第十九話 かおりの隣

 リンクから桐谷と安岡が戻ってくる頃、僕の右肩の痛みもだいぶ落ち着いていた。

 安岡は準備エリアのベンチに座っている僕たちを見つけると、こちらに駆け寄ってきた。

「かおり、今までどこいたんだよ。あんなに滑りたいってはしゃいでたのに」

「うん。ちょっと疲れちゃって、休んでた」

「和斗は肘のケガ、大丈夫か?」

「ありがとう、血は止まったよ」

 安岡なりに心配してくれていたようだ。

 思い出すだけで悔しさと恥ずかしさがまたこみ上げてきそうになる。

 かおりは安岡の後ろに立っている桐谷に近づくと、彼女の手を取って元気に声を上げた。

「次どこ行くー?」

「かおりさん、疲れているみたいだし、少し休まない……?」

 桐谷は近くの休憩スペースを指差した。かおりのテンションがおかしい。桐谷は戸惑った様子でかおりを見た。

「さっき休んだし、大丈夫だよー。つぎ行こう、つぎ!」

 かおりは右手をグーにして、頭上に高くつきだした。桐谷に「同い年なんだし、『さん』付けはやめてよね!」などといって桐谷の腕を引っ張ってゆく。

「元気なのか疲れてるのか、どっちなんだよ……」

 そのやりとりを見て、僕は少し心配になった。


 『まるっと』にやってきて、僕たちは気になった遊びを一通り遊び終えた。

 桐谷とかおりも今日一日遊び倒したことで、以前よりも打ち解けたようだった。

「いや~、さすがに疲れたな」

 安岡は近くにあった施設内のベンチにドカッと腰を下ろした。僕もその横に座る。

「私喉かわいちゃった! 礼ちゃん、飲み物買いにいこー」

「うん!」

 自販機に買いに行く二人の背中に、安岡は「おれの分も~」と声をかけるが、二人は話に夢中で聞こえていないようだった。

 安岡が口を閉じると、よく喋る女子二人がいないせいか、空間が広くなった気がした。

 僕はなにを話そうかと考えていると、となりで安岡は腕を頭上に押し上げ、伸びをした。大きな声といっしょに、あくびが出る。

「今日はありがとな」

 さっきまでの安岡には似つかわしくない感謝の言葉だった。

「なんのこと?」

 僕は分からないふりをした。先ほどのあくびにつられて、僕も口に手をあてる。

「ローラースケートのとき、かおりも和斗もなかなか戻ってこなかっただろ? その、礼とたくさん話せたから……。かおりと礼も仲良くなってくれて安心できたし」

 安岡は恥ずかしいらしく、僕と反対の方ばかり向いていた。

「おれ、近々礼に告白しようと思う」

 心づもりをしていたつもりだったが、安岡から直接その言葉を聞いたとたん、身体の真ん中あたりがズキッと痛んだ。

 僕一人だけの想いではない。かおりのことも気がかりだった。

 僕はハッとして周りを見回した。

 目があった。通路の陰に人の姿が見えたのだ。かおりがこちらを見ていた。彼女は安岡になにが飲みたいか聞きに戻ってきたらしい。

 彼女はお金を握りしめたまま、向こうへ走って消えた。安岡は走っていく足音が聞こえたらしく、不思議そうにこちらを見た。

 彼女の運のなさに、僕はため息しか出なかった。

「僕も喉乾いたから、ちょっと自販機行ってくる」

 荷物を安岡に預け、僕はかおりのあとを追った。

 彼女はなんて報われないんだろう。

 僕は自分以上に、彼女のことが心配だった。


 彼女がいたのは、施設の中でも一番奥にある卓球場の入口前だった。

 昔は人気があったのか、卓球台がたくさん置かれている。しかし今はほとんどの台が空いていて、人影がない。

 入口の扉も年季が入っており、所々黄ばんでいた。

「なんでついてきたの」

 かおりは廊下の隅にある大きなガラス窓の外を眺めている。彼女はこちらに背中を向けていた。

「なんとなく……」

 外はもう暗くなり始めていた。ガラスは室内の光を反射させて、かおりの輪郭がうす黒く映し出されている。

「寒くなるし、そろそろ帰ろう」

「……みんなと先に帰って」

「二人が心配するよ」

「私のことなんて気にしないよ、きっと」

 かおりは外を見たまま、振り返りもしなかった。

「いいから帰ろう」

 僕は少し苛立ちを覚えていた。僕自身、安岡が告白するのは面白くない。こうしている間にも、安岡が行動に踏み切るかも知れないのだ。早く安岡の元に戻らねばならない。

 僕はかおりに近づき、無理にでも連れて帰ろうと、彼女の腕を引っ張った。

 そんなに力を入れたつもりはなかったが、少しよろけた彼女はこちらを向く。

 その顔には先ほどまで強気だった彼女はどこにも見られなかった。

 彼女は涙の溜まった目で僕を見上げた。

「ごめん」

 僕は掴んでいた腕を放した。

 彼女が泣いている理由は、僕が強く引っ張ったせいではないことぐらい分かっていた。だけど、謝らずにはいられなかった。

「とりあえず戻ろう。ここにいてもなにも始まらない」

 今度は彼女の手を取って、僕はゆっくり歩きだした。

 我慢しきれなくなったのか、後ろでかおりが鼻をすする音が聞こえる。

 だけど僕は気づかないふりをして、安岡たちがいるところへかおりを連れていった。

 その日はそのまま解散となった。桐谷は安岡と一緒に待っていた。桐谷は行ったきり戻ってこないかおりを心配していたようだ。しかし、かおりは泣き顔を見られないように予定があると言ってさっさと帰ってしまった。

 

「今日は楽しかったなー」

 建物から出るとき安岡が満足気に言った。今、彼の隣には桐谷がいる。僕はその二人の少し後ろについて歩いた。

 安岡が面白いことを言い、桐谷が楽しそうに笑っている。

 かおりは早く帰って正解だった。このやり取りを見るのは酷だったに違いない。

 まるっとの敷地を出ると、僕は物陰に人がいることに気づいた。

 数メートル歩いたところで、前にいた二人に声をかけた。

「安岡、桐谷さん、先に駅向かっててくれる?」

「どうした?」

「あー、忘れ物したみたいでさ。時間かかると悪いから二人で先に帰っててよ」

「そうか。じゃーまた学校でな」

「うん、学校で」

 安岡と桐谷が行ったことを確認した後、僕は来た道を戻り、まるっとの前で足を止めた。中には入らず、入り口横にある植え込みに向かう。

 そこででうずくまっている人物に僕は声をかけた。

「先に帰ったんじゃなかったの?」

 かおりは抱えた膝から顔を上げると、驚いたように僕を見た。頬には流れた涙の後が残っている。

「あんたこそ帰ったんじゃなかったの」

「帰ろうとして、後藤さんがいるの見えたから」

 かおりは周りを気にして頬をこする。

「安岡と桐谷さんは先に帰ってもらったから大丈夫だよ」

「そう。あんたにしては気が利くじゃない」

 普段だったらムッとしているところだが、今日のことを考えると仕方ないと思えた。

「風邪ひくし、早く帰ろ」

「私はもう少し、ここで風にあたってくわ」

 先ほどの安岡の発言を思い出したのか、かおりの目の縁に涙が溜まるのがわかった。

 僕の気持ちももう、桐谷にはとどかないのかもしれない。

「……もう、諦める?」

「なんでそうなるのよ。諦めるわけないじゃない!」

「じゃあ、どうするの?」

「そんなのわかんない!! 私にばっかり聞かないでよ! あんたこそこのままでいいの? 諦めるつもり!?」

「僕は……」

「ふん。あんただって同じじゃない! ううん、あんたのが私より全然ダメ。告白する勇気も、安岡と戦う度胸もないくせに!」

 かおりは反論するため勢いよく立ち上がった。ずっとしゃがんでいたためか、後ろへ少しよろめく。

「後藤さん!」

 背後にある植え込みの淵にかおりのヒールが引っかかった。体制が崩れ、植え込みへ倒れそうになる。

 僕がとっさに腕をつかみ自分の方へ引き寄せた。

 かおりが体勢を整えたことを確認できたので「大丈夫?」と声をかけた。

「大丈夫よ。少し立ち眩みがしただけ……いたっ」

 ヘリで右足をひねってしまったようだった。腫れてはなさそうだが踏み込むと激痛が走るらしい。

 僕はまるっとの従業員さんを呼んで、応急処置としてかおりの足にシップを張ってもらうようお願いをした。

「ひとまずこれで大丈夫だと思いますが、もし酷くなるようでしたら病院に行ってくださいね」

「すみません。ありがとうございます」

「……ありがとうございます」

 手当てが終わり二人に戻ったところで、僕はかおりの前に背中を向けてしゃがみ込んだ。

 かおりが怪訝そうに言う。

「……なに?」

「なにって、見れば分かるでしょ」

「分からないから聞いてるんだけど」

「それじゃ歩けないでしょ? おんぶするから乗って。安岡には黙っとくし」

「黙っとくとかの問題じゃない!!」

 かおりはまともに立てもしないのに、なかなかいうことを聞こうとしなかった。

 これではいつまでたっても帰れない。

 仕方がないので、僕は無理やりかおりを背中に乗せて歩き出した。

 始めは恥ずかしいだのなんだのと背中で騒いでいたが、遊び疲れもあったのかしばらくするとおとなしく背負われてくれるようになった。

 駅までは徒歩十分くらいの距離だった。しばらく黙って歩いていると、僕の首を抱きしめるようにかおりの腕が回された。

 かおりの呼吸が耳元から聞こえ、背中の温かい体温を意識してしまう。

 急に心臓がドキドキし始めた。

 女の子ってこんなに柔らかいのか……。

 かおりと触れているせいか、背中全体が熱を帯びてくる。

 僕の心臓と呼応するように、かおりの胸もドキドキと鼓動しているのが背中から伝わってきた。

「……あんたさ、私と付き合う?」

「えっ?」

「お互い諦めてさ、それで私たち付き合うの。あんた優しいし、まあナシじゃないかなって……」

「いや、でも……」

 一瞬、今朝見たかおりの楽しそうな笑顔が蘇る。付き合ったらきっと、あの笑顔をいつも見られるのだろう。

 俺が黙ってしまうと、少ししてかおりは冗談っぽく続けた。

「あー、そうだよね。あんた桐谷に一途だし無理だよね。今のナシ! 忘れて!」

 そして駅まであと百メートルほどあったが、かおりは自分で歩くと言い出して背中から降りた。

「無理しないほうがいいよ」

「このぐらいで無理なんか言ってたら、安岡に片思いなんかやってられないわよ」

 肩を貸そうとするが断られる。

 かおりはゆっくりと歩き始めた。

 痛い右足を引きずりながら、少しずつ前へ進む。

 僕はそのペースに合わせて並んで歩く。彼女が転ばないか注意深く見守った。

 無言の時間が流れた。ヘッドライトを点けた車がときどき僕たちの脇を走っていく。

 しばらくして、聞こえるか聞こえないかくらいの声でかおりが言った。

「やっぱり、ちょっと痛いかも」

 足を引きずる音に紛れて、鼻をすするのが聞こえた。

 かおりは足元を見つめているため、表情が読めない。

 隣であがく彼女に僕はなんて声をかければいいのかわからなかった。

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