第五話 上履きの行方

 あれからというもの安岡はたびたび図書室へ昼寝をしにきていた。

 彼はいつも放課後にやってくる。

 いつも同じ席に座り、窓から差し込む太陽の光を背中に受けながら昼寝をしていた。

「安岡くん、今日もいるね」

 小声で話し掛けてきたのは同じクラスで図書室の常連、鈴木くんである。

 鈴木くんは「ぽよん」という効果音が似合いそうな身体を、僕の隣に座らせた。

 僕は今まで一人で図書室を利用していたが、安岡が来るようになってから鈴木くんと話す機会が増えていた。

 図書室の常連たちは、安岡のせいで毎日気が気ではない。その危機感から自然と仲間意識がうまれていた。

「でも、気持ちよさそうだよねえ」

 鈴木くんは隅の机で寝ている安岡を見て、のんびりとした口調でそう言った。

 彼の話し方はとてもまったりしたもので、聞いているとあくびが出そうになる。

 効果音をつけるとしたら『もそもそ』という音がとても似合うだろうなと僕は密かに思っていた。

 ぽっちゃりしたほっぺたに何か入っているのだろうか。

「一緒に寝てくれば?」

「冗談やめてよ。となりに座っただけで何をされるか……」

 鈴木くんを含め、誰もその机に座るものはいない。

 安岡はいつものように無防備に寝息をたてて寝ていた。とくに害はないが、まだ生徒たちの警戒心は残っている。

 鈴木くんはもの欲しそうに眺めていた。暖かい日差しがあたる席は安岡の近くしかないのだ。


 始めのうち安岡の子分は、彼が昼寝をしに来るたびに連れて帰ろうと図書室に現れた。しかし、安岡はそんな子分たちを毎回追い払い続けた。

 そんな姿を見るたび、僕の疑問は膨らむばかりだった。いったい何を考えているのだろう。本人に聞くわけにもいかず、安岡も観察することにしたのだ。

 そんなことまったく知らない鈴木くんは、相変わらず僕のとなりで『もそもそ』と喋っている。

「で、上松くんはどう思う?」

「……なんのこと?」

「図書委員だよ。僕は今まで三次元なんて興味なかったけど、この間の一件から桐谷さんのかわいさとカッコよさが『桔梗ちゃん』に似ていると気づいて、ドキドキが止まらないんだ!」

 『桔梗ちゃん』とは、あるライトノベルのヒロインらしいが、僕はまだ読んだことがなかった。

 鈴木くんは二次元の世界を好む、いわゆる『ヲタク』というやつで、このあいだ桐谷が見せた姿が、『桔梗ちゃん』のキャラに重なったようだ。

 この間の安岡たちに反抗した件で、桐谷は常連たちから支持を得たらしい。

「桐谷さんって謎につつまれててさ。そこがまた良いんだけど」

 鈴木くんも桐谷のこと観察しているのだろうか。

 僕はカウンターに視線を移し、桐谷を目で捜すが今日は違う図書委員がカウンターに立っている。安岡ばかりに気を取られていたが、なにか違和感があった。中央の柱にかけられた時計は四時四十分を示し、授業が終わってから三十分以上経過していた。

「鈴木くん、今日って何日だっけ」

「六月八日だけど……。それがどうかした?」

 壁を見るとポスターや本のポップは、六月仕様のものに変えられたばかりだった。奥の準備室の扉は開け放してあり、そこに桐谷がいるというわけではないようだ。

 桐谷が来ていない。

 最近安岡たちが騒がしかったため、桐谷のことをすっかり忘れていた。

 風邪でもひいたのだろうか。いつもの僕なら桐谷より早く図書室に来られたことを得意げにおもったかもしれないが、三十分経っても来ないなんてなにかあったとしか思えなかった。

 桐谷のクラスである二年一組に行って確認しよう、そう決めた。

 僕は立ち上がり、図書室を飛びだしていた。

 後ろから「どうしたのー?」と鈴木くんの声が聞こえてきたが、僕は桐谷のことが気になって足を速めた。

 四階の廊下を走りぬけ、階段を一段飛ばしで下った。二年生のクラスは二階にある。

 二階に到着しその勢いのまま廊下の角を曲がると、ちょうど桐谷がこちらに向かって歩いてくるところだった。

 二階の教室は、奥から順番に二年一組から四組と並んでおり、彼女は今二組の前を歩いていた。

 他の生徒はほとんど帰宅したようで、廊下には誰もいなかった。

 僕は桐谷を見て思わず足を止めそうになった。しかし急に止まるのも不自然だと思い、あたかもどこかのクラスに用事があるふうを装って歩くことにした。

 さっきまで上がっていた息を押し込め、桐谷に不審に思われないよう視線も彼女ばかり見過ぎないように注意した。

 今は顔を隠してくれる本はない。じろじろ観察したら不審に思われるだろう。

 桐谷をしっかり確認するには、すれ違った直後の後ろ姿しかないと思った。

 すれ違って彼女が階段の角を曲がるまでの数メートルが勝負だった。

 僕はゆっくり、でも確実に廊下を進んだ。正面からは桐谷が近づいてくる。

 視界には足先のグレーの廊下しか見えなかった。

 桐谷とこんなに近づくのは始めてだ。

 耳の奥からドキドキと心臓の音が響いていた。

 時間の流れがゆっくり感じる。

 三組の前にさしかかったところで桐谷が僕の右側を通り過ぎた。その瞬間僕の心臓は最高潮に高まった。

 視界のすみに、微かに彼女の足下をとらえる。

 そのとき僕は、今日の違和感の原因がなんなのか分かった気がした。

 視界に入った桐谷の靴が上履きではなく、学校の名前が入った茶色のスリッパだったのだ。

 桐谷とすれ違ったあと後ろ姿を見るつもりだったが、僕はそのまま彼女が出てきた二年一組に向かった。

 確信が持てなかった。ならば直接見て確かめようと思った。

 二年一組の扉を開けると、中には誰もいない。

 念のため廊下に誰もいないかを確認し、僕は一組の教室に足を踏み入れた。


 中の様子は、僕の三組とさほど変わらなかった。窓が開いており、カーテンがふわふわと揺れている。

 僕はまず桐谷の席を探した。名前順であれば前半の方だろうが、もう6月なので席替えしているかもしれない。教卓に席順の紙が入ってないか探してみた。

 ノリやハサミと一緒に、プラスチックのファイルケースに入った座席表を見つけた。窓際の一番前に桐谷の名前が書かれている。

 その机に近づき、心の中で桐谷に謝った。

 机の中に手を入れて中に入っているものを探る。教科書と思われる冊子があったので、それをつかんで取り出した。

 祈るような気持ちで手にした教科書を見ると、表紙が斜めに半分破けていた。

 ページをめくると『死ね! 調子にのるな!』などの言葉が赤ペンで書かれている。

 僕は自分の予感があたってしまったことに落胆した。きっとこの分だと、ゴミ箱に彼女の上履きが捨てられている可能性が高い。

 桐谷がすぐ図書室に現れなかった原因は、これに違いなかった。

 僕は二年一組を出ると、桐谷をいじめているのは誰なのかを探るべく鈴木くんのもとへ向かった。

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