第二十四話 僕のキモチ
授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
先生の声だけが流れていた教室に、教科書を閉じる音や生徒たちの話し声が混ざり始める。
僕は固まった身体をほぐすため、大きく伸びをした。視界の隅に誰も座っていない席が映る。
教室を見渡しても桐谷の姿はない。担任いわく、風邪とのことだった。
ここ最近緊張感のあった教室の中の空気が、少しゆるんだように思う。
といっても、安岡は終始窓の外を眺めているし、かおりとも言葉を交わすわけでもない。
二人の行動を怪訝そうに見ていたクラスメイト達も普段通りの様子に戻りつつあった。
安岡の周りには変わらず、他の生徒たちとの間に見えない壁があった。
ざわざわと周りが騒がしいのに、彼の周りだけ音が届いていないような感覚。
近くにいたクラスメイトの女子が僕に話しかけてくる。
「安岡くんってさ、告白されてたってほんと?」
彼女の少し後ろから黄色い歓声が聞こえた。興味津々といった表情の二人の女子が顔をのぞかせている。
女子の色恋沙汰への興味は凄まじい。でも安岡は怖いらしく、話しかけやすそうで安岡と仲がよさそうな僕に声をかけたようだ。
「……知らない。僕なんかより本人に聞いたら?」
えー、という不服な声と共に彼女たちは去っていく。
安岡が誰かに告白されたとか、付き合っているという噂は僕も耳にしていた。
あの後かおりが告白したのか、安岡は誰と付き合っているのか、僕はもう聞かなかった。
これでよかったのだろうか。
桐谷やかおりの悩んでいる姿を見て、僕はどうすべきかわからなくなっていた。
彼らと顔を合わせるのが気まずくて、教室でも図書室でも僕は逃げてばかりいた。安岡に声をかけられそうになっても、なるべく避けて過ごした。
毎日通っていた図書室もめっきり行かなくなり、放課後は家に直帰して本を読み漁る日々。
家に積まれていた未読の本たちも底をつきかけていた。
学校の外は雨が降っている。
誰かが「今日は『まるっと』で遊ぼうぜ」と話しているのが聞こえた。
四人で遊びにいったのが懐かしく思える。
僕はある本を返却するため、久しぶりに図書室へ足を運ぶことにした。
久々にやってきたそこは、以前とまったく変わらなかった。
本のカビの臭いが鼻につんとくる。ふっと肩の力が抜けた。
以前のように大きめの本を取り出そうとして、はっとした。
今日桐谷はいないのだ。
僕はなにから隠れるつもりなのか。特等席に座る必要もない。そのため、僕は少々手持ちぶさただった。
雨なこともあり早く帰ったのか、常連たちはあまり来ていなかった。
どの席も空いていたが、やはりいつもの受付カウンターの見える位置に座ることにした。
本棚から出してきた本を開くが、文章を目で追っても内容が頭に入ってこない。
大きくため息をついていると、背後から声が聞こえた。
「今日は彼らと一緒じゃないんだね」
鈴木くんは僕のとなりに座ると、視線を周囲に向ける。
『彼ら』とは、おそらく安岡や桐谷のことだろう。
「久しぶりだね、鈴木くん」
「僕はいつもここに来ているんだけどね」
安岡と出会ってから自分の生活が変わっていたことを僕は強く実感した。
「何かあったのかい?」
鈴木くんに聞かれて、周りに誰もいないことを確認した僕は、もやもやした胸の内を語り始めた。
自分が桐谷に好意を持っていたこと。図書室で本が破けてしまったとき、安岡と本を買いに行ったこと。その本を渡したとき、安岡が桐谷のことを好きになってしまったこと。
カラオケに連れて行かれて、かおりと手を組むことになったこと。四人で遊びにいったこと。かおりが安岡のことが好きだと言うこと。自分がかおりと手を組んだことで桐谷を追い詰めてしまったこと。
「なるほどなぁ」
鈴木くんはゆっくりとかみしめるように言葉を発した。
「上松くんにとっては三人とも大事な友達なんだね」
これからどうすればいいのか悩んでいる旨を伝えると、彼は口元に手を当てて考え込むしぐさをした。
「でも上松くん、かおりって子の告白が失敗したって知ってるんじゃない?」
僕は思わず鈴木くんの顔を見た。
「僕の情報網もなめられたもんだね」
鈴木くんは得意げにニヤリと笑うと、僕の目を覗きこんで言った。
「まだ隠している事があるんじゃない?」
じっと僕の瞳を見つめた。
「安岡と桐谷さんは、すでに付き合ってるんじゃないかと思う……」
「ほほう!」
鈴木くんは「インプットしたぜ」と言わんばかりの顔で、情報を手に入れた喜びをガッツポーズで表した。彼の喜びっぷりに、僕が困惑していると少し申し訳なさそうに言葉を付けたした。
「ごめん、じつはカマかけただけで本当のところは知らないんだ」
僕はがっくりと肩を落とすも、「カマかけるのも情報屋スキルのうちだぜ」と言う鈴木くんはさすが情報屋だと少し感心してしまった。
鈴木くんは慣れた風に、頭を掻きながら謝ると、僕の話を促した。
「年末に安岡に呼び出されてさ……」
僕は安岡と空き教室で話した内容を伝えた。
あれからもう三か月は経っている。もうとっくに告白の返事はもらっているにちがいない。
安岡が桐谷のことを探さなくなった辺りでそれは感じ取っていた。
安岡が恥ずかしそうに桐谷のことを話す姿が脳裏によみがえった。
彼が輝いて見えたのは日の光のせいだけではなかったように思う。
僕はぼんやりと安岡とのことを思い浮かべていた。
鈴木くんは僕の前でふむふむと頷いている。
「たぶんだけど、安岡くんはまだ桐谷さんから返事をもらってないんじゃないかな」
鈴木くんの言葉に、僕は伏せていた目を上げた。
「……どうして?」
「だって桐谷さんはみんなと仲良くしたいってことでしょう? 安岡くんのことを好意的に見ていたとしても、後藤さんとの関係が悪くなることは望んでないないような気がするよ」
「かおりの気持ちを聞いたから……?」
「可能性はあると思うね」
もしかするとかおりの作戦は的確だったのかもしれない。
鈴木くんは探偵のようにあごに手を当て、うんうんと頭を縦に動かした。
「でもそんなことより、上松くんはどうしたいの?」
「僕?」
「そう」
「上松くんは、本当に桐谷さんのことが好きなの?」
そう聞かれて、僕はなぜかすぐに頷くことができなかった。
僕は本当に桐谷のことが好きなのか?
「上松くんも、自分に素直になった方がいいよ」
鈴木くんは、なんでも知っているよ、と言わんばかりの顔でにっこりと微笑んだ。
「早くしないと、後悔するよ」
鈴木くんの言葉を聞いて、いてもたってもいられなくなった。
僕は立ち上がると、そばに置いてあったスクールバッグを取りあげる。チャックの開いたバッグの中には、以前勝手に持ち出してしまったあの本が入っていた。
「鈴木くん、ありがとう。これ返しておいてくれる?」
僕は『女のキモチ』を手渡すと、鞄のチャックも閉めずに、図書室を飛び出した。
言葉は考えていなかった。
気持ちが先行しており、彼女を捜すことだけに夢中になっていた。
だから、いざ彼女の後ろ姿を見つけたとき、息切れとは関係なく僕は言葉を発することができなかった。
「どうしたの?」
こちらに気がついた彼女が、僕を覗き込む。
「……ちょっと、話したいことがあって」
僕は視線をさまよわせながら、息を整えた。彼女が首をかしげているのが分かる。
「いま時間ある?」
呼吸が落ち着いても、心臓はバクバクと大きな音を立てて、今にも喉から飛び出しそうだった。
「とくに予定はないけど」
「じゃあ、その、少し話があるんだけど……」
言葉が支離滅裂だ。
「じゃあいつものところでいい?」
僕の混乱ぶりに反して、彼女は冷静だった。
「うん、荷物取ってきたら、屋上で」
不思議そうな顔をしたかおりは「わかった」と言って頷いた。
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