第二話 不穏

 桐谷に声をかけられないまま、気づいたら二年生になっていた。


 クラス替えが行われ、僕は三組になった。クラスの発表は掲示板へ貼りだされる形式なので、他の生徒のクラス分けも確認することができた。


 一組の欄に桐谷礼と書かれているのを見つけ、僕はがっかりする。

 だが、一組より三組の方が階段に近いため、これなら桐谷より早く図書室へ行くことも可能かもしれない。そうすれば少しは、僕のことに気づいてくれるだろうか。


 校内は新学年で浮足立つ生徒の話声であふれていた。

 新しい教室の前へ到着すると、何やら中が騒がしい。不思議に思い教室の前で立ち止まった僕は、念のためもう一度ドアのプレートを見上げた。しかし、そこは間違いなく僕のクラス、二年三組だった。


「上松くん、今は入らないほうがいいよ」


 小声で話しかけてきたのは、ブレザーに収まりきらないお腹を第一ボタンで無理やり押さえつけている男子生徒だった。


「えっと、だれ……?」


「え、僕のこと分からない? いつも図書室にいる鈴木だよ、鈴木みのる。いつも図書室にいる常連だから僕のこと知ってるかと思ってたんだけど」


「ごめん、知らなかった」


 鈴木くんは「僕の知名度もまだまだか……」と少し残念そうだった。


「とにかく、今は安岡たちが中でピリピリしてるから、目を付けられないためにも入らないほうがいいよ」


 鈴木くんによると、そいつは先生の間でも要注意生徒となっているほどの札付きのワルらしい。

 廊下を見回すと、カバンを持ったまま教室に入れず困っている生徒達が何人か見受けられた。

 こっそり教室を覗くと、茶髪頭の男子生徒とそれを囲むようにノッポとチビの凸凹コンビが二人、そして女子が三人いた。茶髪のやつがおそらくその安岡雄大やすおかゆうだいだということはすぐに分かった。けっして身長が大きいわけではないが、ガタイのいい身体や堂々とした態度、低くよく通る声から彼の風格が表れていた。


「彼ら、みんなから恐れられる不良グループでさ。ここだけの話だけど、その中でもとくに安岡は、体育館裏でタバコを吸っていたとか、小学生のころ上級生にに怪我をさせたとか色んな噂があるんだよ……」


 僕は心のなかで凍りついた。鈴木くんに言われたとおり、とにかく目立たないほうが身のためそうだ。


「でも、鈴木くんはどうしてそんなに詳しいの?」


 僕の言葉に鈴木くんは、にやりと笑った。鈴木くんは校内のネタを集めてそれと引き換えに対価をもらう『情報屋』をやっているらしい。「知りたいことがあればチョコバットでいいよ」と鈴木くんはわざとらしく不敵にほほ笑んでみせた。


 廊下で時間をつぶしていると始業チャイムが鳴り、廊下にいたたくさんの生徒たちはガヤガヤと自分たちの向かうべき教室へ入っていった。

僕らもその流れにのって教室に入り、僕はなんとか窓側の後方の席に着くことができた。

 幸いなことに新学期初日の今日は、座席は名前順で座るよう指定されているので、僕と安岡は教室の中でもかなり遠い位置になっていた。

 僕が安堵のため息をついていると、誰かが遅れて前のドアから入ってきた。それと同時に女子の歓声が上がる。


「はい、ホームルームを始めるぞー」


 すらっとした高身長で、爽やかな顔立ちの松岡先生が入ってきたのだ。片手にはどの先生も所持している黒い名簿冊子を持っているのに、松岡先生が持つとなぜかそれがクラッチバッグのようにかっこよくみえるのが不思議だ。なにかの魔法か?


 松岡先生が担任であることに対して喜びを示している生徒たちの中で、僕は先ほどしていた自分のため息に、疲労感が混ざるを感じた。

 ヒーローになるのは生徒だけではないのだ。

 松岡先生が担任ならきっと、とてもいいクラスになるだろう。あの安岡も今年はおとなしい一年を過ごすかもしれない。しかしそれは先生中心のクラスであって、僕みたいなのは相変わらずその末端に過ぎないのだ。僕みたいなどうでもいい存在は、クラスにいてもいなくても変わらないのだ。そこにヒーローがいる時点で、僕がその地位につくことはできない。


 僕は昨年一年間の間でとても臆病になっていた。もう友達の作り方も忘れてしまった。

 また昨年と同じ日々を繰り返すのであれば、いっそ不良が学級崩壊を起こしてくれたほうが、僕は惨めなおもいをしないですむから幾分マシかもしれない。


 そんな曲がった気持ちでクラスを見渡した僕は、前のほうに座る安岡の背中に視線を向けた。茶色に染められた髪は教室の中で一際目立っている。みんなが前方の先生に顔を向けている中で安岡一人だけが頬杖をついて視線を逸らしていた。


 新しいクラスに僕の心は、濁った感情が渦巻いていた。

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