第十四話 敵か味方か

 どこに行くのかと思えば、着いた先は駅前のカラオケだった。

 ここは学生に優しいと評判で、学生証を提示すれば常に三〇%オフになるという人気のあるお店だった。

 安岡たちは慣れたふうに「とりあえず二時間で!」と言って奥へ入っていった。学生証を見せないでも学割が適応されているあたり、彼らが常連なのだということがよく分かる。

 僕は使い慣れていないケータイで、今日は遅くなると母にメールを打った。

 個室に入り、荷物をおろす。僕が飲み物をとりに行って戻ってくると、誰が買ってきたのかいつのまにかテーブルには缶チューハイなどのお酒が並べられていた。

 僕以外の六人はそれらの缶をなんのためらいもなく口にしている。

 音楽に詳しくない僕は、五人のノリについていけず、入り口近くのすみっこでソフトドリンクを飲み続けていた。

 場違いなところに来てしまった……。

 誘われるがまま、(というか無理矢理)ここまで連れてこられてしまったが、早くも僕は帰りたさしか感じていない。

 最近流行っているとおぼしき曲が流れ始めたところで、安岡の取り巻きの一人であるチビが僕のとなりに腰を下ろした。

「つーかさ、上松くんは安岡とどういう仲なわけ?」

 酒臭い息が顔にかかる。

「た、ただのクラスメイトです……」

「コイツ同い年なのに敬語使ってるんだけど! ウケるー」

 酒がまわっているのか、人の話は聞かないし、ちょっとしたことで場が盛り上がる。

「こいつ、俺のときも最初は敬語だったぞ」

 立って歌っていた安岡が、マイクを通した大きな声で話しかけてくる。どっと笑い声が響く。

 チビが僕に絡んできたのも気まぐれで、すぐに話が逸れた。僕は少し安心する。なにか地雷を踏んで、この六人の機嫌を損ねたら大変なことになりかねない。

 気を張りつめて様子をうかがっていると、安岡が二曲目を歌い始めた。

 一曲目とはうって変わって、彼には似つかわしくないバラードが流れ出す。

 先程まで騒がしかったルームの中が一転、ゆるやかな空気が漂い始めた。曲に合わせて皆身体を揺らしている。

 空気が変わり僕の心にも余裕が生まれた。両手で握りしめていたコップをテーブルに置き、肩の力を抜く。ドリンクがもうなくなりかけていた。

 改めてルーム内を見渡してみて気付いたのだが、先ほどからかおりの視線がずっと安岡をとらえている。とろんとした目つきで彼女の想いが表情に出ていた。

 僕は彼女の事を、図書室での一件や昇降口で睨みつけてきた目つきしか知らなかったが、安岡を見つめるあの表情は、前にも一度図書室で見たことがあった。

 だから僕は彼女の気持ちを察して、そして同情した。


 安岡が歌い終わり、マイクはノッポに回った。

 ノッポは空気を読まず、体の芯にまで音が響くような激しい曲を流し始めた。リズムに乗って頭を激しく振るノッポを見て、安岡は笑っているが声は音にかき消されている。

 安岡はかおりの横に腰を下ろした。かおりは嬉しそうに彼に話しかける。カラオケの音が大きいため、必然的に耳元に顔が近づく。なんの話をしているのか分からないが、彼女にはとても楽しそうだ。

 罪なやつだ。

 かおりの想いに気づいてしまい、僕はどうしてもカラオケを楽しめる気分にはなれない。

 それに反して、僕以外の六人は前のめりになってカラオケを楽しんでいた。

 手元のソフトドリンクがつきた頃、安岡のことを凝視しすぎたためか、彼と目が合ってしまった。しまったと思いすぐに視線を逸らしたが、気づいたときには僕のとなりに彼はドカッと座った。

 安岡の手にも缶チューハイが握られている。

 チビに絡まれるよりは幾分マシだが、安岡を取ってしまったことでかおりの視線がとてつもなく痛い。

「元気ねーな」

「いつもこんな感じだよ、僕は」

 チューハイを差し出されるが、僕は丁寧に断った。

「お酒は二十歳からだよ」

「固いこと言うなって」

 彼は躊躇いなく、ぐいっと残りを飲み干した。お酒に強いのか顔は白いままだ。

「なんで僕なんかを呼んだの?」

「仲直りさせたかったんだ」

「誰を?」

 安岡は未開封の缶に手を伸ばし、プルタブに指をかけた。

「こいつらと桐谷を」

 安岡はゴクゴクと喉を鳴らした。

「桐谷一人じゃ気まずいだろ。だからお前も誘った」

 意外と気が回るやつなんだなと感心したが、いま桐谷は来ていない。

「断られたんだ?」

「いや、誘えなかった」

 かおりたちに反対されたのだろうか。いじめた相手と一緒に遊ぶなんて、気まずくなる未来しか見えない。

 僕は氷のみになったグラスをくるくる回した。安岡は続けて言った。

「なんか、本渡してから桐谷と上手く話せないんだ」

 安岡の言葉にぎょっとして、僕は彼の顔をまじまじと見た。

「図書室に行ったんだけど、なんて誘えばいいのか分からなくなって、結局言えなかった」

 手元の缶を見つめる彼の顔は、少し赤みを帯びていた。

 彼の顔が赤いのはけっしてお酒のせいではない。

 僕は思わず立ち上がった。


 普段の声量ではとうていかなわない爆音のなか、僕はソフトドリンクのおかわりと言い訳をして席を立った。

 廊下に出ると、先ほどのうるささが嘘のように静かだった。少し解放されたような気分になる。

 ドリンクバーへ向かって歩いた。どこかから漏れ聞こえる誰かの歌声が耳に入る。

 ドリンクフロアへ着くと、僕は新しいコップを取り出し、サイダーが出るボタンを押しながらため息をついていた。

 不慣れな場所で、不慣れなメンバーと一緒にいるだけで疲れるのに、安岡の気持ちをしってしまったのは、僕によりダメージを与えていた。

 またあの空間へ戻るのは気が重いなぁ。

 時間稼ぎのつもりで、カップに入れたサイダーを、その場で口に運ぶ。すみの壁に背中を預け、ゆっくりとサイダーを味わった。

「最近の安岡、絶対おかしいくない?」

 フロアから続く通路に聞いたことのある声が響く。僕はドキリとしてドリンクマシーンに隠れるように身を潜めた。

「あんな勉強嫌いのあいつが図書室に行くとか、季節外れの雹が降るって」

 その声は僕の後から出てきたと思われる、一緒に来た女子たちの話し声だった。

「やっぱりそれってさ、あの女がいるから、なのかな」

「あの噂、ほんとだったってこと? えー、かおりチョーかわいそー」

 話し声が徐々に近づいてくる。僕はドキドキしながら物陰から様子をうかがっていた。

「だって、かおり、あんなに安岡に尽くしてるのに! 安岡ニブ過ぎじゃない?」

 やはりかおりは安岡のことが好きなようだ。

 こんな露骨に聞いてしまっては、もう言い逃れはできない。僕は見つからないことだけを祈った。

 女子たちの話し声がドリンクフロアの前にやってくる。ここでドリンクバーを取りに来られたら僕はもう逃げ場がなかった。

 フロアの入口から僕のところまでおよそ二メートル。

 息をするのもはばかられた。

「ドリンクはトイレから戻るときに持ってこ!」

「そうだね」

 間一髪だった。

 彼女たちの声が通りすぎていくのが、分かったためゆっくりと息を吐き出す。

「かおり? どうしたの?」

 ドキリとした。

 かおりにかけられた声自体は、少し離れたところから聞こえたが、それは明らかに僕のほうに向かって放たれていた。

「んー、ちょっと先に行ってて」

 突然、ドリンクフロアの入口に、かおりの気配が現れた。

 僕は息を吐き出した途中のまま、心臓以外のすべての動きを止めた。

 たった数秒の間が、体感にして何倍にも感じられた。気配の読み合いというのを、僕は初めて体験した。

「そこでなにしてんの?」

 彼女の声は冷たかった。僕は観念して、かおりの前に進み出る。

「ちょっと疲れちゃって……座ってました」

 通用するとは思わなかったが、苦し紛れの嘘をついてみる。「後藤さんこそどうしたんですか」と話をそらしてみたが、華麗にスルーされた。

「あんた、安岡の好きな人知ってる?」

 僕は彼女から視線を逸らした。

 彼女はやっぱりという顔をして、僕に提案する。

「手伝ってくれたら、あんたも私も好きな人を手に入れることができる、いい話があるんだけど」

 僕は視線を上げた。

 好きな人を手に入れる?

「僕、べつに好きな人なんていませんけど」

 動揺がばれないように、僕はかおりに背を向けた。改めて新しいグラスをドリンクバーにセットする。

「あんたもあの、桐谷って女が好きなんでしょ」

 ドキリとする。

 僕はそんな話、誰にもしていない。

 僕の疑問を察したように、かおりは説明した。

「あんた、あの女のために安岡と本屋を巡ったそうね。それだけ聞けば、あんたの気持ちなんてすぐ想像がつくわよ」

 安岡がかおりに話したのだろう。僕はため息をついた。

 僕はもう断れる立場ではなくなった。これで断れば、学校中、いや桐谷本人にバラされかねない。

「それで、いったいなにを手伝わせる気なんですか。犯罪とかは、お断りですよ」

「察しがよくて助かるわ」

 彼女は不敵に微笑んだ。

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