第十一話 黒いもやもや
二店目も三店目も『星ふる夜の中』は見つからなかった。
どれぐらい歩いただろうか。足裏にだるさを感じ始めたところで、僕の少し後ろを歩いていた安岡がついに不満を漏らした。
「あんな古い本、どこにも売ってないんじゃないのか」
一度開いた口は止まらなかった。
「暑いし、汗べたべただし」
歩きながら後ろでぶつぶつと文句を言い続ける安岡に、疲れが出てきた僕も少しカチンときた。
「安岡が桐谷と話したいって言うから探してんじゃん! 本当はテスト勉強がしたいのに! そんなに嫌なら僕が見つけて桐谷に本を渡したっていいんだぞ」
僕は勢いよく振り返って、安岡を睨みつけた。
振り返ってから、しまった、と思った。
目を細めて僕を見据える安岡の顔を見て、自分がクラスのヤンキーに口答えしてしまったことを自覚したのだ。
なにも言わず安岡が僕に近づいてくる。
殴られる、そう感じて思わず目をぎゅっとつぶった。
しかし、しばらく経っても何も起こらない。僕はゆっくり目を開けると、そこに安岡の姿はなく背後から名前を呼ばれた。
「さっさと済ませようぜ」
安岡は少し申し訳なさそうに言って、先に歩きはじめた。
僕は拍子抜けしてなにも言葉を返せなかった。
安岡が「札付きのワル」という噂はじつは嘘なのではないか、そう思った。
五店目の本屋に到着すると、さすがに僕もどこかに座って休憩がしたくなった。ここを終えたら飲み物を買おうと財布の中を確認する。
安岡は先に中に入っていき、店主に本のタイトルを伝えていた。
五店目は小さな古本屋だった。外からだと左右の建物からぎゅっと押し潰されているような、縦長の目立たない店だった。入口から奥のレジまで所狭しと本が並べられ、ほとんどの本がところどころ黄ばんでいた。
「君たち、あんな古い本を探してるのかい? めずらしい中学生なことだ」
この書店のおじいさんは「星ふる夜の中」のことを知っているようだった。白くなった髪から、だいぶ前からこの古本屋を営んでいることは容易に想像できた。
先ほどまでの店では「取り扱っていない」ということしか分からなかったため、それだけでも僕たちにとっては一歩前進だった。
「ここに置いてますか?」
「どうだったかの。棚を探してみんとわからん」
安岡はさっそく棚の片っ端から探そうと、すぐ横の本棚を見上げ始めた。
そんな姿を見た店主のおじいさんは、足下から何かを取り出し、メガネをかけてそれを開いた。
「こっちを見たほうが早いだろう」
店主は「仕入れ帳」と書かれた分厚い大学ノートを何冊か広げると、パラパラとめくり出した。
僕はその仕入れ帳を一緒に見せてもらうことにしたが、安岡は気にせず本棚を探し続けた。
「あれはいつだったかの。都内の古本市で見つけたんじゃ」
仕入れ帳には、本を購入した日付、タイトル、売れた日が書かれていた。
何ページかめくったところで、僕は「あっ」と声を出した。
「ん、見つけたかい? おや、売れてしまっているようじゃな」
僕と安岡は同時に肩を落とした。
外に目をやると、ガラス窓から夕日が店内に差し込み、チリチリと本の表紙を照らしていた。あと数十分もしたら星空になるのだろう。あの本の表紙を想像した。
「仕方ない。もう五件も回ったんだ。今日はもう帰ろう」
僕は安岡の意見に賛同して、おじいさんに挨拶をした。
「おやおや、待ちなさい」
おじいさんは仕入れ帳をしまうと、のんびりした声で聞いてきた。
「あの本が必要なのかい?」
「ええ。知人が大事にしていたのにボロボロになってしまって……」
こいつが破いた、とはさすがに言えなかった。安岡と目が合うと彼も話の流れにのるように言葉を発した。
「その友達に、プレゼントしたいんだ」
安岡の口からさらりと出た『友達』という言葉を僕は聞き逃さなかった。彼女に対する距離感の違いを改めて思い知らされる。今日一緒に行動したことで安岡へ壁を感じることがなくなりつつあったが、また僕の中ではっきりと実感させられた。
「じーさん何か知らないか? ここから近い本屋とか」
店主は腕を組んで、少し考えたあと思いついたように言った。
「今度仕入れ先の町で古本市が開催されるから、ワシが見てきてやろう」
僕と安岡は顔を見合わせた。
「ありがとうございます!」
来週末にまた来るようにと言われ、僕と安岡はその古本屋を後にした。
外はもう暗くなっていた。しかし通りに並ぶ店は明るく、夜はまだ始まったばかりだと言われているようだった。
僕たちは探していた本が手にはいるかもしれないと思うと、疲れなどすっかり忘れてしまった。
安岡と本屋巡りをしてから一週間が過ぎた。
僕は今日右ポケットに固いものの存在を感じながら登校した。
自分の席につき、ドキドキしながらブルーの携帯電話を取り出す。
本を探し回って帰宅が遅くなったあの日、僕は母にこっぴどく叱られた。普段の帰宅時間よりも三時間近く遅くなったため、母は相当心配したようだった。
なにかあった時連絡が取れるように、その週末、ついに僕も携帯電話を所持することとなったのだ。
朝のホームルームまで十五分ほどあった。先生が来たらすぐ隠せるように机の下で操作する。登録欄には、母の名前を筆頭に家族の名前が並んでいた。
「なんだ、ケータイ持ってんじゃん」
急に話しかけられて顔を上げると、鞄を担いだ安岡が後ろに立っていた。
「メアド渡したんだからメールしろよ」
「ついこのあいだ買ってもらったばかりなんだって」
首筋がチクチクするのでちらりと周りを見ると、クラスメイト達の視線がこちらに向いているのが分かった。
僕のような存在感の薄いやつと安岡みたいな不良が、喧嘩やいじめ以外で会話をしているのが珍しいらしい。僕もそう思う。図書室以外で安岡と話すのはあまり好きではなかった。悪い意味で注目されているようにしか思えない。
安岡に無理やりメアドを聞き出されそうになったところでチャイムが鳴り、先生が教室に入ってきた。
とりあえず安岡は自分の席へ着くため去っていったが、また言い寄られても困るので僕はブレザーのポケットに入れっぱなしだった紙を取り出して、安岡にメールを送ることにした。
バイブレーションが鳴ったのか安岡が机の下にケータイを出して操作しているのが見えた。僕からだと分かったようで、にやりとこちらに笑いかけてくる。
先週のうちに中間テストは終わり、すでに僕は図書室通いを復活させていた。
久々に図書室を訪れると、忘れかけていた本の空気に触れて少し落ち着かなくなる。でもしばらくすると慣れてきて、いつものように読書に勤しんでいた。
今日は周りに常連たちの姿はほとんどなかった。きっと図書室の窓に雫がしたたっているせいだろうと僕は推測する。
今朝の天気予報では夜から雨とのことだったのに、昼から降り始めたのだ。傘を持ってこなかった生徒は雨が弱まっている今帰らないと、またいつ降り出すか分からない。
カウンターには桐谷がいた。
彼女もいつものように、黙々と本を読んでいる。
静かな夕方だった。
ゆっくりとした時間の流れに身を任せていると、僕の右ポケットからバイブレーションの音が響いてきた。
静寂を壊されたことで少しむっとしながら、僕はブルーの携帯電話を取り出して開く。連絡先の数数のわりに連絡が多いのは安岡が加わったせいだった。
画面を見ると案の定安岡からだった。メールを開くと「じーさんが本を見つけたらしい」と書かれている。
これぐらいのことなら明日教室で話しかければいいものを……と思いながら、無視するなと言われるのも嫌なので「近々取りに行こう」と返信して、僕は携帯の電源を切った。
安岡に返事をした内容とは裏腹に、じつは僕は桐谷に本を渡したくない気持ちが強まっていた。
自覚しているのか分からないが、安岡が桐谷のことを好きなのは明らかだった。本を桐谷に渡したら、二人が仲良くなるのは止められない。
僕は自分の中にもやもやと黒いものがふくれあがっているのに、まだ気がついていなかった。
だが、なにかに追いかけられているような、そんな危機感は日に日に強くなるのを感じていた。
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