第十五話 無自覚

 その日僕たちはカラオケ屋の前で解散し、電車組と徒歩組に別れた。

 電車組は僕と安岡だけで、人が減ったことで周りの音がずいぶん小さくなった気がした。心地よい風が耳元を吹き抜ける。僕たちはしばらく無言で歩いていた。

 足だけ動かしていると、どうしても今日あったことを反芻はんすうしてしまう。

 僕はあの時、かおりに手伝う素振りをしたが、正直その場を乗り切るための口から出任せだった。

 彼女の提案は簡潔だった。

 安岡と付き合えるように、自分に手をかすこと。そうすれば必然的に桐谷はフリーとなり、僕が桐谷に近づくチャンスもできるという。

 かおりが具体的に、どのような行動を取るかまでは教えてもらえなかったが、安岡と付き合うためならなんでもやるという覚悟がみてとれた。

 彼女は僕が、安岡に告げ口をする可能性を考えなかったのだろうか。

 僕はちらりと、となりを歩く安岡を盗み見た。

 視線を足下に向けて歩く安岡の姿は、考え事をしているふうにも見えたし、ただ酔っぱらってボーッとしているだけにも見えた。

 僕は一つ、気になっていることを確認したかった。

 駅までの薄暗くなった道を歩きながら、僕は慎重に言葉を選んだ。

「次遊ぶとしたら、また桐谷を誘うつもりなの?」

 何か反応を見せるかと思ったが、彼は落ち着いた声で「わからない」と答えた。

 僕たちは横に並んだまま、街灯が照らす町を静かに進んだ。

「なんかこう、話してるだけで楽しくてさ。ずっと話してたいって思うんだ。でも最近は、会いに行くと急に、胸が苦しくなって……息するのも苦しくて……。しまいにはなに話せばいいか分かんなくなっちまうんだ」

 安岡は胸元に当てた手で服を握りしめていた。

「なあ上松、俺どうしたらいいと思う?」

 やっぱり、安岡はまだ自覚していない。

 僕はなにも答えなかった。

 ただ、伏し目がちにぼそりと呟く。

「今度遊ぶときは、かおりちゃんと四人でどうかな」

 僕はかおりに言われて考えた策を実行する。

 黒くてどろどろしたものが、心の奥に充ちているのを自覚していた。



 アドレス帳にかおりの名前が加わって、僕の携帯はあたかも友人がたくさんいるかのように、つねに振動していた。

 安岡からはどうでもいいような内容が多かったが、かおりは僕を呼びつける文章が多かった。

『ちょっときて』

 かおりとのやりとりも慣れてきた。こんな時、決まって落ち合う場所は階段の一番上、つまり屋上の入り口前の踊り場だ。

 僕が着くと、かおりは壁に背を預けて待っていた。

「遅い! 五分遅刻!」

 かおりが怒鳴るが、時間を指定された覚えはない。

「今日は何の用ですか」

 僕は昼ご飯を食べている途中だったので、少し不機嫌に質問した。

「様子はどう?」

「これと言って変わりはないですけど……」

 僕は軽くこぶしを握り、両腕でマッチョのポーズをして、少し上下に振った。

「普通に健康です」

「……あんたのことなんか聞いてないわ」

「ボケに決まってるじゃないですか」

「知らないわよ! ふざけないで!」

 かおりに怒られてしまった。しかし僕はもちろん、なにを求められているか分かっていた。

「また安岡ですか……」

 僕は肩をすくめてため息をついた。聞き飽きた、ということを露骨に態度に出す。

「当たり前じゃない! 他に何の用があるっていうの?」

「それもそうですけど……」

 僕は安岡と同じ三組だったが、かおりは一組で桐谷と同じクラスだった。定期的に彼らの情報を交換するのが、かおりとの約束になっていた。

「あなたと私の関係は、安岡と桐谷を引き離す同志なだけであって、それ以上でもそれ以下でもないわ」

 それはそうだがしかし、二日おきに呼び出すのはやめてほしい。

「一昨日と変わらず、これといった変化はないですよ」

「そんなはずないでしょ? 昨日のお昼はなにを食べたとか、今日何分に登校してきたとか……」

「後藤さん、犯罪じみた発言はやめてください」

 目を爛々と輝かせる彼女を見て、僕はため息が出た。

 でも、それだけかおりは安岡のことが好きなのだ。彼女を見ていると、自分の気持ちに素直になれることが、少し羨ましくも思う。

 かおりと安岡のなれそめは、小学校の頃ことだそうだ。


 かおりは小学生のころ、親の仕事により、よく転校を繰り返していたらしい。

 「どうせまた数年でいなくなる場所だ」と、友人を作らずにいたかおりに、安岡が教室で話しかけてきたそうだ。

「なにしてんの?」

「べつに」

「休み時間なのに遊ばないのはもったいないぞ」

「そんなの私の勝手でしょ」

 このころから安岡はすでに悪い噂は立っていたそうだ。

 髪色が茶色だったのが原因だったらしい。正直かおりも関わりたいとは思っていなかったそうだ。

 安岡でなくとも、かおりはクラスメイトと仲良くなる気はなかった。またすぐ引っ越しでいなくなると思っていたからだ。

 こうやって冷たい態度を取り続けていたことにより、かおりのクラスでの立場は悪くなる一方だった。陰口を言われるのも時間の問題だった。

「教室にいるくらいなら、屋上に行ってみろよ」

「なんで?」

「あそこ景色いいし、気持ちいいぞ」

 安岡なりにかおりのことを気にしてくれたらしい。

 見た目は怖そうなのに、転校生のこんな些細な気持ちに気づくなんて、ギャップがありすぎてかおりは笑ってしまったそうだ。

「おまえ、笑ってるほうがかわいいじゃん」

 安岡はニカっと笑うと、そのまま外へ遊びに行ってしまった。

 彼の不意打ちの発言に、かおりは少しドキッとしていた。

 それ以来、安岡のことがきになったそうだ。


 唐突にポケットの中の携帯が振動する。

 また安岡か、と思って取り出そうとすると、目の前にいるかおりが黄色い声を上げた。

「噂をすれば、安岡からメールが来たわ!」

 嬉しそうに自分の携帯をいじるかおり。

 僕は不思議に思った。通知を確認すると、僕の携帯にも安岡からメールが届いている。

 もしかして同時に送られたのだろうか……?

 僕も内容を確認しようとする。ふとかおりを見ると、先ほどのにこにこ顔から一転、真顔で手元を凝視する彼女の姿があった。まだ夏になったばかりだというのに、ぞわっと鳥肌が立つ。

 安岡が同時に、僕とかおりに連絡をする理由なんて限られている。

 僕がメールを開く前に、かおりが低い声で言った。

「『遊びに行こう』だって。今度の日曜日、アイツも含めた四人で」

 かおりが言うアイツは桐谷礼、ただ一人だ。

 彼女の無機質な表情に、僕は背筋が凍った。

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