第十八話 痛みと覚悟

「わたし、ローラースケートしたい!」

「お、いいじゃん! やろうぜ」

 休憩スペースで一服いっぷくしていると、向かい側にあるスケートリンクのような場所がよく見えた。飲み物やお菓子を片付けおえると、まるっとに来慣れている安岡とかおりは、二人で我先にと走り出す。

 置いていかれた僕と桐谷は、かけだしていった二人の俊敏な動きが面白くてくすくすと笑った。

 僕らも受付にいき、ローラー靴を借りることにした。

「今日は安岡がいろいろ無理言ってごめんね」

 準備エリアのベンチで貸出用のローラー靴を履きながら、となりで準備する桐谷に声をかけた。

 せっかく二人なのに、こんな事しか話せない自分が悔しい。

「そんなことないよ。今日は初めてのことばかりだけど、とても楽しい」

 彼女は靴のベルトを締めるため、手元を見つめながら静かに微笑んだ。

「二人とも、早く来いよ!」

 安岡がリンクから手を振ってくる。手を振りかえしてから彼女を見ると、もう準備が終わっているようだった。

「桐谷さん、先に行っていいよ」

 彼女はうなずくと、たどたどしい足取りでリンクに向かった。

 靴紐を締めていると、リンクから桐谷の楽しそうな笑い声が聞こえてきた。

 僕も今日はすごく楽しいんだ。次話すときは、そう伝えようと心に決めた。

 やっとローラー靴を履き終わり、僕が遅れてリンクに向かうと、入れ替わりでかおりが準備エリアに戻って来た。

「あれ、もう終わり?」

 横を歩いていくかおりに話しかけるが、彼女は俯いたままだった。僕の存在など気付いていないかのように奥へと行ってしまう。

 さっきまでのかおりとは少しちがう。気になったが、僕はせっかく履いたローラー靴を使いたくてリンクの中に入った。

 リンクの周りは肩まであるクッションの壁が囲んでおり、グレーの床にはいろんな人がつけたローラー傷がたくさんついていた。

 僕は片足ずつゆっくりと前に動かしながら、ローラーの動きに任せて移動していった。

 思っていたよりも難しい。下手に脚を動かすと、ローラーが止まらなくなって後ろに転ぶ気がした。

 だけど、はやく桐谷と話がしたくて、一緒に今を楽しみたくて、僕はどうにか前に進もうと必死だった。

 周りを見る余裕もなく、なんとか壁にたどり着いた。

 ふちにしがみついて体勢を立てなおし、桐谷の姿を探した。

 リンクにはたくさんの人が滑っていた。親子で滑っている人もいれば、友だちとワイワイはしゃいでいるグループもいる。

 そんな中でも、僕にとって好きな人を見つけるのは造作もなかった。

 顔を上げて数秒で見つけられるくらい、僕は彼女のことをいつも見ていた。

 彼女は僕が立っているところのちょうど向かい側にいた。

 桐谷もローラースケートが苦手なようで、一度転んだのか床から膝が離せずに苦戦している。

 その姿を見たとき、彼女も苦手なものがあるんだと少しおかしくて、でも僕の心はじわじわと脈打ち出した。

 桐谷の頑張る姿はほほえましく、手をさしのべたい気持ちに駆られる。

 手助けするために、僕はしがみついていた壁からゆっくりと手を離した。

 反対の手を伸ばし、少しでも早く桐谷に届けと思いながら、僕は大きく息を吸った。

 名前を呼ぼうとした、そのときだった。

 

 彼女が僕の方に顔を上げた。

 僕が呼んだのではない。

 彼女の視線は、僕の身体を通り抜けていた。

 僕の後ろから誰かが近づいてくる。先ほど桐谷を呼んだ声から、その人物が誰なのか僕には分かった。

 安岡が桐谷のことを呼んだのだ。

 でも、ただ呼んだだけじゃない。僕は聞いていた。彼ははっきりと、桐谷のことを「礼」と呼んだのだ。

 視界の端から安岡が現れる。僕なんかより滑らかにローラー靴を使いこなし、桐谷の正面で止まった。

 彼の運動神経はこういうときに発揮されるのか。悔しかった。

 安岡は桐谷に自分の腕を貸し、彼女を引っ張り起こしていた。僕はそれを見たくなくて、桐谷の方向に向かっていた身体を無理矢理横に逸らした。

 案の定バランスを崩し、僕は盛大に後ろに倒れ込んだ。手をつこうと途中で身体をひねったため、右肩を強く打つ。痛みを堪えながら上半身を起こすと、靴のローラーがカラカラと回り続けていた。

「和斗、大丈夫か? 今すごい音がしたぞ」

 安岡が転んだ僕に気がついて、後ろからこちらにやってきた。来ないでほしかった。

 周りの視線が痛い。顔が赤くなるのが分かる。

 僕は安岡の声を無視して一人で立ち上がろうと試みる。ローラーが滑って上手くいかない。

 振り向かなかったが、向こうで桐谷にも見られているんだろうなと、背中に彼女の視線を感じた。

「おまえ、肘擦りむいてんじゃん。俺、ちょっと絆創膏もらってくるから待ってろ」

 安岡が親切に手を差し出してくれたが、僕はそれを振り払った。

 先ほどの二人のやりとりが脳裏に蘇る。

「いい。自分で行く」

 僕は立つのを諦めて、四つんばいで壁際まで向かった。

 心配してくれているのだろう、二人がこちらを見ていることは分かったけれど、僕はそんなのお構いなしでリンクを後にした。

 リンクを出ると、顔の火照りは少しおさまった。そのかわり、右肩がまだズキズキと痛んでいることを思い出す。

 改めて、僕は引き立て役なんだと実感した。

 後ろを振り返ると二人がまた楽しそうにリンクを滑り出したのが見えた。

 その姿は、とても楽しそうで僕がここにいることに意味がないことがよくわかった。

「血、出てるよ」

 声の方を見ると、かおりが絆創膏を差し出していた。彼女は相変わらず下を向いており、視線を合わせようとしない。

「ありがとう」

 きっとかおりも、安岡が桐谷に優しくしている姿を目の当たりにしたのだろう。だから先ほどからこんな調子なのだ。

「どうすればいいのかな……」

 僕はかおりに、そして自分自身に問いかけた。

 かおりは口を結んだままじっと黙っていた。

 すぐ後ろのリンクから、滑っている人たちの笑い声が響いた。かおりは目を細める。

 頭の中は安岡のことがめぐっているに違いなかった。

「私は……」

 かおりは自分に言い聞かせるように言った。

「私は諦めない。この気持ちは、誰にも負けないんだから」

 かおりの瞳は、何かを見据えたように遠くを見つめていた。

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