね」
「卒アルにメッセージ書いてー!!」
クラスメイト達はそれぞれ別れを惜しみながら、教室で思い思いの時間を過ごしていた。
僕は自分の席でロッカーに残していた最後の荷物を鞄に入れ終えると、手持ち無沙汰に教室を眺めていた。桐谷は自席に荷物を残し、他クラスの友人のところへ行ってしまったようだ。安岡はノッポやチビに荷物を持たせ、打ち上げに行こうとしている。
「和斗も行くか? 前一緒にカラオケ行ったメンバーがくるぞ」
「うーん、遠慮しとく」
安岡の誘いは嬉しかったが、あのときのカラオケの雰囲気は僕には無理そうだ。
「そっか。じゃあまたな」
「うん、誘ってくれてありがとう。また」
僕たちは片手を上げて、最後のあいさつを交わす。僕と安岡はここで別れた。
人生で安岡のような人種と関わることがあるなんて。彼と本を買いに行った思い出が脳裏によみがえる。
彼と交わした「また」がいつになるか分からなかったが、次誘われるまでには一曲くらい歌えるようになっておこう。安岡たちが教室を去るとき、そう思った。
「あー、よかった。上松くんがあの安岡くんについていくって言ったら、僕はどうしようかと思ったよ」
背後から声をかけてきたのは、お腹の肉がブレザーに収まってない鈴木くんだった。卒業式でテンションが高いのか、なんだかいつもより威勢がいい気がする。
「鈴木くん、卒業おめでとう。どうしたの?」
「上松くんを打ち上げに誘いに来たのさ! 名付けて『図書室常連の会』! 本当は図書室でお菓子パーティをやりたかったけど今日は閉まってるしね。お店予約したんだ。上松くんも行くだろう?」
「へー、そんなのあるんだ。行こうかな」
「よし、じゃあすぐにでも出発だ!」
「あ、ちょっと待って」
「ん?」
「僕、このあと少し約束があるから、先に行っててくれる?」
僕は今朝来たかおりのメールを思い出していた。
教室で、「卒業おめでとう」と帯のついた花のブローチをつけていると、ポケットに入れている携帯が振動し、かおりからのメールを受信していた。
かおりに呼び出されるのは何か月ぶりだろう。
約束の時間になり、階段を上っていつもの屋上入り口前にいくと既に彼女はそこで待っていた。
「遅い」
「時間ピッタリなんだけど……」
変わらずツンとした態度でかおりは僕を迎えた。ここで落ち合うのも今日で最後となる。
「安岡ならグループのみんなと遊びに行ったみたいだよ」
今回は何の用件かを聞こうとすると、かおりから手紙を差し出された。
「これ、渡してって頼まれた」
封筒を受け取り裏を見た。「桐谷礼」と書かれている。
告白して以来、桐谷とはまともの話せていなかった。高校受験もあったためそれにかこつけて僕は図書室に行くこともしなくなっていた。
だからこの手紙はあの時の告白の返事に違いない。それは、僕が一番分かっていた。
「気持ちが顔に出てるわよ」
こわばっている僕の顔を覗き込み、にやにやしながらかおりが言った。
「うるさい」
「いい返事だといいね」
用は済んだからと、かおりは僕を置いてそのまま階段を下りて行った。
気を遣ってくれたのだろう。その背中にお礼を言った。
かおりを見送り、僕は階段の最上段に腰を掛けた。
もう一度封筒の裏を見て、桐谷の名前を確認する。
今開けてしまっていいのか、これでだめだったらどうしようという気持ちが体中をめぐり、全身が鼓動しているかのようにドキドキが体中に響いた。
意を決して封を切る。ハサミは持っていないので、指で慎重に
中をのぞくと、手紙が二枚入っていた。
『和斗くんへ
この間は、気持ちを伝えてくれてありがとう。
二枚目に私の気持ちを
和斗くんなら解読できるって信じてる』
書かれている通り、二枚目の手紙を封筒から取り出す。
そこには不可解な文字列が並んでいた。
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