第九話 接触
その日、安岡は図書室に戻ってこなかった。
僕のポケットに入っているケータイは、しかたないので僕が持ち帰ることとなった。
落とし物とはいえ、ケータイをこんなにも長い間持ち歩くのは初めてだった。
学校にいる間は、安岡に目を付けられずにケータイを返す方法ばかり考えていた。
しかし、学校を出ると安岡の秘密が全てつまっているような気がしてきて、なんどもそれを取り出しては中身を確認したい衝動にかられた。
家についてから、自分の部屋でそれを開いてみた。
あいつが何を考えているのか、この中身を見たら分かるかもしれない。
折りたたみ式のケータイを開くと、待受画像に知らない歌手の写真が設定されていた。僕はケータイを持っていないため、他の操作方法が分からなかった。
ボタンに手紙のマークを見つけた。それを押してみると、メールボックスが表示される。安岡とその友達とのやり取りがそこにはあった。
そこには「後藤かおり」の名前もあった。他は知らない名前だった。
かおりから受信したメールを一つ開いてみると、放課後に遊びにいこうという内容が書かれていた。それに対し安岡は『忙しいからムリ』と断っている。
後藤かおりは何度も安岡にメールを送っていた。それに対し安岡は毎回同じ返答を返していた。
ブーッ、ブーッ。
「うわっ」
突然公衆電話から着信があり、驚いてケータイを落としてしまった。
安岡のケータイを持って帰るなんて大変なことをしてしまったことを自覚した僕は急いでケータイを閉じた。
何度か公衆電話から着信があり、さすがに出るのは躊躇われたため、そのまま次の日学校に持ってきた。
一晩考えた結果、安岡に直接手渡すのが一番いいのではないか、という結論に至った。
以前クラスメイトの噂で、先生にケータイが見つかるとこっぴどく怒られるらしいという話を聞いたことがある。そのため生徒間の暗黙のルールとして、持ち主が不明だとしてもそれを先生に渡すのはしてはいけない空気があった。
そもそも僕自身が怒られるのではないかと思い、先生に提出する案はすぐに却下した。
僕はポケットの中に手を入れ、そこにあるケータイを触りながら考えていた。
問題はいつ渡すか、だ。
休み時間になるたび安岡のあとを追いかけてみるものの、毎回ポケットの中でお寿司ストラップに触れて終わった。
結局放課後になってしまった。
ようやく考えついたのは、図書室の外で待ち伏せするという方法だった。
授業が終わって、さっそく四階の薄暗い廊下で僕は壁にもたれて待つことにした。
顔見知りの常連何人かとすれ違う。
授業が終わって二十分くらいが経ったころ、ゆっくりした足音とともに安岡が階段から現れた。
急に空気が重くなった気がする。
彼から放たれる威圧感は相変わらずすごかった。
図書室に向かって歩いてくる安岡と対峙するように、僕も安岡に向かって歩きだした。
お互いの距離が二メートルくらいになったところで、僕は大きく息を吸った。
「あの――」
安岡の足が止まり、鋭い目が僕をとらえる。
「昨日、ケータイ忘れませんでしたか。これ」
同い年なのに敬語になってしまった。
ポケットのケータイを取り出すと僕は安岡に差し出した。
「先生に見つかるとまずいから、一日僕が預かってました」
理由を説明し謝罪をしていると、安岡は無言で手を伸ばした。
「なんで俺のだって分かった?」
「お寿司のストラップがついてたから……」
僕は彼の赤いケータイについているマグロのお寿司ストラップを指差した。
「これって駅前の回転寿司なくらで、当たりが出るともらえるやつですよね? だからつけてるの見て印象に残ってて……」
彼はケータイの履歴を確認しながら、僕の説明に納得したようだった。
「お前も当たったことあるの?」
「うん。でも妹が集めてるから、当たってもいつもあげちゃうんです」
「ふうん」
安岡はなにか考え込んだあと、ふいにそのストラップをケータイから取り外した。
「ケータイ拾ってくれたお礼だ」
「え」
彼はストラップを僕に押しつけると、また歩きはじめた。
「大事にしろよ」
安岡はそのまま片手を上げ、図書室に行ってしまった。
喧嘩騒動から数日が経ち、図書室もまた落ち着いた空気が戻っていた。
中間テストが来週に迫っていたため、今日の僕は図書室で勉強をすることにした。すると鈴木くんがのそのそと近づいてきた。
「あ、なくらのストラップだ」
ぎくり。
僕はもらったストラップをどうしていいかわからず、かといって無くしでもしたら安岡に怒られるのではと考え筆箱につけていた。
僕は話が膨らまないよう、あまり反応しないようにしたが鈴木くんは鋭かった。
「そういえばこれって、あの落とし物のケータイにもついてなかったっけ」
「ケータイ届けたお礼にもらったんだ」
「そうなんだ。結局誰のだったの?」
「クラスメイトだよ。……それより、今度の中間テスト、範囲広くない? どこが出るか分からなくて勉強も大変だよ」
僕はそれとなく安岡の話題をさけた。
今安岡は図書室にはいないが、カウンターの桐谷に聞かれるのはよくない気がした。
あの喧嘩以来、桐谷は安岡が来ると奥の準備室へこもるようになった。そのため安岡は前のように本を借りることもなくなり、昼寝のみをして帰っていった。
僕がカウンターを見ていたのに気づいたのか、鈴木くんが桐谷のことを口にした。
「あれからいじめは無くなったみたいだけど、なんだか前より雰囲気がぎこちなくなったよね」
鈴木くんの言うとおりだった。僕らは小さなため息が出た。
ちょうど会話が途切れたとき、ガラガラと図書室の扉が開いて噂の安岡が入ってきた。いつものように周りをギョロリと見回し、特等席へ向かう。桐谷はいつのまにかいなくなっていた。
このとき僕はちょっとしたミスをおかした。
いつもなら誰が入ってこようと手元の作業に集中し入ってきた人に視線は合わせないが、最近安岡を意識しすぎた。そのため、今日は入ってきた彼と目が合ってしまった。
安岡は目を合わせた僕に気づくと、そのまま目を逸らさずに真顔で近づいてきた。
僕も鈴木くんも思わず、ぎょっとした。
鈴木くんなんて逃げ出さんばかりにガタガタと椅子を引いて立ち上がっていた。
「おまえ、教室にもいたよな」
鈴木くんは安岡に話し掛けられている僕を驚いたように見た。
「いました」
「同い年でなんで敬語なんだよ」
「いや、なんとなく……」
僕は助けを求めるように鈴木くんを見たが、自分は関係ないと決め込んで祈るように強く目をつぶっていた。
僕はどうしたものかと周りを見るが、常連はみな本棚に隠れて助けてくれそうにない。手元を確認すると勉強道具しか置いてないし、何かされたら防ぎようがなかった。
幸か不幸か僕の視線の先を見ていた安岡は僕の筆箱についているあれを見つけた。
「寿司のキーホルダーそんなとこにつけてんのか」
「う、うん。せっかくもらったし、つけないと悪いかなって」
「そりゃどうも。いらなきゃ返してくれてもよかったんだけど」
安岡は僕が寿司キーホルダーを妹にあげると思っていたようだ。あげてもよかったんだけど、僕は妹がもう全種類集め終わっていることを知っていた。
「それよりお前ら、最近桐谷がカウンターにいないんだけど、何か知ってるか?」
安岡は、今度は鈴木くんにも話し掛けていた。
鈴木くんから「ひっ」と声が上がる。「なんか言えよ」と言われても鈴木くんはカチカチに固まっていた。
しかし、さっきまでいたなんて本当のことは言えないので僕はあいまいに答えておいた。
「もしいたら連絡しろ」と安岡は自分のメールアドレスを書いた紙を置いていったが、僕は携帯なんて持っていない。
そうと言おうと思ったけど、すでに安岡はさっさと僕らに背を向け、図書室を去っていった。桐谷がいなければここにいる意味はないらしい。
安岡はやっぱり桐谷目当てで図書室に来ているのは明らかだった。僕はそれが気にくわなくて、桐谷の居場所を安岡に伝えたくなかった。
扉が閉まるとみんなの緊張が解け、どこからともなく安堵のため息が聞こえてきた。
「心臓にわるいよ……」
鈴木くんは胸をおさえながら、椅子に座り直した。
「上松くんって、安岡と知り合いなの? さっきもお寿司ストラップについて話してたけど……」
鈴木くんはこわごわと僕の顔を覗き込んだ。
「あのケータイ、じつは安岡のだったんだ。返したお礼にこのマグロのお寿司ストラップをもらった」
鈴木くんは驚いて、またお茶を吹くマネをした。つばが僕に吹きかかる。
「いつからそんな関係だったの? 僕がいない間になにがあったんだい!」
椅子の上でおろおろと慌てる鈴木くんを見るのは面白かったが、彼のつばは彼の制服できちんと拭きとった。
「べつに、なにもないよ」
ちょっと前から、桐谷にちょっかいを出している安岡を観察してたなんて、とても言えない。
それよりも僕は、先ほど渡されたメアドが書かれた紙のやり場に困っていた。
悩んだところで、処分する勇気は持ちあわせていない。その紙は制服のポケットにしまわれることとなった。
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