第二十六話 告げる言葉
学園祭当日は、カラッとした秋晴れの天気だった。
「急いで! 早く行かないと場所なくなっちゃう!」
開会式を間近で見ようと、多くの生徒が慌てて廊下を駆けていく。
初日の今日は、昇降口前で開会式が行われることになっていた。
そんな生徒たちを横目に、僕はすっきりとしない気持ちをかかえていた。
周りでわいわいとはしゃいでいる生徒たちの中に入っていく気分にはなれない。
僕は二階の昇降口の見える窓から、開会式を見下ろことにした。
『それではこれより、学園祭を開会したいと思います!』
生徒会長の挨拶により学園祭が始まった。校内に歓喜の声が響き渡る。
この中のどこかに桐谷もいるのだろうか。
僕は視界に映る生徒に目を凝らし、桐谷のことを捜していた。
全体を見渡していると同じ階のちょっと離れた先の窓に、安岡がいた。
窓枠に頬杖をつき、けだるそうな顔で視線を落としている。ノッポやチビとは一緒ではないらしい。
少し迷ったが、僕は安岡の近くへ行き、声をかけた。
「……元気?」
「普通」
安岡はこちらに見向きもしなかった。
なにを考えているのか、ボーッと生徒たちを眺めている。
「あのさ、言っておきたいことがあるんだけど……」
僕がもごもごと話し出すと、安岡はとくに驚いた様子もなく切り返してきた。
「ああ、桐谷のことか?」
「えっ?」
「気にしなくていいぜ。俺、もう桐谷のこと追いかけるつもりねーし。お前には言えてなかったんだけど、実は俺、結構前に振られてんだ」
よく聞くと、僕から安岡にその話を持ちかけるまでは、自分から桐谷の話をするなとかおりに止められていたらしい。
「そうだったんだ……」
「『自分から話してきたら、和斗が成長した証だー』とか言ってたかな、あいつ。よくわかんねーけど。でも俺、こないだまで引きずってたから、正直まだ細かい話は聞かないでくれよな。やっと吹っ切れたところなんだから」
安岡は苦笑いする。
僕は安岡の話を聞いて、かおりから「いい加減ケリをつけなさい」とお尻を叩かれた気分だった。
かおりに宣言したくせに半年も経っているのだから仕方ないかもしれない。
「あ、それでいうと、もう一つ報告がある」
僕がなんだろうと安岡を見つめていると、彼は昇降口に集まっている生徒の中を指差した。
「かおりと付き合うことにした」
彼の指差した先には、昇降口前でかおりが友人たちと楽しそうにはしゃいでいる姿があった。
「そっか。そうなんだ……!」
「だから和斗、俺のことは気にするなよ」
彼はかおりから今までのことをいろいろと聞いたのだろう。安岡がこんな言い方をするのにも納得ができた。
「あ、学園祭はかおりと回る予定だから、邪魔すんじゃねーぞ。それと……」
安岡はおもむろにケータイを取り出すと、何かを打ち込んだ。
「今桐谷の連絡先を送っておいたから。それでどーにか彼女を捕まえろ」
ブレザーのポケットに入れていた携帯が振動する。
「安岡……」
僕がお礼を言おうとすると、彼はまた指を差した。今回示した先には、校舎の窓から顔を出した女子生徒たちがいる。
「まあ、俺だったらケータイなんか使わずとも見つけられるけどな」
四階から顔を出しているのは、まぎれもなく桐谷だった。
「早く行ってこい!」
安岡に背中を押され、僕は走り出した。
安岡は強がっていたが、僕は安岡の気持ちには気づかないふりをした。
桐谷のことをすぐに見つけられるなんて、よっぽど好きで、いまだに引きずっているに違いなかった。
僕は安岡の想いを感じながら、一生懸命に足を動かした。
四階なんてすぐだろうと思っていたのに、開会式から帰ってくる生徒に邪魔をされ、なかなかたどり着かない。
「いってーな!」
「ごめん!」
そんなやりとりを何度かしたのち、僕は四階にたどり着くが、彼女の姿は見あたらなかった。
勢いに任せて、近くにいた図書委員を引き留めた。
「あの、桐谷さんは?」
「あれ、さっきまではいたんだけど……、どこか行っちゃったみたいですね。昼の当番の時間には戻ってくると思いますよ」
「ありがとう!」
僕は夢中で走り出した。
今言わなきゃ、ずっと言えないままになりそうだった。
僕は必死に走った。
校舎内はクラスごとの企画が始まり、おばけ屋敷や飲食系のクラスに行列ができ始めた。一般客も徐々に増えてきている。
人とぶつかる頻度があがり、さすがに僕も足を止めざるをえなかった。
行き当たった廊下で左右を見渡すが、人が多すぎてすれ違う一人ひとりを桐谷かどうかを判別するのも難しい。
僕はひとまず、大きく深呼吸をした。
闇雲に探し回っているだけでは駄目だ。作戦をたてないと。
僕は携帯電話を取り出し、先ほど安岡に教えてもらった桐谷の連絡先に電話をかけてみた。
あの安岡でもケータイが頼りにならなかったのだから、僕に限って出てくれるとも思えなかった。
だけど、可能性はすべて試しておくべきだと思った。
何回かの呼び出し音が鳴るが、出る気配はない。
一度電話を切り、僕はクラスの出し物の担当時間を確認した。
十一時には戻らなければならない。今は十時五〇分。桐谷を探せるのもあと十分もなかった。
僕の力では残りの時間で桐谷を見つけられる自信が無かった。僕は携帯電話を開き、ある人の名前を検索する。
電話帳に載っている電話番号に僕は電話をかけた。
自分の意識のすべてがケータイを当てた右耳に集まる。
大勢の人が僕の前を通り過ぎるなか、自分の周囲にだけ薄い膜が張られているような感覚を覚えた。
携帯電話から聞こえるコール音だけが、クリアな音として僕に届く。
何度かコールが鳴った後、プツと繋がった音が聞こえた。
『……』
電話の向こうで相手の息遣いを感じるが、お互い言葉を発するタイミングをうかがっていた。
「……あの、出し物の担当時間変わって欲しいんだけど」
『なんで?』
かおりの回答は冷たかった。
僕が黙っていると、彼女はすぐに察したようだった。
『もしかして、桐谷さん関係?』
「……」
『図星ね』
「ごめん……」
『分かりやす過ぎ。嘘ぐらいつきなさいよ』
かおりがため息をついた。
『で、何時からなの?』
「え?」
『あんたの担当時間よ。変わってやるって言ってんの』
「え? いいの?」
『早く教えなさい。変わってやんないわよ』
あわてて時間を伝えると、かおりは「すぐじゃない!!」と怒り気味だった。
電話の奥で「店番!? お化け屋敷行くんじゃねーのかよ!」と安岡の声が聞こえた。
かおりは安岡をなだめているようで「分かったからこっちのことは任せて」と言って一方的に電話を切った。切られる直前にお礼を伝えたが、彼女の耳に届いたかは確認しようがなかった。
時間的余裕ができると、緊張していた肩の力が抜けた気がした。
僕は図書室で彼女を待つことにした。
四階の教室のほとんどは出し物ではなく、荷物置き場になっている。そのため図書室はとても静かだった。
ざわざわしていた心が、徐々に落ち着きを取り戻し始める。
僕はある本を手に取り、カウンターの見えるいつもの席に腰を下ろした。
さすがに常連たちも今日は文化祭を楽しんでいるらしく、今ここにいるのは僕だけだった。
本を読む気にもなれずボーっとしていると、緊張がほぐれたせいなのか、日差しも暖かいことも相まってうとうとしてしまう。
我慢できず、前かがみになって枕代わりの腕に頭をのせた。
夢うつつの状態で、あの本の表紙のような満天の星空を見上げているところを想像していた。
太陽が落ち切った闇の中、太陽の光だけが僕たちを照らしている。
落ちてきそうなほどたくさんの星々が輝く中、数メートル先に星を見上げる彼女の背中が見えた。
どこからか自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
はっと目を覚ますと目の前には、読み返そうと手元に持ってきた『星ふる夜の中』が置かれていた。
身体を起こすと隣には、僕を呼ぶ桐谷が立っていた。
「大丈夫?」
時計を見るとどうやら一時間ほど寝ていたようだ。
「和斗くんが探してたって、図書委員の子に聞いたから……」
さっきまでそこにいた図書委員に感謝した。
「何かあったの?」
桐谷は不思議そうな顔をした。
「話したいことがあるんだ」
僕は周りを見渡し、あらためて誰もいないことを確認した。準備室の奥にも視線を向ける。
「今いる図書委員は、桐谷さんだけ?」
「うん、担当の間は私だけ」
そっか、そう答えて、僕は自分の鼓動が急に早くなるのを感じた。
話したいことがあると言っておきながら、彼女を前にしたとたん言葉が出なくなってしまった。
桐谷の顔をみることができず、机に出した両手ばかりを見つめている。
「……この本、面白いよね」
僕はとっさに、手元に置かれた『星降る夜の中』を話題にした。
「うん、私もこの本好き。破かれちゃったあと、安岡くんと買ってきてくれた時はすごく嬉しかった」
「桐谷さんと話すようになったのは、『星ふる夜の中』、これが始まりだったね」
「うん」
そうだ、これがすべての始まりだった。
この作品があったから安岡と本を買いに行ったし、この作品があったから、桐谷のことを知った。
「最初は全然借りる人がいなかったのに、ポスターのおかげかな」
桐谷は僕の向かい側に座ると、本を手に取りパラパラとページをめくった。
彼女は嬉しそうだった。
「好きな本だったから、和斗くんにも読んでもらいたかったんだ」
僕が顔を上げると、桐谷は照れくさそうに視線をそらす。
穏やかな昼下がり。窓から日差しが入り込み、室内がキラキラと輝く。
彼女の笑顔がなんだかまぶしかった。
「桐谷さん、」
彼女はゆっくりとこちらを見た。今なら言えると思った。
「好きだ」
目の前の彼女は突然のことに驚いたのか、少しだけ目を見開くと何度か瞬きをした。
完全に勢いだった。
しばらくして困ったような、はにかんだ笑顔を見せた。
彼女は言葉を選んでいるのか、口を開けても言葉に詰まり考え直すのを何度か繰り返している。
ダメかもしれない、そう思ったら急に怖くなった。
小心者の僕は唐突に立ち上がり、
「返事はいつでもいいから」
と言って、図書室を出てきてしまった。
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