第八話 事件

 翌日の放課後、僕は掃除当番の仕事を終えて図書室に向かった。四階の廊下まで来たところで、何やら中が騒がしいことに気づいた。

 図書室のドアは閉まっているのに、四階の廊下にまで中からの声が響いていた。

 小走りで図書室に到着すると、カウンターを挟んで桐谷と見なれない女子が三人が立っていた。

 横に並んでカウンター越しに桐谷を睨みつけている。左右に立っている女子たちが桐谷に詰め寄っていた。

「あんた、なんで制服じゃないの? 校則違反で先生にチクっちゃおうか」

 カウンターにいる桐谷は、今日は体操着だった。

 セミロングで毛先をふんわりとカールさせた女の子が、大きな音を立ててカウンターの机を叩いた。

「私たちが誰か、分かってるわよね? 安岡のこと囲い込むなんてどういうつもり?」

 女子達の背後には、あのノッポとチビがいる。彼女たちは安岡のグループとつるんでいるメンバーらしい。

 女子三人のうち二人は、桐谷に向かってキャンキャンと犬のように吠えている。その後ろで一人、そのやりとりをじっと見つめている女の子がいることに僕は気がついた。

 チビが彼女のことを「かおりちゃん」と呼んでいるのが、口の動きから判断できた。

 桐谷はいつも通り知らん顔で、椅子に座って読書を続けていた。

 僕は呼吸を整え、彼女らに気づかれないよう、そろりそろりと図書室の奥に入った。そして状況を見守るしかない常連達の野次馬に加わる。みな本棚の陰から受付の方を覗いていた。周囲を確認するが安岡はまだ来ていないらしい。

 鈴木くんが僕に気づき、スッと近づいてきた。

「上松くん、あれが桐谷さんをいじめていた集団だよ」

 僕は黙ってうなずいた。桐谷をなじっているのは両側の女子だが、本当に不満を持ってるのは「かおりちゃん」と呼ばれた彼女のようだ。何も言わないが、終始目を細めて妬むように桐谷を見つめている。

 後藤かおり。本名は鈴木くんに聞いて初めて知ったが、安岡と一緒にいる姿は何度か見かけたことがある。たしか新学期で教室にたむろしていた女子の一人だ。

 安岡がここに来るようになった始めのとき、子分のノッポとチビがよく図書室へ来ていた。そのとき桐谷へのあたりが強かったのだ。だからなんとなく予想はついていたが、女子も荷担しているとは予想外だ。

 桐谷は話の中心人物なのに、われ関せずといった態度をとり続けた。口調が熱を帯びていく不良グループに対し、僕たち常連は縮み上がる。

 僕は桐谷を助けたいと意気込んでいたのが嘘みたいに、足がすくんで動けなかった。

「無視してんじゃねーよ!」

 茶髪ショートカットの女子が前に出てきて、桐谷の読んでいた本を勢いよく取りあげる。乱雑に奪われたため、バサバサと音を立てる。茶髪の女子は本を高く持ちあげて、パラパラとページをめくって大きな声をあげた。

「何を読んでいるのかと思えば、なにこれ、ボロボロじゃん! いつの時代の本読んでんの?」

 カウンターを囲む不良グループはゲラゲラと笑い声をたてた。

 本の陰から見ている僕たちは内心ひやひやしていた。

 じろりと視線をあげた桐谷は、急に立ち上がった。みんなの視線が桐谷に集まる。

 彼女は右手を前に出して、はっきりとのべた。

「返してください」

 以前安岡にも向けた、凛とした態度だった。

 彼らは一瞬怯んだ様子をみせたが、すぐに立て直した。

「前回はそれで済んだかもしれねーが、そう何回もうまくいくと思うなよ!」

 ノッポは前回ここでメンツを潰されたことをまだ根に持っていた。茶髪女子から本を受け取ると、彼はそれを両手で持ち、思い切り二つに引っ張った。

 それはとても悲しい音だった。

 紙と一緒に、その中の世界が消えた気がした。

 本が破けると、彼らはまた大きな声を出して笑った。

 僕はバラバラに落ちた紙が床に散らばるのを見ることしかできなかった。ここで文句の一つでも言えれば……。

 普段は感情を表に出すことが少ない桐谷が悲しそうな顔をした。だらりと手が下がる。

 図書室に敗北感が漂う中、図書室の扉がスライドして、ドンッと大きな音を立てた。

「何回やっても、ここの扉はうまく開けられねぇな」

 現れたのは、片手に本を持った安岡だった。

 安岡はカウンターに群がる不良たちと目が合い、驚いた表情になる。

 異様な空気を感じ取ったのか、安岡の視線は素早く僕たちの状況を捉えた。無表情の桐谷、足がすくんで動けない僕ら、床に落ちている破れた本。

 止める間もなかった。

 僕が止められたとは思えないが、安岡の動きは素早かった。

 安岡はノッポを押し倒して、殴っていた。ノッポの頬が赤く染まる。図書室に悲鳴が上がった。

 僕はあっけにとられ、動くことができなかった。チビがとめにはいるが、安岡はやめる様子がなく、鈴木くんが慌てて先生を呼びにいく。

 ノッポも殴られたことで頭に血が上り、安岡につかみかかる。二人を止められるものはいなかった。周りの棚や机にぶつかる。みんなはそれを避けるように、二人がいるところだけちょっとした空間ができていた。

 本はすでに彼らと床の間でくしゃくしゃに散らばっていた。

 僕は殴り合いの喧嘩を見るのは初めてだった。なにかしなきゃとは思いつつ、見ている自分も気が動転してしまい、正直僕は何をすればいいか分からない。

 さきほど悲鳴を上げていた不良グループの女子達は、こういうことに慣れているのか極めて冷静だった。とくに「かおりちゃん」と呼ばれている彼女は、すでに興味を手元の携帯電話に移していた。

 結局僕らはなにもできず、五分ぐらいで先生がふたり、慌てた様子で到着した。

 かけつけた一人の松岡先生は、男教師らしく身体をはって二人を止め、二人を連れて行った。あんなに派手にやり合っていたのに、安岡に怪我した様子は全然なかった。

 他の仲間も先生に連れられて図書室から出ていった。「かおりちゃん」だけは最後まで、桐谷のことを睨みつけていた。

「すごかったね」

 ことの行方が気になる鈴木くんは、今もちらちらと連れて行かれた二人を目で追っていた。

 それよりも僕は、破かれて彼らの下じきになってしまった『星ふる夜の中』の方が気になっていた。

 カウンターの前に散らばったそれらは、原形を保っていなかった。

 思わず声にならないため息が出た。

 足下にあるひとつを拾い上げると、僕はそのままひとつひとつ拾うことにした。

 ページ数をたよりに並べてみるが数はとびとびだった。

 膝をついて拾っていると、僕と同じようにしゃがんでいる生徒がいた。体操着姿の桐谷も拾ったものをページ順に並べているようだった。

 本がバラバラになってしまったのは悲しいが、桐谷もこうしてこの本を大事に思っていることは少しうれしかった。

 すべて拾い終わり桐谷に紙を手渡すと、彼女は悲しそうに手元の残骸に視線を落としていた。

「ありがとう」

 初めて事務的じゃない会話をした。

 それなのに全然嬉しくない。

 彼女はこちらに背を向けると、残骸をかかえて奥の準備室にこもってしまった。

 彼女の気持ちを思うと胸がいたい。彼女がいじめられたのも本が破られたのも、安岡がここに来たことがすべての原因だと僕は思った。

 悲しみと憤りを感じながら鈴木くんのもとへ戻ると、彼は自分が手にしているものをどうしたものかと戸惑いながらきょろきょろと周りを見ていた。

「どうしたの?」

「誰かが落としたみたい。中を見るのはためらわれるし図書委員か先生に渡した方がいいかなあ?」

 鈴木くんの手には赤い携帯電話があった。お寿司のストラップがついている。

 きっと先ほどの喧嘩の時、ポケットから落ちたのだろう。

 図書委員に渡したら、と言おうとして声が出る前にやめた。

 もし委員の人に届けたら、後日アイツと桐谷はまた会話を交わすのではないだろうか。あの二人が今より親密になってしまうのが僕は嫌だった。

「俺、持ち主知ってるから返しとくよ」

 鈴木くんからケータイを受け取ると、僕は自分のポケットにしまった。

 桐谷の手にだけは渡らないようにしよう、そう思った。

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