第六話 犯人探し
図書室へ戻ると鈴木くんは先ほどと変わらず、突っ伏して寝ている安岡のことを見ていた。
「鈴木くん、安岡のこと好きなの?」
冗談で言ってみたら、なんと鈴木くんは口からお茶を吹き出すような古典的な驚き方をした。
「どうやったらそう見えるんだい!」
と言ってゴホゴホと咳き込んだ。
幸いにもここは飲食禁止だ。なので鈴木くんの口から出たツバが僕にかかるだけで被害は済んだ。
僕が必死に鈴木くんのツバを拭き取っていると彼は「まったくもう!」といって手元の本にもどろうとしていた。
「悪かったって。鈴木くんに聞きたいことがあるんだ」
鈴木くんにしか頼めないんだ、と念を押すと仕方ないなあと鈴木くんは本を閉じた。
「ここだとまずいから、場所を変えよう」
僕は慎重に周りをうかがいながら鈴木くんと図書室を出た。しかし行く当てもないので、自分の教室である三組に行くことにする。
先ほど往復した階段を、今度は鈴木くんと下る。
「それで上松くん、話ってなんだい?」
読みかけの本を大事そうに脇にかかえた鈴木は言った。僕は先ほどみた桐谷が履いていた茶色のスリッパや、教科書の話を簡単に伝えた。
「それはたしかに、いじめだろうね」
「僕も他の人に聞いてみようと思うんだけど、鈴木くんの情報屋の力も借りたくて。誰が桐谷のことをいじめているのかを調べてほしいんだ」
鈴木くんは少し驚いた顔をした。
「上松くんってそんなに桐谷さんと仲が良いんだ」
鈴木くんは僕が桐谷から相談を受けていると勘違いしたようだ。僕は一方的に観察しているなんてとても言えず、あいまいに返事をする。
「今どき先生でさえ、いじめを見て見ぬふりをするのに。上松くんは優しいね」
ヒーローみたいだと彼は言った。鈴木くんはいたく感動しているようだった。
「僕にできることなら何でもする。情報収集なら任せて」
胸をドンと叩いてやる気をみせた鈴木くんは、帰ったらさっそく取りかかると言ってその日はそのまま帰っていった。
僕は彼の背中を見送り、先ほど鈴木くんに言われたことを考えていた。
今まで桐谷のことは遠くから見ているだけの関係だった。
桐谷をいじめている人を知って僕はどうしたいのだろう。鈴木くんにはヒーローと言われたけど、自分がなにかできるとは思えなかった。
それに僕には桐谷をいじめている人物について、心当たりがあった。
そいつらがいじめの犯人だとしたら、恐ろしくて僕は見て見ぬふりをしてしまう気がした。
もやもやしたものが胸の中に充満し、息苦しくなる。
とりあえず誰がいじめを行っているのか調べてから考えよう。そう思い僕も学校から帰ることにした。
あれから僕と鈴木くんは、桐谷に関する情報を集めはじめた。
僕は桐谷の周囲を見張り、鈴木くんは桐谷のクラスメイト達に話を聞くことになった。
そのため鈴木くんはしばらくは図書室に顔を出すことができないと言って、僕は一人で図書室に通う日々が続いた。
その間も桐谷は、相変わらずいじめられ続けているようだった。
最近ではスリッパだけでなく、体操着姿で図書室に現れることもしばしばだ。
他の図書委員や図書室の常連も違和感に気づきはじめたようだ。
しかし皆、桐谷に直接聞くことができないようで、もどかしく数日が過ぎた。
ある日の放課後、図書室に行く前に桐谷のクラスである二年一組を覗くと、桐谷はまだ教室で持ち物をまとめている最中だった。なにか探し物が見つからないようで、机の中やロッカーを探し回っている。その様子を一組の女子がくすくすと笑っていた。
その女子たちは、以前安岡と一緒にいるところを見たことがあった。
やはり安岡のグループが桐谷をいじめていたのか。安岡が桐谷をおもちゃのようにもてあそんでいるに違いない。
僕は桐谷より先に図書室に向かい、どうすればいじめを止められるかを考えることにした。
図書室につくと、中の空気は少し張り詰めている事に気がついた。いつも日のあたる特等席で寝ているアイツが、その日は椅子に背をあずけ何やら考え事をしている。
視線はどこを見るでもなく図書室の中を彷徨わせ、椅子の前足を浮かせて身体を前後にゆらゆらと揺らしていた。
なにかあったのだろうか。
いつもと違う安岡に、図書委員は奥の部屋に引っ込み、常連は棚の陰に隠れている。僕もいつもの席に着くと、顔をギリギリまで本で隠して様子を見ることにする。
安岡の動向をうかがっていると、丁度桐谷が図書室にやってきた。
体操服を着た彼女は貸出カウンターの中に入り、こちらのことは気にする様子もなく、椅子を引き寄せてカバンから取り出した本を読み始める。
すると突然、安岡は立ち上がり、桐谷しかいないカウンターに向かって歩きだした。
カウンター前に仁王立ちをした安岡は、いつものように読書をしている桐谷をじっと見下ろした。
いじめても無反応な桐谷に対し、安岡がしびれを切らし直接なにかするつもりなのではないか、僕はそう考えた。
やっぱりいじめていたのは安岡だったに違いない。今の安岡はなにをするか分からない。先生を呼びに行くべきだろうか。
身長が一七〇センチメートルほどの安岡は、運動部でないわりに肩周りの筋肉がしっかりしていて、目つきは鋭く、目の前に立たれれば一般生徒なら震え上がって逃げ出してしまうような迫力がある。
しかし、そんな鋭い視線が降り注いでいても、度胸があるのか鈍感なのか、彼女の目は本に向けられたままだった。
僕は桐谷の盾となるべきか迷っていると、安岡が口を開いた。
「制服はどうしたんだ? それ、誰にやられた?」
腕を組んで立つ安岡は、まるで尋問しているようにしか見えなかった。遠くから見ているだけの僕でさえ背筋に悪寒をおぼえた。
しかし、どうにもおかしい。聞き方は怖いが、安岡は桐谷のことを心配している口調だ。安岡が桐谷のことをいじめているんじゃないのか?
僕はもうしばらく様子を見守ることにした。
しかし、桐谷は安岡の質問に対してまったく反応しない。時間が経過するごとに安岡がいらつきはじめたのは明らかだった。
内心ヒヤヒヤしながら観察していると、本棚の陰からその様子を見ていた常連は「桐谷さんて、図書委員に関すること以外の会話してくれないもんね」とこそこそと話している。
どうやら常連の中には、昔桐谷に話し掛けたことがあるやつもいるようだ。安岡とは違って、桐谷と仲良くなりたいというきっと下心みえみえの質問だろうが……。
常連の声は安岡の耳まで届いたようで、彼はなにかを考えはじめた。
少し間があき、唐突に仏頂面の安岡が口を開いた。
「おすすめの本は?」
先ほどまで少しも反応しなかった桐谷が、ふいに立ち上がると、その辺に置かれていた本を取って安岡に差し出した。
それはちょうどこの間、僕が読んだ『星ふる夜の中』だった。
以前「不人気ランキング」で入賞したために、今月のテーマ「最近よく貸し出されている書籍」にランクインし、イーゼルスタンドに置かれていたのだ。
その日、安岡はその本を借りたらそのまま帰ってしまった。
どうも桐谷をいじめているのは安岡ではないらしい。
だが僕は彼の意図が分からなかった。なにか起こるのではないか、そんな気がして安心できなかった。
翌日も安岡はあの本を持って現れた。
来て早々、彼はカウンターの前に立った。
「これ、面白いな」
安岡は本を返すと、他に面白い本はないかとまた桐谷に選んでもらっていた。
桐谷は一向に事務的な発言以外に言葉を発しなかったが、安岡は気にせず毎日のように本を借りては、桐谷に感想を言っていた。
その光景をはたから見ていた僕たち常連は、安岡って意外といいやつかもしれないという感情が芽生えはじめていた。
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