第二十二話 かおりの一針

 高校生活最後の年が始まった。

 四月の空は、日差しは暖かかったが風が吹くとまだ肌寒い。

 学校に着くと昇降口の前に新しいクラスが書かれた張り紙がされていた。

 人の頭に埋もれて自分の名前がどこに書かれているのか見つけられない。周りには同じクラスになったことを喜んでいる者や久々の再会に歓喜している者が沢山いた。

 張り紙の前の人だかりが減るのを待っていると、後ろから声をかけられた。

「三年四組だったよ。私と同じ」

 振り返るとダッフルコートを着込んだかおりが立っていた。昇降口は日陰のため、寒そうに手を擦っている。気まずそうに下を向いていた。

「教えてくれてありがとう」

 僕たちは人だかりを抜け、校舎に入った。かおりとまともに話すのは遊びにいったとき以来だった。

 僕には聞きたいことが沢山あったが、彼女はずっと黙ったまま階段を上がっていく。

「私、行動を起こそうと思う」

 かおりが唐突に言葉を発した。意味が分からず聞き返す。

「どういう意味?」

 しかし答えを聞く前に、三年生の教室に着いてしまった。

「よー、お前らも一緒のクラスなんだ?」

 僕が先に中へ入ると、安岡が声をかけてきた。

 まさか安岡がいるとは思っておらず、びっくりする。

 教室に安岡の声しか響いていない異様な空気は一年前にも経験していた。

 だが今回は、新しいクラスメイトたちから「あの安岡と仲がいいとは、アイツは何者なんだ」といった視線を向けられる。助けを求めるように、かおりのほうを振り返るが、彼女は知らん顔で反対側のドアから教室に入っていた。

「久しぶりだね……」

 僕は小声で返事をした。だって安岡のそばにはノッポとチビもいたのだ。

 僕は安岡とは話せるが、このグループに所属しているわけではない。だから子分たちにはきつい目を向けられる。そして安岡はあいかわらず周りから恐れられているため、普通の生徒からも異様な者を見る目を向けられた。

 僕は状況を認識し、ため息をついた。僕の居場所はなくなるばかりだ。

 教室で朝のHRが始まるのを待っていると、驚いたことに桐谷も教室に入ってきた。彼女はこちらに気がつくとにこりと笑ってくれた。


 年度の初日のため、今日は午前中で帰宅となった。

 僕はいつものように図書室へ向かった。廊下を進むと桐谷が前を歩いることに気が付いた。

 彼女と同じタイミングで図書室に行くなんて初めてのことだった。

「桐谷さん」

 声をかけると、彼女はこちらを振り返った。彼女は足をとめて、屈託のない笑顔をみせる。

 新しいクラスについて、彼女はワクワクしているようだった。

「みんな同じクラスなんて運命みたいね」

 そういえば、遊びにいった四人がみな三年四組に集まっている。僕は様々な想いが交錯していることを知っているため、正直なところ複雑な気持ちだった。

 桐谷はそのことを知らないのだろう。

「また遊びに行きたいね」

 彼女は明るく笑いかけてきた。

 僕は同意することができず、目を逸らして笑った。


 桐谷と話しながら歩いていると、図書室の前にかおりが立っていた。

「私、先行くね」

 桐谷はまだ僕がかおりに好意を持っていると思い込んでいるらしく、気を遣ったのか図書室の扉に手をかけた。

「桐谷さんに用があるんだけど」

 かおりは桐谷の手を遮る。

 驚いた様子の桐谷を無視して、かおりは僕にも声をかけた。

「あんたも一緒に来て」

 かおりがこれから何をするのか、僕は不安になる。

 場所を変えるために向かったのは、昨年僕とよく落ち合っていた屋上入口前の踊り場だった。相変わらず扉には鍵がかかっていて、開けようとしてもびくともしない。

「始めに言っておくけど、」

 かおりは唐突に話し出した。

「私と和斗の間には、これっぽっちも恋愛感情なんてないから」

 唐突に始まった話に対し桐谷は一瞬目を丸くしたが、「そうなんだ」とすぐに笑顔に戻った。

「それで私、安岡のことが好きなの」

 かおりは細めた目を桐谷に向けた。じっと反応を窺っている。

「だから桐谷さん、あんまり安岡と仲良くするのやめてくれない?」

 ああ、行動を起こすとはこのことか。

 かおりは桐谷も自分に協力するように言っているのだ。

 桐谷が安岡をどう思っているかわからないが、かおりは自分の存在があることを突き付けた。

 桐谷をけん制するためにかおりは自分の思いを打ち明けたのだ。 

 かおりの算段はいつも予想外だ。そして鋭くて、刺されたら抜きにくい。

 僕はこっそりと桐谷の様子をうかがった。

「そうだったんだ。勘違いしていてごめんね。行動にも気を付けるね」

 申し訳なさそうに桐谷はかおりに謝った。

 桐谷の表情からは、かおりの言動をどう思っているのかは分からなかった。

「じゃあ私、先に戻るね。図書委員あるし」

 桐谷は僕たちの返事も聞かず、階段を下りていった。止める理由もなく、僕とかおりはその背中を見送った。

 桐谷の足音が聞こえなくなると、かおりは肩の力が抜けたようで大きく息を吐き出した。

 僕はかおりに言った。

「こんな展開聞いてないよ」

「言ってないもん」

 かおりは開き直っている。

「これからどうするつもり?」

 四人ともクラスが同じだというのに、僕たちはどうなってしまうのだろう。

「どするもこうするも、安岡は渡さないわ」

 僕は四人のこれからの関係を聞いたつもりだった。

 ちょっとだけ胸が苦しくなる。

 かおりの恋が成功すれば、安岡が桐谷に近づくこともなくなるはずだ。

 だけど誰も幸せになれない気がして、どこか気分が晴れない。

「かおり、それでいいの?」

 僕の問いかけに、かおりは怪訝そうな顔を向けた。

「じゃあほかにどうしろって言うのよ」

 僕はかおりの目を見て、なにも言えなくなってしまった。

 彼女の目には涙が溜まっていた。つらいのは僕だけじゃなかった。

 彼女を慰める力があればと、僕は自分の無力さを恨んだ。

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