第二十五話 決意

 僕が立ち入り禁止の柵を越えて階段の先を見上げると、かおりは既に一番上の踊り場で待っていた。

「遅い」

 かおりは持っていた携帯を閉じてこちらを向いた。

「それで、なんの用?」

 かおりは鞄をかかえたまま、早く帰りたそうな雰囲気をまとっていた。

 僕は勇気を振り絞り、かおりに言った。

「もう、邪魔するのは止めよう」

 思ってもいなかった発言に、かおりは一瞬顔をゆがめた。

「あんた、なに言ってるの? それどういう意味か分かってる?」

 僕はかおりから視線を逸らした。

「やっと決心した私に、安岡を諦めろって言うわけ? はぁ? 意味わかんない!」

 感情が爆発したように次々と言葉が飛んでくる。

 それでも僕は、その流れに逆らうように言い返した。

「わかってる、分かってるよ。でもこのままじゃ、誰も幸せになれない。そんなの、僕は嫌なんだ」

 先ほどまで威勢がよかったかおりは言葉に詰まった。

 かおりだって桐谷や安岡の想いには気づいているだろう。

 僕はたたみかけた。

「かおりだって、このまま安岡を追いかけても振り向いてくれないことぐらい、分かってるんじゃないのか?」

 今度はかおりの方が視線をそらす。

 彼女は血が出そうなくらい、くちびるを強くかみしめていた。

「あんたはそれでいいわけ? 安岡に桐谷さん取られて」

 じろりと僕を見る目は、お前も同じだろと言わんばかりだった。

「いいわけない」

 僕は静かに、でも力強く言った。

「だから僕は僕なりに、桐谷さんに気持ちを伝える。正面から、正々堂々と」

 僕の言葉に、かおりは顔を上げた。

「あんた、正気?」

「うん」

「あの二人の関係を知ってて言ってるの? 桐谷さんが安岡にオーケーしたら、もうおしまいなんだよ?」

「もちろん」

 かおりは何かを言いかけて、大きくため息をついた。

「勝ち目のない勝負なんて、つらいだけだよ」

「僕は今の方がつらい」

 かおりは考え込むように、自分の髪をいじり始めた。

「だから僕なりに、行動を起こしてみるよ」

 納得していないのかもしれないが、僕は言いたいことは言えたと感じていた。

「好きにやってみれば」

 かおりにも後ろめたさや、心苦しさがあったのかもしれない。

 彼女は僕に背を向け、階段を下ってゆく。

「私は協力しないから」

「ありがとう」

 かおりはそれだけ言うと、もう僕を振り返ることはなかった。



 かおりと話してから、半年が経過していた。気づいたら、もう十月で風が肌寒いと感じる季節になっていた。

 最近の生徒たちはなにをしていても浮き足立っており、みすずが丘中学校の学園祭が近いことを実感する。

 明日は長袖のシャツを着てこよう。

 露出した腕をさすりながら、僕はそう思った。

 あれからかおりは安岡につきまとうのをやめたようで、最近は教室以外で顔を合わせることもなくなっていた。

 ここ数ヶ月で何より驚いたのは、かおりが安岡にきちんと告白したことだ。

 以前女子たちが噂していたのは桐谷へのけん制のためにかおりが流したデマだったらしい。

 彼女も正面からぶつかってみることに決めたらしく、鈴木くんから告白の目撃情報をきいた。かおりも安岡もとくに変わった様子はないため、それ以上どうなったのかは知らない。

 荒れていた安岡は、日が経つごとに桐谷を捜さなくなっていた。

 かおりに告白されて頭が冷めたのではないかと僕は考えている。

 しかし桐谷は、安岡はおろか僕たち三人のことを徹底して避けていた。

 放課後、今日も学園祭の準備が行われた。

 僕たちのクラスは喫茶店をやるため、それぞれの仕事を任されていた。僕は装飾担当で教室に飾る風船を膨らます。

 クラスメイトたちと混ざって作業をしていたが、僕はあいかわらず桐谷のことを目で追っていた。

 しかし彼女は、僕たちと目を合わせようとしない。

 むしろなにかと理由をつけては買いだし班についていくこともあり、いつも教室から離れていた。

 桐谷と話がしたかった。

 風船を大きく膨らませながら、どうしたものかと僕は考える。

 安岡にもかおりにも力は借りられない。一人で桐谷に声をかけるしかないのだ。

 僕はいくつか方法を考えて、試してみることにした。

 まずは図書室で待ち伏せをするというものだった。授業が終わってすぐに図書室へ向かう。授業が終了して五分後、図書室の扉の前に僕は立っていた。

 しかし十五分、二十分と待っても、桐谷はやってこない。

 立っているのも疲れるし、パラパラとやってくる常連たちに不審がられるので、中に入ることにした。

 扉をスライドさせると、ふと視界のすみに黒髪がなびいたのが見えた。はっとして顔を上げると、なんと、そこには桐谷がいた。

 相変わらず、桐谷は図書室に来るのが早かった。

 意を決して桐谷に近づくと、彼女もこちらに気がつき、はっとした表情をして奥の準備室へ逃げてしまった。「ごめんなさい」という声が聞こえた気がした。

「待って!」

 僕の声が響くのと、準備室の扉が閉まる音が重なった。

 僕はカウンターに手をついて身を乗り出していた。準備室はカウンターの奥にあるためこれ以上は近づけない。

 カウンターを拳で強くたたく。

 だめだ、これじゃあ安岡と一緒じゃないか。

 別の図書委員や、常連たちが不思議そうに僕のことを見ていた。

「桐谷さんにずいぶん避けられているんだね」

 鈴木くんが後ろから声をかけてきた。

「ずっと前からあんな調子だよ」

 大きく息を吐き出して、ため息をついた。

「そしたら、ケータイで電話してみたらどう?」

 鈴木くんも一緒になって考えてくれる。最近鈴木くんもケータイを持ち始めたようで、自分のをわざわざ見せてくれた。

「桐谷さんの番号は知っているんでしょ?」

 僕が黙っていると、鈴木くんは目を見開いて言った。

「え、まさか知らないの? 一緒に遊びにいったりしたのに?」

 僕は恥ずかしそうに頷いた。

「だから追いかけ回しているんだね……」

「安岡は知っているだろうけど、この状況では聞きづらいし。かおりも知っているかどうか……」

「なるほどねぇ」

 鈴木くんは腕を組んで考え込んでいた。

「じゃあさ、ここはあえて手紙とかでどうかな」

「手紙?」

「うん。少し古いやり方だけど、机の中とか靴箱とかに入れておくんだ」

 僕はその様子を想像して少し恥ずかしくなった。

「形に残るのはなぁ」

「でも他に方法ある?」

 僕は黙ってしまった。

「でもまあ、まだチャンスはあるだろうし、様子をみて決めてみたら?」

「そうだね」

 閉ざされた準備室の扉を見つめながら僕は答えた。

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